桜まつりで演劇「水の戯れ」の上演を振り返ってみる。
桜まつりの準備は半年かけてやっています、
昨年の12月21日、山大キャンパス学生会館で「箱の中身」を観劇して、
田布施座に出演してもらいたいと強く思ったのが始まりでした。
少し難航して決定、何回か山口まで行き、代わったばかりの代表と話を進めていった。
台本も貰って読んでみたが、明らかに「箱の中身」より難しい。
暇をみては繰り返し読んでいくうちに、私の中でイメージが出来ていくのだが、
最後の衝撃的シーンとそれに至る演技の難しさが頭から離れない。
「ここで、あらすじを要約して紹介する」
仕立て屋を営んでいる「春樹」40歳の店、
舞台は交番の巡査「増山」、兄大造と半年後結婚する中国人「林鈴」ではじまる。
13年前自殺した弟ヒロツグ、その未亡人「明子」。
その明子に思いを寄せる春樹・・・二人の愛情の葛藤・・・。
そこに純愛主義の少女「菜摘」が絡み合ってくる・・・、
明子にまとわる男の影、不審に苛まれる春樹。
春樹に「愛情」を求める明子・・・、
愛を確かめ合おうとするふたり・・・、
しかし、ふたりの気持ちはどうしても繋がらない・・・。
そこに増山の置いていった拳銃・・・、
手に取ってみる春樹・・・。
二階に上がっていく明子・・・、
拳銃を向け発砲する春樹。
「4月6日のゲネプロ」
この日初めて笛の舞台を観たわけですが、
わたしのイメージとは少し距離がありました。
笛の山大道具倉庫から演出の難波君と田布施まで運ぶ往復車中で芝居について話しました。
演出意図によるものだと解りました。
演技の方もいくつか気になりましたので本番に向けて気を遣いながら二つだけ話しました。
台詞の間・どういうことかというと、
相手との掛け合いで台詞の間があるのですが、そのタイミングが早かったり・遅かったりズレテしまっていたこと。
もうひとつは
台詞のないときの演技が不自然・どういうことかというと、
その状況で相手の台詞を聞くとき、演じようとしている本人が見えてしまう。
登場人物から外れてしまうのです。
その日の帰りの電車で今まで見たことのない悔しい顔を全員がしていたと難波君が書いていました。
翌日の本番は大分良くなっていました。
彼らの良さもこのたび多く感じました。これからもできるだけ見守っていきたいと思います。