田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

オーム地下鉄サリン事件から20年

2015年03月20日 | 日記
 あれから20年、兄は東京へ単身勤務でした。前日に帰郷していましたから、月曜日だったのでしょうか。勤務先に電話し無事を確認しました。流され続ける映像を見て、体の芯に震えるような怒りと恐れを感じました。
 
 事件に至るまでの報道においてはオーム真理教が取り沙汰されました。薄っぺらい服をまとい、薄っぺらな発言を繰り返す信者を見て、とてもまっとうな宗教とは思えませんでした。たぶん日本中の人はそう思ったでしょうが、TVのナレーターは、当たらず触らずな持ち上げるような言い方でした。私には意見でも主張でもなく、子供の悪戯の弁解にしか聞こえませんでした。
 
 オームには大人になりきれない若者達が群れ、山の中に秘密基地を造り『戦争ごっこかよ』と叱ってやれば終わりだったものを、『信教の自由』などと大人の考えを教えたがために、彼らは後に引けなくなり事件を起こしてしまったとしか考えられません。元々が漫画的な行為やネーミングを、テレビが真剣に報じたために彼らは錯覚してしまったのだと思うのです。偏差値は関係ありません。
 
 そもそも生活する私達にとって、宗教はどれほど必要でしょうか。信じていなくても生活はできるし、悪人にもなりません。心が荒れることも少なく、少しの満足もあります。こんなことは私だけではないでしょう。たぶん多くの人がこのように思っているでしょう。腹を割って話せば「強いて言えば、もう少し○○だと良いのですが、こんなこと願ったら欲張りですね」と言うであろうと思うのです。
 
 無宗教、無神論者の私ですが、私の肉体に沁みこんでいるのは仏の教えでも神の教えでもなく、「ならぬものはならぬ」の躾であると思います。「なぜ人を殺してはいけないのか」などの理由はいりません。
 
 什の掟を思い出し、次回に書こうと思う。