「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

旅の坊主 原点へ (その5)

2007-03-21 23:44:16 | Weblog
 6時に起きる。シャワーを浴び、チェックアウトの準備。残念ながら朝食は
食べ損ね。ホテルについて訂正。ちゃんとジムもスパもあった。それに気付かず、
使わず仕舞だったことが残念……。

 7時15分頃、迎えのミニバスが到着。ピピ島へのフェリーが出る波止場へ。
K君O君とはこの波止場で待ち合わせのはずだったのだが、彼らから電話。
「先生、迎えのバスが待っても待ってもこないんです。もう30分も待っています。
どうしたらいいでしょう?」

 「ともかくタクシーを捕まえて波止場まで来い!」と言ったのだが……。

 後でわかった話だが、パトンビーチのホテルを周りピックアップするミニバスが
事故を起こしたとのこと。代わりのミニバスは出したのだが、8時30分のフェリー
出航には間に合わず。事故ゆえ旅行会社に文句を言う訳にもいかなかったが、
会社もさすがにそこは「メシの種」を怒らせるようなことはしない。という訳で、
乗り遅れた面々はジェットボートでフェリーを追いかけることに。

 ピピ島。

 話には聞いていたが、本当にこぢんまりとしたきれいな島。ホテルは奮発して
エクストラベッドを入れて3人分で約16,000円。まぁ、K君O君の新婚旅行リハーサル
経費を持ってあげた、というところ、か。

 荷物を解き、さっそくまちへ。といっても、10分も歩けば波止場に着くような
小さな島。久しぶりに素足に砂を感じながら歩く。それにしても、日本人の姿を
ほとんど見ない。「被災地が観光地なら、遊びに行ってお金を使うことが最大の
復興支援になる」という厳然たる事実は、日本人のメンタリティーでは理解し得ない
ということなのか……。

 南側に開いたトンサイ湾(個人的にはビーチと呼ぶべきだと思う……。)
 ビーチ沿いの店はどれも真新しい。津波ですべてを持っていかれた後、何とか
再開にこぎつけたということであろうか。観光客が増えていくのを願うのみ。

 タイ料理を中心とした昼食。同行動中は学生にメシを食わせるのは教員の仕事の
うちと思おう。夕食を一緒にすることにして、しばらくは個別行動に。

 町と言っても100m×300mにほとんどが収まるような小さな町。ともあれ、
写真を撮りながらいろいろと歩く。数多くみかけるタイ式マッサージ店の一つに入り、
背中と首と肩のマッサージ、1時間350B。肩こりや首の張りは僕らの職業病のような
もの。少しは運動をしろ、ということなのだろうが、まぁ、ここは地元にお金を
落そう、と。

展望台まで10分ほど歩く。まちの全体像が理解できた。白い砂浜とエメラルド
グリーンの海。本当に絵に描いたような南の島。まち中にダイビング・ショップが
多いのもうなずける。海岸沿いにレストランやバンガローがあるのも当然のこと。

 津波に襲われるかもしれないから、そんな場所に店を建てるな、とは誰にも言え
ない。

「9999日は恵みをもたらすが、一日荒れ狂う。そんな海とどう付き合うか」

 一昨年、宮古市の鍬ヶ崎小学校で行なったDIGの最後の課題だったが、多分、ここ
ピピではもう少し発生頻度は低いだろう。そして次の津波も遠地津波ならば、財産は
ともかく、人命の損失をゼロにすることは十分可能だと思った。その日まで、人々の
記憶を、世代を超えてどう伝えていくかが大きな課題だが。

 夕食は、あえて『地球の歩き方』にある「欧米人のたまり場」というステーキ・
レストラン。二次会は、「避難施設」の看板が出ているオープン・エアのバーへ。

 『地球の歩き方』には、毎週月曜日にはニューハーフ・ショーがあるバーの紹介も
あったが、残念ながらこの日は月曜日ではなく、という訳で、こいつは次の機会に。


                                    (3月22日記す)
                                    (遅れ馳せながら4月15日アップ)