田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

自宅で葬式、地域ぐるみ

2015年03月07日 | 宗教その他

 地域歴史研究家の記事が新聞に掲載されていた。自宅で行われたお葬式に参列したのはいつ頃だったろう。ずいぶん昔のように思う。
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 やがて葬式は冷暖房が整った葬儀場で行うようになり、地域の人々が葬式の運営に関わることは減少していった。さらに近年では、ごく身内のみが参列する家族葬が多くなり、葬式後に、町内に知らせる程度となってきたのである。
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 母と同居のために広めの公営団地に転居した頃、そこでの生活15年ほどの間、数回お葬式を経験した。最初のお葬式は入居2年目の年末、大晦日の葬儀を団地集会場でおこなった。大晦日は友引でもあったが、三が日をご遺体と過ごすことができぬらしく、大晦日の友引の葬儀だった。あれこれ言う人もいたが、高齢なお婆さん、天寿のめでたい葬式で済ませた。町内の役員のみならず、年末休暇の住民率先して手伝った。

 
 最初の葬儀から2年後に二度目のお葬式、町内でお手伝いをしようとしたのだが、平日であったからか、会社を休めないと言う人が多く、専業主婦や私のような自営業者が手伝うことになった。サラリーマンの町内役員は昼間の葬儀を手伝えず、役員の奥様の実家から、お父さんが手伝いに参加された。故人と奥様のお父さんとの付き合いはあるはずもなく、町内の結びつきが弱くなったと同時に、お葬式の手伝いが一つの業務となってしまったのを感じた。この頃から、民間斎場のお葬式も増えたが、受付等は町内会の仕事とされ、葬儀屋の手伝いをした。

 
 近頃の葬式は斎場でおこなわれる。遺族から手伝いを求められことも少なく、町内の手伝いも少なくなった。また、死亡の連絡も遺族の許可を得てから掲示することになった。これは独居老人の葬儀を、子達が住む所で執り行うほうが何かと都合が良いのであろう。

 
 私は家族葬で母を送った。死亡の連絡を町内会にすると共に、家族葬で執り行うこと、手伝いの不要、弔問の不要などを直接的、間接的に伝えなければならなかった。時として葬儀場へ会葬される人があるやもしれぬので、葬儀会場を伏せておいた。全てを終えた後、町内会に連絡をした。

 
 近頃、団地において近所付き合いが希薄になったと言われているが、正直を言えば、団地の付き合いは濃厚になりがちであり、とんだ煮え湯を飲まされた経験を少なからず持つので、近からず、遠からず、が良いと思うようになった。

 
 上階の高齢ご夫婦、二人の娘さんの嫁ぎ先が遠方、ご主人が入退院を繰り返していらっしゃる。不安なのだろう、先日妻を訪問された。私も顔を出し、「いつでも手伝いますよ。声をかけてください」と言っておいた。夜な夜な上階の足音で安心しているオイラなのだ。

 
 最期に書くが、母は団地内の人との付き合いはなかったので、書いたような家族葬儀とした。私の場合は『直葬』が良い。無神論者の無宗教(なんちゃって神道)だから、妻と子で火葬場で骨にし、墓に納めてくれれば大満足である。今からこのように考えているのだ。

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2 コメント

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懐かしい風景 (55)
2015-03-08 10:56:13
新聞記事の中身は、私の育った下町の葬式風景そのものです。

祖父は町内会長でしたので誰かが亡くなると葬儀委員長として全てを取り仕切っていました。
町の小さな葬儀屋さんとも「あうんの仲」。
葬儀の場所は自宅かお寺さんと決まってました。
婦人部の方々が真っ白な割烹着姿で協力してくれました。
正に町内会での葬儀風景でした。

大手の葬儀社が繁盛している今の時代、あの小さな葬儀屋さんはどうなっているんだろうか…
里帰りした時そっと店の前を通ると、
ありました、看板だけはご健在。
でも商売成り立っているんだろうか…
懐かしさと共に胸キュンに

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Unknown (六兎グッチ)
2015-03-08 16:47:24
ずいぶん距離があるのですが似てるのですね。

今までに町内の役員を何度も経験しましたが、
葬儀屋さんとの打ち合わせが最初の仕事でした。

町「手伝い必要ですか?」
葬「していただけるならありがたい」
町「何を手伝えば良いか?」
葬「受付はお願いしたい。他は遺族と打ち合わせする」
町「決まり次第連絡願う。私が不在なら○○へ」
葬「了解した」
事務的に済ませるので、団地内のことは全て町内だった。
葬儀屋さんは、話が早く済むからありがたいって。

全てが終わると葬儀屋さんからお礼の金一封があったが、
町内会に納入するのが慣わしでした。

昔住んでいた団地の集会場も葬式では使われなくなったそうです。
線香臭くなると苦情があったそうです。悲しいですね。

大昔の団地(結婚3年後に3年間生活)の集会場は
妻のミニ同窓会にも使用許可がOKだったそうです。
昔は、規則がゆるやかで、良かったところも多かった。

オイラはそんなところで”懐かしさと共に胸キュン”だ~ス。


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