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語り部が情緒綿々と語る物語
情が入らねば聞くものの心を捉えない
だが情にまみれた物語は真実を見失う
歴史の検証に情念は不要
淡々とした事実の積み重ねは
手垢まみれの物語より胸を打つ
事実は小説より奇なり
事実は物語より胸を打つ
*
座間味島で梅沢隊長の部隊の伝令を勤めていた当時15歳の宮平さん(78歳)。
その証言はまさに衝撃的だった。
これを動画アップした【動画】集団自決の衝撃の新証言を見た。
真実の重みが画面を通じて見るものの心を打つ。
衝撃の言葉の礫となって。
「宮城初枝は私の姉です」
「晴美は私の姪です」
「晴美の書いた本は嘘っぱち」
「(本の)中身が濃ゆ過ぎて食えたものではない」
宮平さんは親戚に当たる宮城親娘については当初は語るつもりは無かったのか。
最後になって飛び出したこの証言に言葉を失った。
援護金のためのウソの証言を後悔した姉の初枝さん。
亡くなる前に証言を撤回しそれを娘に託した。
母の遺言を踏みにじって「嘘っぱち」を書いた姪の晴美氏。
今では叔父の座間味の宮平さん宅には寄り付かないという。
重篤の病で豊見城中央病院に入院中の姉初枝さん。
彼女を見舞った実弟の宮平さん。
必死の面持ちで病床の姉の枕元で呼びかける。
「生きている間に真実を語らないと大変なことになるよ」
宮平さんの言う「生きている間」とは癌に伏す姉初枝さんのことだけではなかった。
初枝氏の証言で人生を棒に振ってしまった高齢の梅沢隊長の「生きている間」も気になった。
「梅沢さんが生きている間に詫びなさい」
そして初枝さんは真実を書き綴ったノートを娘の晴美氏に託した。
宮城晴美著『母の遺したもの』が出版される。
■「不都合な真実」への地元紙の対応■
地元二紙がデタラメ記事を垂れ流しているのに憤慨した宮平さん。
何度も電話したが取材には来なかった。
最後は名前を伏して電話しても、
ついに一度も取材を受けなかったという。
例え名前を伏しても気配で察したのか、最後まで黙殺し続けた。
沖縄二紙には「不都合な真実」を掲載するスペースは無い。
沖縄集団自決、隊長はいさめた 軍強制説否定す…(02/2223:15)
<宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後10時ごろ、野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の宮城初江さんが、梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。
そこで、宮里助役らは「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、自決用の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。
これに対し、梅沢少佐は「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。
村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、梅沢少佐が「おれの言うことが聞けないのか」と弾薬類の提供を強く拒否したため、村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。
同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、野村村長は「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾薬類をもらいにいったが、もらえなかった。みなさん、自決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、解散する」と話した。このため、住民たちはそれぞれの家族の壕に引き返したという。
宮平さんは「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりとりと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いていた」と話す。
その後、村長ら村三役や国民学校長らとその家族はそれぞれの壕で集団自決したが、宮平さんら多くの住民は自決を思いとどまり、翌26日に上陸してきた米軍に捕らえられるなどした。宮平さんは米軍の迫撃砲で左足を負傷し、自分の家族の壕に戻ったところを米軍に見つかったという。>
◇
■隊長命令は「自決は許さない」だった■
昭和19年10月10日の那覇の空襲で武器弾薬が大量に損壊し座間味の梅沢隊にきた銃弾はライフル一丁当たり15発と、自決用の手りゅう弾は一個だったという。
弾薬不足の座間味で集団自決で手りゅう弾で死んだのは一部であり、ほとんどは棒やカミソリ等での自決であった。
四日間、昼夜に渡る艦砲射撃でパニックに陥った村の三役、校長等が3月25日の夜、自決用の弾薬をもらいに梅沢隊の基地を訪れた。
その中には宮城初枝さんもいた。
応対した梅沢隊長は次のように言った。
「戦う武器弾薬もないのに住民を自決させる弾薬はない」
「自決は許さない」
「俺の命令が聞こえないのか」
「国土を守る軍隊が何で住民を殺すか」
「天皇陛下の赤子を自決させる権限はない」
「解散しろ! 解散命令だ」
「そして避難しろ!」
その後、野村村長は忠魂碑の前に集まった住民に解散して、避難するように伝える。
梅沢隊の伝令をしていた宮平さんは、梅沢隊長と野村村長とのやり取りも、忠魂碑の前で野村村長が解散指示も
僅か2mの至近距離で自分の耳で確かに聞いた。
翌26日の朝に隊長の命令を無視して
「住民たちは勝手に死んでしまった」という。
宮平さんは「誰が悪いのでもない、彼らは尊厳死を選んだ」といった。
こうも言っている。
「誰が集団自決をリードしたかはわかっている」
「座間味の人がこれをやってしまった」
「その人の名は生き残った人は皆わかっている」
分かっていると言いながらも宮平さんは自分の口からは言えないという。
子孫が生きている現在、お前のお父さんが集団自決をさせた張本人とはいえないのだろう。
死に急ぐような雰囲気の当時の住民達。
梅沢隊長が解散命令を出したため多くの住民は生き残った。
それを振り切って勝手に集団自決を指導して死んだ人がいたのだ。
(沖縄県民斯ク戦ヘリでアップの動画より。)
■晴美氏の証言■
宮城氏は、原告の梅澤氏が「集団自決」を覚悟した村の幹部に「決して自決するでない」と言って帰したと主張していることについて、「今晩はお帰りください」と言ったにすぎないと考えられるとした。(沖縄タイムス 2007年7月28日)
宮城晴美氏の理屈によると梅沢隊長は母初枝さんたちに対して「今晩はお帰りください」といったに過ぎない。
従って一行が帰った後になって自決命令を出した可能性もある、
という極めていい加減な彼女自身の推量による「軍命あり論」である。
しかし、宮平さんは姪のこの推量も次のように一蹴する。
忠魂碑の前で野村村長が解散命令を出してしてから翌朝の「自決」まで米軍の艦砲射撃が激しく、夜道を自決命令を伝えに来ることは事実上不可能で、自決命令は無かった。
伝令として梅沢基地にいた自分が一番良く解るという。
■集団自決を命令したといわれる村助役の妹・宮平春子氏について
「母の遺したもの」では、住民に「集団自決」を命じたのは兵事主任兼防衛隊長(助役)の宮里盛秀さんだったと、反対尋問で従来とは認識が変わっていることを指摘された。宮城氏は盛秀さんの妹の宮平春子さんから、盛秀さん自身が軍の命令を受けていたとの証言を今年六月になって直接聞いたと説明。(沖縄タイムス 2007年7月28日)
宮城晴美氏は裁判の証言台に立つ僅か一ヶ月前に、助役の妹・宮平春子氏の証言で「軍命を確信した」という。
僅かな期間での晴美氏の心変わりに裁判長も驚いて「それで良いのか」と念を押した。
晴美氏はその心境の急激な変化について次のように書いている。
≪本書(『母の遺したもの』-引用者注)を書くにあたって、盛秀氏の妹の宮平春子さんから当時のことについて聴き取りをし、本書(216頁以下)にも書きましたが、(略)
しかし、後述するように最近宮平春子さんからその陳述書(乙51)に書かれている話を聞くことができました。春子さんの話によって、盛秀氏が座間味島の日本軍から、「米軍が上陸してきたら玉砕するように」と命令されていたことがはっきりしました。
◇
■証言の信憑性の担保■
「昨日の夜10時から12時の間、何処に居ましたか?」
「自宅でテレビを見ていました」
「それを証明できる人は?」
「妹が証明します」
「親族以外でどなたか居ませんか?」
「親族の証言では何故ダメなの?」
「親族の証言は信憑性が薄いから」
テレビの推理ドラマで刑事と被疑者の間で交わされるお馴染みのシーン。
証言者は「犯人」との関わりによってその信憑性の有無が問われる。
当然、アリバイの証明には被疑者の親族の証言はその信憑性が疑われる。
自分のお婆ちゃんの証言を疑われて、
「うちのおばーがウソをつくというのですか」
と訴えてもこれは論理の問題ではなく感情の問題になってしまう。
「集団自決」に関して、数多くの証言者が登場した。
だが問題となった「軍の命令、強制」の有無に関する客観的証言は皆無だった。
宮城晴美氏の認識を法廷証言の一ヶ月前に変えたという宮平春子氏は村の助役宮里盛秀氏の実の妹である。
宮里盛秀氏は集団自決を命令した張本人だと言われている。
■渡嘉敷島の場合■
村の三役を始め指導的立場の人々が生き残った。
当時の村長古波蔵惟好氏が、米軍に包囲され島民がパニック状態になった時「自決」のきっかけを作って、「集団自決」に島民を導いたと言われている。
生き残った村長は戦後米田と改姓し、赤松隊長の命令だったと主張したがその一方、贖罪意識からか島民の援護法適用の運動に尽力した。
渡嘉敷島の集団自決の証言者は、自決を指導したといわれる村の指導者が生き残ったため複雑な人間関係から発言しにくい要素を背負っての発言がほとんど。
それに事実上の「公文書偽造」(援護法関係)が絡まり益々証言がし難い状況にあった。
■証言者達が背負う人間の絆■
「集団自決」当時、島の村長で戦後も村の有力者だった古波蔵氏は戦後改姓して米田を名乗った。
一方、集団自決の生き残りとして「軍の責任」を追及する証言を続ける「平和活動」の語り部吉川氏も旧姓は古波蔵で村長とは渡嘉敷島の古波蔵一族であるという共通項を持つ。
果たして吉川氏は当事の島のリーダーだった古波蔵村長の「アリバイ」(軍命だった)を証言できる立場にいると言えるのか。
生証人の証言だからといって、それだけで軽々に歴史を語っては歴史の真実を見誤ることにもなる。
参考: 届け、証言の重み 「集団自決」体験吉川さん、思い切々 (9/29 11:22)
「集団自決」 宮城晴美氏が新版で「後出しジャンケン」
2月22日、産経新聞が「宮平証言」を掲載して一週間以上経過。
沖縄メディアで宮平証言を1行でも報じた記事を寡聞にして知らない。
やはり沖縄では言論封殺が生きている。
◆
今回決定的証言をして下さった宮平秀幸さんが講演会をします。
宮平秀幸氏を知らない方は、動画を見てください。
【動画】集団自決の衝撃の新証言
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なぜ、できないのか?何かの力によってなのか、会社の方針なのか。わからない事だらけです。
先の米軍人の少女暴行疑惑に抗議する集会は、行われるらしいとの報道ですが、今回の参加者数の主催者発表が楽しみです。また、マスコミは、検証なしで垂れ流すのでかどうかが楽しみでもあります。
米軍同様「宮下」さんの言葉を「ビラ」にして沖縄全島に撒きたい、沖縄県民の皆さんも早く気が付いて欲しいですね。
>今回の参加者数の主催者発表が楽しみです。
全会と同じ場所でやると動員数のカラクリがばれるので別の会場を使うそうです。
>また、マスコミは、検証なしで垂れ流すのでかどうかが楽しみでもあります。
彼らに検証はありません。 あるのは思い込みだけです。
◆70代の青年
>沖縄のマスコミ又「沈黙」でしょうか?
騒ぎすぎたため、挙げた拳の下ろしようがない、・・・と思っていたら、今朝の朝刊から「酔っ払いがガラスを割った」と一面を大見出しで飾っています。
酔っ払い1人で鬼の首を取ったようなはしゃぎようです。
>沖縄県民の皆さんも早く気が付いて欲しいですね。
気がついていますよ。 マスコミとプロ市民と学者連中が騒いでいるだけです。
◆物言うサラリーマン
>まさに今の新聞社は中世のカトリック教会そのもの。活版印刷機が出てくるまではやりたい放題。
鋭いご指摘。 仰るとおりです。
この数年でネットが新聞社の独善体質に風穴を開けましたね。
早めに体質改善しないと本当に読者に見放されますね。
テレビ欄と死亡広告が谷あれば新聞は取らないという人が最近増えています。
⇒ネット使った新ビジネスが誕生するかも知れません。
ネットが有るので新聞止めました、テレビも余り見ません、自分の地方の事件・事故には疎いですが、政治と特低アジアとの関係は詳しく成りました。
>自分の地方の事件・事故には疎いですが、政治と特低アジアとの関係は詳しく成りました。
地元新聞を止めたお陰で詳しくなったとは皮肉なものですね。
沖縄タイムスや、琉球新報の記者さんに見てもらいたいコメントですね。