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実在の名物刑事平塚八兵衛を描いたテレビドラマ「刑事一代」を二日に渡って観た。 主演の渡辺謙の入魂の演技もさることながら、実際に起きた事件の捜査過程を再現したドラマに、小説ドラマにはない無い迫力を感じた。
ドラマは、幾つかの有名な事件と平塚刑事との関わりをドキュメンタリータッチで追っていくが、特に「吉展ちゃん誘拐事件」の犯人小原保の鉄壁とも思われていたアリバイを崩し自白に追い込んでいく様子は、作りものの刑事ドラマには無い感動さえ覚えた。
犯人小原のアリバイを証言する人々はいずれも純朴な田舎の年寄りがほとんどで、自分の記憶を頼りに証言しており、故意にウソをついた証言者は一人もいなかった。
「オジー、オバーはウソつかない」という神話はこのドラマにもあったのだが・・・。
前任の刑事は同じ証言で、犯人小原のアリバイを認めた結論を出していた。
平塚刑事が周囲の、「時間の無駄だからやめろ」という声を尻目に再度アリバイ調査をし、証言者の記憶のほころびから、遂に犯人の鉄壁のアリバイ(非存在証明)を突き崩す。
そして犯人にはこれを伏せたまま、一方のアリバイ(存在証明)を犯人との雑談の中の不用意な一言かから立証する。
そして犯人を自白に追い込んでいく様子は、刑事役渡辺と犯人役萩原の息も詰まる名演技も相まって、圧巻であった。
ウソをつく気のない善意の第三者の証言でも、聞き取り調査した者の資質の差により、結論が斯くも異なるものだと改めて感じ入った。
沖縄戦の証言で「オジーオバーはウソつかない」という迷文句はさておいても、最近の「金武町米軍流弾事件」の調査で、県警と米軍では事件発生日に丸一日の差異があった。
米軍は、「証言が間違い」だと主張していたが、その後は県警もマスコミも沈黙したままで、アリバイ証言を現場検証する様子はない。
そして「米軍に理解した貰った」という奇妙な形の政治決着でウヤムヤになったようだ。
先に発表した県警の「事件発生日」に、真っ向から異論を唱えたのは米軍側だったので、米軍の調査団には平塚刑事のような敏腕刑事がいたのだろうか。
◇
第32軍司令官牛島満中将は昭和19年、沖縄に着任した時、「軍官民の共生共死を命じた」というウソは沖縄の新聞では歴史の事実として当たり前のように語られる。
だが、これが真っ赤なウソであることは前回述べた。
二つの地方紙が口裏を合わせ、元琉球大学教授で国会議員まで勤めたて元県知事までもが、このようなウソを連日大合唱すれば、ウソも「通説」となる。
そのウソの「通説」が「集団自決訴訟」の一審、二審判決に大きな影響を与えたわけだから、「軍官民共生共死」プロパガンダ活動は一応の成果をあげたことになる。
■軍命あり派の最後の砦■
集団自決訴訟の一審、二審とも原告敗訴で『沖縄ノート』の出版差し止めには失敗したが「両隊長が集団自決を命令したあるいは強制した」という汚名はそそがれ、両隊長の名誉回復は事実上成功した。
そこで被告側が取った手段は「両隊長の命令の有無は問題ではない」そして「軍のタテの構造に仕組まれた命令」というすり替え論である。
隊長命令の有無は問題ではないと言いながら、集団自決の責任を軍に被せるためのキーワードが,「軍官民共生共死」である。
隊長命令を立証できなかった被告側は「悪逆非道」の日本軍を追及する最後の砦が「軍官民共生共死」のスローガンである。
「隊長命令」というウソを通説に仕立て上げた手段の一つにスローガンがある。
例えば「沖縄戦の教訓は、日本軍が住民を守らないことだ」とか。
あらゆる機会を捉えてこの呪文のような合言葉を唱えてきた。
こんなとこでも⇒沖縄戦の記憶=「軍隊は住民を守らない」という教訓
米軍が上陸作戦を始める前年の1944年。
日本軍は本土、台湾、そして本島北部へ住民を疎開する計画を実行した。住民が戦火に戦火に巻き込まれないように。
それが軍の意図とは逆に上手くいかなかった。
色んな要素が絡み合った。
住民の一部に疎開や避難を卑怯者だとする煽るものがいた。
事前行動の苦手な県民性も疎開の足を引っぱった。
それが悲劇を生んだ。
これが事実であり、その結果予定したほど住民を守れなかったのだ。
その辺の事情は当日記でも再三述べてきた。
破綻したウソの通説を最後の砦として死守する必死の努力は、既に一昨年の沖縄タイムス記事にも垣間見れることが出来る。
沖縄タイムス(07年4月30日朝刊総合1面)
攻勢かける戦争肯定派
否定されかねない「軍隊は住民守らず」
< 「今回の『集団自決』の軍関与削除は、戦争肯定派が攻勢をかけ、昨年まで認められていた『集団自決』をひっくり返し、事実と違うと言い始めるなど極めて強行だ」と批判する。
このような事態の中、今後沖縄戦はどのように学ばれるべきなのか。「沖縄戦を十五年戦争の中に位置づけて理解しないと、これまでの日本軍の加害を消そうとする教科書攻撃の流れの中で、問題の本質を理解するのが難しい」
その上で日本軍「慰安婦」、戦後補償の在り方など加害責任、特にこれまで欠けていた天皇制の問題を含め学ぶ方法を確立する必要があると、強調する。
また、沖縄戦記述の危機は「集団自決」にとどまらないと指摘する。「今後、日本軍による『住民の壕追い出し』『住民殺害』否定の動きが出てくるだろう。自由主義史観研究会ら歴史修正主義者は『集団自決』裁判の結果を待たずとも今検定で、自らの主張で教科書を覆い尽くすことができた」
「沖縄戦の『軍隊は住民を守らない』という教訓、そして二度と戦争を起こさないという願いも否定されかねない」と警鐘を鳴らす。(編集委員・謝花直美)>
◇
ウソで塗り絡めた虚偽のダムは、今年に入って真実という水圧に耐えかね、そしてダム決壊の恐怖に脅えて悲鳴を上げ始めた。
軍命あり派の最後の砦「軍官民共生共死」は既に決壊した。
そして『軍隊は住民を守らない』というスローガンを守ることも不可能な状況にある。
毎年この時期になると「平和教育」と称して「悪いのは日本軍のせい」といった呪詛がくり返される。
ウエイン・W・ダイアーという心理学者はこういった.
「過去のせい、誰かのせい」を捨てたときから、
人生は好転する。
【追記】
例年この時期の新聞は同じような「残虐な日本兵」の特集なのだが、試しに昨年の記事を見たら、この有様。
新聞の発狂だね。
沖縄の太田知事は平和平和と相変わらずの反日刷り込み教育にお熱のようですね。宮崎県の知事とはえらい違いです。他にやることがあるんじゃないですか?反日運動をやる前にソーキそばの一袋でも東京でアピールしたら如何ですか?
ここ数日の二紙の書きたい放題には目を覆いたくなります。今日の二紙は特に下劣だと感じますね。沖縄タイムスのほうが悪いとかの問題ではないようですね。毎日読み比べるとこいつらは明らかに整理部あたりで共闘してますね。社会部はそれぞれ独立した感を受けますが・・。いい記者さんもいるはずなのですが・・。残念です。
エイサーは関東でも盛んで、たくさんの同好会(ヤマトンチューが主体です。)があり、いろんな団体が祭りを盛り上げています。
私は、さすがに体がついていきませんので、もっぱら評論に徹しています。
私もCDを何枚か持っており、毎年夏になると聞いています。「ウミヤカラー」「クーダーカ」「イチュビグァー」などエイサーの名曲がたくさんありますが、私は「仲順流り」の様な静かな立ち上がりから、最後は「唐船ドーイ」で全員カチャシーで終わるのが好きです。(いろんなカチャシーがありますが、それはそれで楽しみです。)
話は変わります。
私の仕事は技術系です。私の世界では、1+1は2以外にはなりません。
同様に、「住民への疎開の命令」=「軍官民共生共死」には絶対になりません。もちろん「軍は住民を守らない。」にもなりません。答えは「軍も国も住民の保護に尽力した。」以外にはありません。普通の頭で、普通に考えれば、「死んでもらう人間を安全な場所に疎開させるはずがありません。」
牛島中将が訓示したことぐらいのことは、当時の日本ならどこでも使われていたと思います。
そんなことは、現代のサラリーマン社会でも、社長が、部長が口にします。
「会社と社員は運命共同体だ。」「今度の工事は会社の命運がかかっている。ひとつ死ぬ気で頑張ってくれ。」ぐらいのことは、自分の年代なら誰でも経験しています。
何度も書きますが、沖縄本島で疎開や投降で助かった民間人は、約30万人(秦先生の「集団自決の謎と真実。より引用)日本本土、台湾に疎開した10万人を合わせると約40万の県民が助かっています。(当時の沖縄に残った人口が約50万人)
犠牲になった人達は、大変残念です。しかしそれとて、「軍の疎開命令に従っていれば助かった。」は沖縄在住の友人の、オジー、オバーの話です。
昔「貧乏人は麦を食え。」といった総理大臣がいましたが、その真意は国民の頑張りを期待したものです。決して「貧乏人は餓えて死ね。」ではありません。沖縄の左翼団体も、田嶋のオバチャマも、日本語を理解できないのでしょうか。
今日のニュースは沖縄一色でした。
でも、相変わらずマスコミの情報操作が目立ちます。
いわく、「平和の礎」に刻まれた沖縄戦の犠牲者は24万人。」とかです。その後に県民が礎を拝む姿が映し出されます。数字のトリックに気付かない人は、沖縄戦で24万人の沖縄県民が犠牲になったと思うことでしょう。
実際には、昭和のはじめの満州事変から沖縄戦までに犠牲になった、日本軍、沖縄県民、米軍の犠牲者と何故報道しないのでしょう。こんなところにも沖縄左翼の巧みな宣伝工作が見えます。
そんなことで、本当に英霊の供養になるのでしょうか。
太田元知事ほど平気でデタラメを言う人も珍しいです。
いわく「沖縄には人を殺すという言葉はなく、琉球は武器を持たない平和な王国だった。 それが薩摩しんりゃくや、琉球処分により日本に侵略され、戦争の被害にあった」等等・・・。
彼のウソを拾って行けば一冊の本が出来るほどです。
彼は大金持ちなのでソーキそばなど見向きもしないと聞きます。
縁側さん
今朝のタイムス、新報の社説も酷いですね。
一々反論するのも疲れます。
星、上原両氏の告発にも表では無視しながら、裏ではじわじわと論壇締め出しに動いているそうですよ。
涼太さん
ウチナーンチュの私以上に沖縄のことを考えてくださる涼太さんのコメントにはいつもながら勇気つけられます。
>「住民への疎開の命令」=「軍官民共生共死」には絶対になりません。もちろん「軍は住民を守らない。」にもなりません。答えは「軍も国も住民の保護に尽力した。」以外にはありません。普通の頭で、普通に考えれば、「死んでもらう人間を安全な場所に疎開させるはずがありません。」
牛島中将が訓示したことぐらいのことは、当時の日本ならどこでも使われていたと思います。
仰るとおりです。
この点を学術的に証明したのが秦郁彦さんが、米軍公文書館から発掘した第32軍の沖縄住民対策を記した英文訳による「南西諸島警備要領」です。(『沖縄戦『集団自決』の謎と真実』に記載』
これで、サヨクが叫ぶ「軍官民共生共氏」も「軍隊は住民を守らない」も歴史学術的には木っ端微塵に粉砕されています。
だが国語読解力に欠ける左翼勢力は理解していないようです。
当然、大江健三郎が法廷で講釈した「軍のタテの構造云々」の仕組まれた軍命論も木っ端微塵です。
>実際には、昭和のはじめの満州事変から沖縄戦までに犠牲になった・・・
沖縄戦の犠牲者を満州事変にまで遡って組み入れる奇妙な計算方法の犯人は「沖縄県平和祈念資料館」です。
このような組織でもサヨク学者が専門委員としょうしてウソを垂れ流しています。
本当に疲れます。(笑)
申し訳ありません。言葉不足です。
昼のニュースをみて、職場の若い社員が、「沖縄戦で24万人もの沖縄県民が犠牲になったんだ。」と言うから、思わず「馬鹿言うなそれは反日団体の宣伝だよ。」と思わず怒鳴ってしまいました。
同時に、情報操作ばかりのマスコミにも腹が立ちました。それにしても今の若者達は、マスコミ次第でどうにでもなる危うさを持っています。蟹工船ブームもその一端でしょうか。
>沖縄戦の犠牲者を満州事変にまで遡って組み入れる奇妙な計算方法の犯人は「沖縄県平和祈念資料館」です。
ああ、つまり彼等は沖縄戦の真実はどうでもよくて、沖縄県は歴史上常に大和の被害者だったと主張しているのですね。
沖縄平和祈念資料館のサイトに次のような計算法が記されています。
<○沖縄県出身の戦没者
・ア 満州事変に始まる15年戦争の期間中に、県内外において戦争が原因で死亡した者
・イ 1945年9月7日後、県内外において戦争が原因でおおむね1年以内に死亡した者(ただし、被爆被害者については、その限りはない。)>
⇒http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/heiwanoishiji/index.html