田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

2ch風に『○○ママの放置児』

2015年03月12日 | 日記

You Tubeに2chまとめ動画があります。
仕事の合い間に楽しませてもらっています。
上手に書けるか分かりませんが書いてみます。

今から40年ほど前のことです。
戦災をまぬがれたちっぽけな借家に、
妻と1歳半ばの娘と暮らしていました。
幸い町内の人達にも可愛がられ、
毎日が残業の連続でしたが安心でした。

借家の3軒隣は陶器屋さんの倉庫でした。
トタン葺き屋根、トタン貼りの壁です。
陶器は雨に濡れてもいい物ですから、
倉庫といっても隙間だらけ、床は土のまま、
出入りの扉はありませんでした。

梅雨の終わり頃、倉庫に住む人がいました。
母親らしき女と小学校1、2年の女子(A子)
少し下の女子(B子)2歳くらいの男子(C男)
の4人です。

私の住む借家は日当たりが悪かったので、
妻はできるだけ娘を外で遊ばせました。
外と言っても、玄関前に少しだけの庭があり、
庭は道路に面していました。

狭い道でめったに自動車は通りませんでしたが、
それでも我が子から
目を離すことはできなかったそうです。

娘を外で遊ばせていると、
A子がそっと近くづくようになりました。
始めの頃はいたずらするといけないから
監視していたそうですが、
娘がおもちゃを放り投げると
拾って娘に手渡したそうです。
娘はまた投げる、拾って渡す。
娘を上手に遊ばせてくれたそうです。

毎日A子が来るようになり、
A子はB子を連れてくるようになりました。
妻が聞くと、妹だと言ったそうです。

夏休みになり町内は子供達の声があふれました。
娘のビニールプールを庭に出し、
水遊びをさせました。

そのころには、
弟のC男も、道路と我が家の庭の境界線に
姉と共に一列に並び、娘を見ていました。
電線のスズメみたいと妻が言ってました。

暑い日、C男が真っ赤な顔をしていたので
C男の服を脱がせビニールプールに入れました。
C男は満面の笑みで姉を見ました。
それを見た姉達もとても嬉しそうでした。

私達の娘は食の細い子で、
身長も体重も平均以下でした。
妻は娘に食べさせようと努力する毎日、
朝食の努力が長引き、
昼食時間になってしまったこともあるそうです。

ある日、庭でおむすびを食べさせていた時
三人がきました。
道路に一列に並び、娘を見ていました。
娘はおむすびを持つだけで食べません。
お皿の上の2個のおむすびを二つに割り
三人に与え、残りを妻が食べることにしました。

三人は嬉しそうに両手でおむすびを持ち
娘が食べるのをじっと待ったそうです。
娘が一口食べると三人も一口食べます。

それを繰り返すうちに娘がパクッモグモグ、
三人もモグモグ、食べたそうです。

その夜、町内会長さんが来て、
三人に食事を与えると毎日来るようになる。
困る前に忠告しておく、と言われたそうです。

妻は町内会長さんに見つからないように
コッソリ食事を与えていたそうです。

夏休みが終わりかけた頃、
家の前に黒いベンツが止まりました。
後に数台の乗用車が並んでいました。
狭い道だから、こんなところに止めてッ!
と妻は思ったそうです。

めんどうに巻き込まれるのが嫌で、
できるだけ外から見えないところで
娘と遊んでいたら、
「おくさん、おくさん」と呼ぶ大きい声が
庭から聞こえてきました。

怖かったので娘を抱っこして玄関を開けると、
光るツヤのある背広を着た男が
手下を連れて道路に並んでいました。

「チビたちを可愛がってくれてありがとう
 ございました」といって箱をだしました。
 
箱の中は大きな『神戸ゴーフル』でした。

妻は「あの人たちは絶対に○○組の人、
C男が『父さんは遠いところにいる』って。
私はてっきり死んじゃったと思ってネェ。
高ッカイ塀の中だったのねぇ~」

母と思われる女は一度姿を見たきり、
陶器倉庫の4人はその日以来いなくなりました。

時々妻と話します。「あの三人生きてるかな?。
スッゲェ~大金持ちになってそうだな」

妻は「A子はクラブのママさん、
B子はサラリーマンの子持ちママ、
C男は、姉に頭があがらない弟だと思うよ」
だってさ。おしまい。