萩さんの話ネタ2

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水曜日・・・雑記

2016-08-17 01:00:00 | 日記
「盆踊り」・・・もう長い間、行っていませんね(^^)
盆踊りの本来は、お盆でこの世に帰って来た先祖の霊を慰めるための踊りと言われています。
そこで、「盆踊り」の基礎知識をご紹介します。
 
記事(2016年8月15日 tenki.jp)によると
 
『盆踊りの最も大切な役割のひとつに「霊を慰める」ということがあります。日本に古くから伝わる祖霊信仰や、仏教の考え方などが習合して、お盆の時期には先祖の霊が、あの世からこの世に帰ってくると考えられていました。盆踊りには、あの世から戻って来た先祖の霊を迎え慰め、そして再びあの世へ送り出すという目的がありました。迎え火や送り火などと並ぶ、お盆の大切な行事としての盆踊りです。
 こうした思想に、「南無阿弥陀仏」という念仏と踊りによって、死者を供養する念仏踊りや、江戸時代、京都などで七夕に着飾った少女たちが踊ったという小町踊り、お伊勢参りの流行に伴って広まった伊勢踊りなど、風流踊りの要素が加わって、今のような盆踊りが生まれたと考えられています。
 盆踊りは、江戸時代には各地で行われるようになりました。それに伴って次第に、娯楽という要素も加わるようになりました。さらに近年では観光の目玉となって、日本国内はもとより、世界中から大勢の観光客が訪れる盆踊りもあります。盆踊りは日本全国で行われています。有名なものでは、日本三大盆踊りと呼ばれる、秋田県の西馬音内盆踊り(にしもないぼんおどり)、岐阜県の郡上踊り(ぐじょうおどり)、そして徳島県の阿波踊り(あわおどり)などがあります。このほか、沖縄県のエイサーも盆踊りの一種です。それぞれの地域によって踊りや音頭なども異なります。ここでは、各地に伝わるさまざまな盆踊りをご紹介します。
 
 西馬音内盆踊り:秋田県羽後町で、毎年8月16日から18日まで行われる盆踊り。国の重要無形民俗文化財に指定されています。その起源は定かではありませんが、鎌倉時代に豊年を祈願して踊ったのが始まりという説や、この地域を治めていた領主が他家に滅ぼされた際に、その遺臣たちがかつての主君を供養するために亡者踊りを踊ったのが始まりという説などがあります。踊り子は、編み笠や彦三頭巾という黒い袋のような布を被って目だけを出します。これは、この世に帰って来た霊の姿を表していると言われています。

 郡上踊り:岐阜県郡上市八幡町(郡上八幡)で7月中旬から9月上旬にかけて、30夜以上続く盆踊りです。会場は広場や、街並みの中、神社の境内、ホテルの駐車場など、一晩に一ヵ所ずつ変わり、ひと夏かけて町を一巡りします。8月13日から16日の4日間は夜を徹して踊る徹夜踊りが行われ、祭りも最高潮を迎えます。江戸時代、当時の藩主が領内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め「身分の隔てなく、無礼講で踊るのがよい」と奨励したのが始まりと言われています。当時は、士農工商というように、制度によって人々の身分がしっかりと定められていました。盆踊りによって、それらの融和を図ったとされています。

 阿波踊り:徳島県内の各地の市町村で行われている盆踊りです。中でも、毎年8月12日から15日までの4日間行われる、徳島市内の阿波踊りは、国内でも最大規模です。その由来は諸説ありますが、阿波の藩祖が徳島に居城を構えた時、その築城祝いに酒をふるまわれた町民たちが、喜びのあまり浮かれ踊ったのが始まり、という説があります。数十人の人たちがそれぞれ集団となって、思い思いのいでたちで、三味線、太鼓、鼓、笛、尺八などで囃しながら踊り歩きます。その踊りは念仏踊りの古い形態が伝わっていると言われています。

 エイサー:沖縄県でお盆の時期に踊られる踊りです。お盆に戻って来た先祖の霊を送迎するため、若者たちが一団となって、歌と囃しにあわせて踊りながら練り歩き、各戸を回ります。旧盆の送りの夜に行われていましたが、近年では盆の迎えの日から数夜連続で行われることが多いようです。』
コメント (1)
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