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2018.8.9 00:10更新
【翁長氏死去】
政府・自民党は「弔い合戦」を警戒 「オール沖縄」足並み戻るか
政府は、沖縄県の翁長雄志知事が8日に死去したことを受け、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設への影響を注視する。移設反対運動の象徴的存在だった翁長氏の死去に伴う知事選は、移設容認派と反対派の事実上の一騎打ちとなる見込みだ。共産党や社民党、労組などでつくる「オール沖縄」の足並みは乱れていたが、翁長氏の「弔い合戦」として結束を取り戻す可能性もある。
政府は日米同盟を堅持する立場から、普天間飛行場の辺野古移設を引き続き推進していく方針。翁長氏が手続き開始を表明していた埋め立て承認の撤回に対しても、防衛省幹部は「翁長氏の死去とは関係なく、淡々と進めていく」とした。
ただ、政府・自民党は9月中に行われる見通しとなった知事選には神経をとがらせる。自民党県連は宜野湾市の佐喜真淳市長の擁立を決めているが、政府高官は8日夜、反対派が「弔い合戦」と位置づけ同情票を集めかねないことから「そこを最も気をつけないといけない」と語った。
平成26年11月の知事選で翁長氏が当選して以降、県内10市の市長選で自民党推薦候補は9勝している。基地問題より雇用確保や子育て支援を求める若年層に自民党系候補を支持する傾向が強く、2月の名護市長選で辺野古移設を容認する候補の当選を後押しした。
そうした勢いをそのまま知事選に持ち込みたかった自民党県連は、出馬の意思を表明している元日本青年会議所会頭の安里繁信氏から早急に佐喜真氏支持を取り付け、選挙戦に臨む態勢を整えたい考えだ。
一方、翁長氏を支持する県内企業の幹部はこれまで「翁長氏に代わる候補は翁長氏しかいない」と繰り返してきた。革新系県議も翁長氏死去を受け「翁長氏の後継は健全な保守が望ましい。革新はあり得ない」と語った。
4年前の知事選で翁長氏当選の原動力となった「オール沖縄」だが、参加していた県内企業は相次ぎ離脱し、保守系県議らと翁長氏を支持する別組織を設立。後継候補選びで足並みがそろっているとはいえない。
後継候補として、謝花喜一郎副知事のほか、稲嶺進前名護市長、糸数慶子参院議員ら多くの名前が挙がっている。いずれも決め手に欠けるが、オール沖縄が再び結束を強化すれば、短い準備期間でも選挙戦で支持を集める可能性がある
☆
「オール沖縄」や沖縄2紙はすい臓がんで瀕死の沖縄知事は可能な限り利用し尽くす魂胆で、あえて「重病情報」は伏せて、あわよくば病床の翁長知事を撤回に追い込む目論見だった。
瀕死の翁長知事を政治的に徹底的に利用する「オール沖縄」や県の対応をみて、中国の故事「死せる孔明生ける仲達を走らす」が脳裏を過った。
死せる孔明生ける仲達を走らす
〔三国志 蜀書諸葛亮伝注〕
沖縄県知事選は、翁長氏の任期満了(12月9日)に伴い11月1日告示、同18日投開票の日程で行うことがすでに決まっていたが前倒しされ、9月中には行われる見通しだ。
自民党総裁選は9月7日告示、同20日投開票が有力で、いずれの投開票日でも沖縄県知事選の日程と重なることになりそうだ。
共産党や社民党、労組などでつくる「オール沖縄会議」は翁長氏擁立を目指すことを決定していたが、翁長氏自身は態度を明確にしてこなかった。
このため、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する勢力の知事選候補はゼロからの選考を余儀なくされることになる。
【おまけ】
翁長沖縄知事が死去 67歳 辺野古新基地反対を貫く
2018-08-08
翁長沖縄知事が死去 67歳 辺野古新基地反対を貫く
▼記事によると…
・沖縄県知事の翁長雄志氏が8日午後7時までに、膵臓(すいぞう)がんのため入院中の浦添総合病院で死去したことが分かった。67歳だった。米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設への反対を訴え、2014年の県知事選で初当選。新基地建設反対を最後まで貫いた。
8/8(水) 19:25配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180808-00295992-okinawat-pol
翁長雄志 プロフィール
翁長雄志は、日本の政治家。沖縄県知事。 那覇市議会議員、沖縄県議会議員、沖縄県那覇市長などを歴任した。 父は元沖縄県真和志村長の翁長助静。兄は沖縄県副知事、沖縄県議会議員を務めた翁長助裕。次男は那覇市議会議員の翁長雄治。
生年月日: 1950年10月2日 (年齢 67歳)
翁長雄志 - Wikipedia
twitterの反応
▼ネット上のコメント
・考え方は違ったが御冥福をお祈りする。
・残念。左派勢力の捨て石にされた。
・お悔やみ申し上げます。史上最低の沖縄県知事でしたね。ある意味歴史に名を残せたのではないか。お疲れ様でした。
・ご冥福をお祈りします。
・翁長知事の政治思想は支持しておりませんでしたが、ご冥福をお祈りします
・ご冥福をお祈りします。不謹慎ではありますがこれでようやく沖縄がまともになりそうな予感
・ご冥福は祈りますが、実績は害悪だけですな
・思想信条の違いはあれど、自分の信じる道を堅持してきたと思います。ご冥福をお祈り致します。ゆっくりお休みになって下さい。
・意思を継ぐ者が死を政治利用するんだろうな…
・随分無理をしていたのではないでしょうか?あちら陣営の非情さに気の毒にも思えました。
8/9(木) 17:49 Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180809-00000033-ryu-oki
名護市辺野古の新基地建設を巡り、県は9日午後2時から、埋め立て承認の撤回を前に事業者である沖縄防衛局の反論を聞く「聴聞」を県庁で開いた。
防衛局側は中嶋浩一郎局長ら、県は池田竹州知事公室長らが出席した。
聴聞は2時間20分ほど続き、県によるとこの日で終結した。
県は聴聞内容を精査後、埋め立て承認の撤回が可能となる。8日に死去した翁長雄志知事は承認を撤回する意向を表明しており、職務代理者である副知事による撤回の行方が注目される。
沖縄防衛局側はこの日の聴聞で「しっかりと反論する機会を確保したい」として、新たな審理の期日を設定するよう求めた。聴聞終了後、県辺野古新基地建設問題対策課の多良間一弘課長は報道陣に「今日で終結という形で、主宰者で判断されたと理解している」と述べた。
県が承認を撤回した場合、政府は承認撤回の執行停止を裁判所に申し立て、併せて撤回の効力無効を求める訴訟も提起する予定。
【琉球新報電子版】
琉球新報社
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オール沖縄と翁長県政念願の「承認撤回」の手筈は整った!
本来なら狂喜乱舞するはずの琉球新報は、
>8日に死去した翁長雄志知事は承認を撤回する意向を表明しており、職務代理者である副知事による撤回の行方が注目される。
と他人事のような記事!
あれほど「聴聞」の期間を引き延ばすなと騒いでいたのは何だったのか!?
伝家の宝刀であるはずの
「承認撤回」は、実は竹光だと誰がも知っていながら副知事は職務代行の権限を使って、抜く事が出来るのか!?
>県が承認を撤回した場合、政府は承認撤回の執行停止を裁判所に申し立て、併せて撤回の効力無効を求める訴訟も提起する。
「竹光」は抜いたら最後、国が執行停止を申し立て、裁判所が撤回の効力無効を認めれば一時的に止まるかも知れない移設工事も再開され、「オール沖縄」は全てのカードを使いきった事になる。
そうなると県知事選挙では「辺野古移設阻止」は争点にはならない!
辺野古移設阻止を争点にする為に「承認撤回」の竹光は抜けないのでは!?
個人的には是非、副知事には早急に「承認撤回」の竹光を抜いて頂き、辺野古問題に決着をつけて貰いたい!
オピニオン面に一般投稿6本(児童生徒の「ぼくも私も」など除く)。
「国の工事強行 本土紙も問う」の那覇市・大見昭子さん(83)は、1月1、19日、2月16日、3月15、28日、4月11、27日、5月3、25日、6月16、23日、7月19日に続き今年13回目の掲載。
「ラジオ体操に 大人も参加を」の八重瀬町・幸地忍さん(73)は、1月6、31日、2月28日、3月23日、4月6日、5月3、27日、6月20日、7月24日に続き今年10回目の掲載。
「ペタンク大会 熱帯びる応援」の南城市・平良礼次さん(70)は、1月1、25日、2月19日、3月9日、4月1日、5月6日、6月7日、7月7日に続き今年9回目の掲載。
「野球交流通し 沖縄を身近に」の大阪府豊中市・松村倫弘さん(51)は、1月8日、2月17日、3月25日、6月6日に続き今年5回目の掲載。
「沖縄戦遺品 県全体の財」の大阪府茨木市・西尾慧吾さんは、今年初掲載。
「『しまくとぅば』の普及と保存」の宜野湾市・仲村元惟さん(81)は、1月18日、2月25日、4月11日、5月15日、7月3日に続き今年6回目の掲載。
カギカッコは投稿欄における見出し。
(おまけ)
8月5日付けオピニオン面「先月の投稿から」によると、7月1~31日の投稿数は、「主張・意見」252本、「論壇」51本、「茶のみ話」94本。同月の掲載は、「主張・意見」130本、「論壇」等35本、「茶のみ話」30本なので、投稿日と掲載日のズレはあるとした上で、掲載率はそれぞれ52%、69%、32%程度となる。
翁長雄志氏は本物の「歴史の男」になったので、もうこれから先は歴史に委ねる。
唯ひとつ。
これからも翁長さんを休ませるつもりは1ミクロンもないだろう「オール沖縄」の面々とは所詮、幸か不幸か守られてきた沖縄という花畑に咲く徒花だが、翁長さんが「オール沖縄」の面々に与えてきたのと同じように出来る人は、たぶんもういない。
若かりし頃、沖縄保守、自民党県連のキラ星的な存在で、彼に期待した自民党員は大勢いたはず。長年続いた革新市政で思い出すのが、昼休みには市役所内が真っ暗になり、住民票1枚とて発行されず薄暗い中、鬱々と待つ那覇市民のいくたりか、、。時流に沿ったものとは言え、翁長新市長誕生をキッカケに改善されていった。お昼12時薄暗かった役所の窓口が明るく、活気にあふれた場所になっていった。その時、翁長タケシは間違いなく沖縄の新星、スターだった。
翁長一族悲願の「県知事」の座を射止めた時が彼の絶頂期だったのだろうか?父も兄もなし得なかった「偉業」をやってのけた時、翁長タケシは何を思ったのだろう?
那覇市長時代から、「私服を肥やす」そのやり方に非難批判は出ても、決して自身が汚れるような真似だけはしなかった。悲願の県知事に就任した途端、偶像のメッキが剥がれ始め、一族悲願の県知事も任期満了目前で死去した。彼は本当に上手く立ち回れたのだろうか?狡猾に振舞ってたつもりが、何かに振り回されていたのではないだろうかと思ったりする。
翁長県政のこの4年間とは何だったのだろう?沖縄県民はただ振り回されただけなのだろうか?沖縄が抱える問題が噴出した4年間、翁長県政とは何だったのだろう?沖縄はこれから、何処へ向かおうとしているのか。最期まで「新基地反対」?いや最期まで「撤回」せずに逝った翁長タケシとは、何者だったのだろう?彼が本当に目指していたのは何だったのだろう?との思いだけがふつふつと、、。
ご冥福をお祈りします。