「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

安保法制閣議決定の首相記者会見に思う

2015-05-14 23:05:28 | 危機管理
18時からの安保法制閣議決定に関する首相記者会見を聞く。

すでに与党協議(=自公合意)が成立しており、アメリカへの報告も済んだ以上は、
国会での多少の議論はあろうともいわばガス抜き、このまま関係法案が成立することになろう。
(「出がらしのお茶」という表現もあるのだそうな。国会論議に中身はない、ということね。)

TPPの協議にも同じ臭いを感じるのだが、声高に議論されている部分ではないところに、
一連の動きの本質がある。

逆にいえば、そのことをカモフラージュするためにこそ、絵や模型が用いられている、と理解すべき。
まぁ、そのことは、イロハのイ、初歩の初歩。

多少なりとも防衛・軍事をかじった者としては、メディアで流されている表向きの説明で納得するほど、
またその種の説明にリアリティーを感じるほど、馬鹿ではないつもり。

安全保障環境が厳しさを増している?北朝鮮の弾道ミサイルが日本を狙っている?

中国はアメリカと事を構えるほど愚かではなく(「金持ち喧嘩せず!」)、
もちろんアメリカも、中国と事を構える気はさらさらない。
北朝鮮最大の政策目標はアメリカに存在を認めてもらうことゆえ、アメリカには決して手を出さない。
(核兵器を持たなければただの最貧国ゆえ、アメリカがまともに相手をするはずもなく、
逆に言えば北朝鮮の核兵器は対米交渉「入場券」&販売用であって使うためのものではない。)
テロの犠牲が語られているが、テロの原因はどこに?若者をしてテロリストに追いやっている者は誰?
明日を信じられるうちは、人はテロには走らない。
「食と職」を作る仕事にこそ本気で力を入れるべき、ではなかったか?

「130億ドルは砂に消えた」は、湾岸戦争時の日本の国際貢献(の失敗)を描いた
手嶋龍一氏による『外交敗戦』のサブタイトル。
では、これから先、今回の選択(とその延長上で起こること)で失われることになる自衛官の生命は、
いったい一人何円に換算されるのだろう……。

70年間、戦争で人を殺しもせず、殺されもせず、の日本だったが、
今後日本社会は、戦死者の存在に耐えられるのだろうか。
また、日本の平和と独立を守るため、ではなく、いかに同盟国とはいえ他国のために人を殺した者を、
どうやって受け入れるのだろうか。
そもそも、受け入れられるのだろうか。

一つだけ、具体例を示しておきたい。
重要影響事態法案第3条(定義等)は、以下のように述べる。

三 捜索救助活動
重要影響事態において行われた戦闘行為によって遭難した戦闘参加者について、
その捜索又は救助を行う活動(救助した者の輸送を含む。)であって、我が国が実施するものをいう。

大規模災害時における捜索救助活動(SAR)とは根本的に異なる性格のものであることは明白。

「現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が
行われている現場では実施しないものとする」(同法案第2条第3項)とあるものの、
現代戦において前線と後方の差は実質的に意味をなさないことは、多少とも軍事を学んだ者には常識のはず。

軍事的任務としての捜索救助活動で敵味方双方ともに犠牲者が出ないなんぞあり得ん!
(威嚇射撃したら敵はしっぽを巻いて逃げていくとでも言いたいのだろうか……。)

未だに日本がアメリカの軍事的占領下にあることは否定し難いとしても、それにしても、
「シッポを振る」ではなく「シッポは振り切れている」と言われている日本。

「世界の警察官」役を独力で担う力を失いつつあるアメリカにとって、
小なりとはいえ「カモが葱を背負って」、つまり人も金も物も出すというのだから、
アメリカの歓待もリップサービスとしては安い物、か……。

ここまで日本は堕ちてしまったのか、とも思い、もちろん空しさを感じない訳でもないが、
その一方で、「言っても無駄」「何をいきがっていることやら」と言われようとも、
やはり、発言をし続けなくてはならない、とは思った。


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