「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

大型影絵芝居「スバエク・トム」とティー・チアン一座のこと(その2)

2015-09-07 23:51:52 | 日常の一コマ
昨日(9月6日)は、大型影絵芝居「スバエク・トム」漬けの1日だったのだが、
ブログ記事は、「旅の坊主」の文章力不足ゆえどうにも説明調になってしまった。我ながら情けない。
(説明は本家ホンモノの福富先生にお任せすることにしたい。本当にわかりやすい資料なんです……。)

この日は都合3回、シェムリアップ市内も中心部に近い集落の練習場に通うことになった。
午前中は人形の動かし方を教えてもらった。
何せ、影の部分だけでなく、遣い手の姿も映し出されるのが「スバエク・トム」の特徴、
さらには、スクリーンの前で、巨大うちわ状の皮人形を頭の上に掲げながら演じ手も踊る訳で、
これはなかなかのパフォーミングアートでありました。

残念ながら、「旅の坊主」には、運動神経もダンスのセンスもなく、
文字通り手取り足取り教えてくれる一座の方々からすれば、教え甲斐のない者だっただろうなぁ……。
(そういえば……。ブレイクダンスを趣味としている教え子がいるが、彼ら彼女らならばうまくやれるのだろうか……。)

昼食を市内のレストランでとった後の午後の訪問時には、使われている楽器も触らせてもらった。
大太鼓、小太鼓、木琴、環状に置かれたゴング、リード楽器、等々、9人の楽士が携わるのが本来なのだそうな。
保証の限りではないが、楽曲の調子は半音なしのト長調に近いように思われた。
最近は、この(ト長調?の)ドレミファソラシドに近い調律になりつつあるのだそうだが、
このことをあまり良くは思っていない人もいるのだと教えてもらった。
(西洋音階に慣れた者には調子外れにも思えるが、文化圏も違えば音階も違って当然だろう。)

さらに、牛の皮の人形についても、名刺大の皮をいただき、細工の真似事もやらせてもらった。

夕食の後、とっぷりと日が暮れてから三度目の練習場訪問。これがクライマックスだった。

練習場の外に張られたスクリーンと、人の背丈ほどの台の上に用意されたたき火。
(ちなみにこのたき火には、煙が出ないよう、乾燥させたヤシの実がくべられている。)
開演前の、ヴィシュヌ神とシヴァ神、芸能の師を示す神仙への祈り。
語り部の2人による掛け合い。
(決まったセリフを読むのではなく、かなりのアドリブがあるのだそうな。)
場面場面を盛り立てる楽団の演奏。
(行進場面用の曲、祈りの場面用の曲など、場面に応じた20曲くらいのレパートリーがあるとのこと。)
そして何より、幻想的な炎と影、演じ手の動き。

得難い一時でありました。

ポルポト時代を生き抜き、その後、廃れかけていた「スバエク・トム」を復活させるべく尽力したのが、
一座の名前にもなっている、今は亡き「ティー・チアン」翁。
このティー・チアン翁に弟子入りし、失われていた「スバエク・トム」の物語を聞き書きしたのが、
今回のコーディネーター、福富先生だった。
炎と影、演じ手・語り部・楽団が醸し出す物語、あるいは雰囲気には、
なるほど、他にはない何があった。

こういう非日常を体験できたこと。それが、この旅で得られた大きな財産だった。
その場を盛り上げて下さった旅の仲間にも感謝を!

大型影絵芝居「スバエク・トム」とティー・チアン一座のこと(その1)

2015-09-06 23:53:50 | 日常の一コマ
前にも述べたが、今回のシェムリアップへの旅は、「旅の坊主」にしては大変珍しい旅だった。

過去3回実施できたものの、今年度は参加者ゼロで成立しなかった(もちろん来年度は何とか復活させたいと思っている)
学生とのスタディーツアーに向けた事前調査が旅の主目的ではあるが、
防災・危機管理とは直接の関わり合い話。
また、いつもは自由旅行で、足も宿もその日その日の行動も自分で決めるのが常だが、
今回はテーマ性の大変強い企画旅行への参加となった、ということ。

コーディネーターを務めて下さっている福富友子先生、添乗員のピース・イン・ツアーの佐々木愛さん、
これに対してツアー参加者が「旅の坊主」を含めて4名なのだから、
企画としてペイしているのか、と、大いに気になるところではあるのだが、それはそれとして。

標題は、福富先生による、今回のツアーの資料の標題。
A3両面印刷(A4版二つ折り)×2枚なのだから、決して大部という量ではないのだが、
大変コンパクトにまとめられた、資料作りはかくあらねばならないという見本のようなもの。
(「旅の坊主」の仕事も、これくらい資料作りを熱心に行えば、多少は変わるだろうか……。)

大きい物では縦1.5m×横1mほどある牛の皮で作った「人形」。
(影絵用のものも人形という表現でよいのだろうか……)
皮を打ち抜き(⇒皮を線状に残して輪郭線にするなど)、あるいは1mmほどの小さい丸を連続で/間隔を空けて打ち抜くことで模様を描き、
それに持ち手となる竹の棒をくくりつけたもの、これが「スバエク・トム」(大きな皮の意味)なのだそうな。
つまりは「スバエク・トム」とは、影絵芝居の名前でもあるが、それに使われている人形の名前でもある。

今日は終日、この「スバエク・トム」三昧だったのであるが、これがまぁ、なかなか出来ない体験でありました。

演目はただ一つ、南アジア・東南アジアには広く伝わっている「ラーマーヤナ」のカンボジア版
「リアムケー(リアム王子の栄誉)」。
この一つだけというのに、「あれっ?」「他の演目は?」と思った訳だが、、
これが何幕も何幕もあるもので、1日4時間×一週間とか、やれる中身なのだそうな。

練習場は、シェムリアップ市内にある、KDDI財団からの資金援助で建てられたもの。
KDDIがそういう活動をしているとは知らなかったが、味のある金の使い方をしているではないか!

影絵(あるいは人形劇)と聞くと、演じ手(人形を操作する者)は下に(あるいは上に)隠れ、
光源を背に、人形だけがスクリーンに映し出されるようにする、のが本流だと思い込んでいた。
ところが、スバエク・トムは違う。
縦4m、横10mほどのスクリーンが用いられる訳だが、
照明(光源と呼ぶべきかな?)にたき火を使うのは「ほぉ、なるほど」であるとして、
たき火とスクリーンの間で演じ手が人形を操るのみならず、
人形を持ったままスクリーンの客席側にも表れ、演技(?)をするのだった。
さらに観客も、スクリーンの前に座っているだけでなく、
スクリーンの後ろ側(光源側)に回り込み、たき火を見つつ、演じ手の動きも見つつ、というのが
許されている人形劇なのだそうな。

うーん……、どうも長くなるなぁ……。
一度この辺りで切って、仕切り直しをすることにします。

舞踊と白骨と

2015-09-05 23:41:08 | 日常の一コマ
ピース・イン・ツアーによる「影絵芝居を伝承する村を訪ねて」、
実質スタートの今日は、午前中はツアーのコーディネーターを務めて下さっている福富先生による、
カンボジア語(クメール語)とカンボジア現代史についての講座から。

2時間ほどという限られた時間ではあったが、カンボジア語の基礎の基礎は
何となくわかったような気にはなった。
(もちろん、実践で使えるレベルには程遠いが……。)

昼食の後、午後はシェムリアップ市内のお寺の講堂で、
「アプサラダンス」の練習風景を見学させてもらった。

アプサラダンス=天使の舞。
水の精か海の精か、天女というのか、その辺りはよくわからないが、
頭に重い冠をかぶり、金色の衣装で着飾った上で、踊りを見せてくれる方々。
その、練習風景の一端をのぞかせてもらった。

御年81歳になられるソコンさんとおっしゃるお師匠さまは、1962年から踊っているとのこと。
ちなみに師範代のチェ・チョムさんも72歳。
当然のことながらお二方とも、ポルポト時代以前から踊っておられたことになる。
ポルポト時代はもちろん踊ることは許されず、
舞踊に携わっていたということを知られただけで殺されかねない状況もあったのだろうが、
その時代をなんとか生き抜いたのだ、と。
(さらっと言っていたが、言うに言えないこともあったことだろう、と思う。)

1980年代に入り、古典舞踊を復活させたいとして州知事に直談判、
一番初めに復興を成し遂げ、今は40人の教え子を持つ方。

芸だけで食べていくことは、どこの世界、いつの時代でも大変なこと。
パトロンのレベルには到底立てない「旅の坊主」ではあるが、
理解者・支援者にはなりたい、と思い、ずっと過ごしてきている。
ちなみにこの日の夜は、目の前でアプサラダンスを見せてくれるレストランでの夕食だったのだが
少額の「おひねり」であったのだが、妙に嬉しがってくれた。
(逆に気恥ずかしいくらいでもあった。)

生活が成り立たなくては、芸術もなりたたない。
民俗学的には、農作業や漁の合間合間に行う素人演芸にも意味があるのだろうが、
今日見せていただいたものは、そういうレベルのもの、ではあるまい。
王家直属の舞踊団レベル、になるのかどうかはともかく、
素人芸のレベルではない=専従者レベル=その芸で食べられる者を目指して、ということ、なのだろう。

お師匠さまに教えられている若い世代は、アプサラダンスだけで生活できるのか、
余計なことかもしれないが、そんなことを考えていた。
(それこそ、授業料って月幾らなんだろう、とか、どのレベルになったらステージに出させてもらえるのだろう、とか、
1ステージいくらもらえるのだろう、とか。いずれも、下世話な話ではあるのだが……。)

ともあれ、古典舞踊の復活を担ってきた方々の息吹を、多少なりとも感じさせてもらった次第。

練習場であるお寺のお堂(普段は僧侶が食事をする場所等々として使われている)を失礼して、
本堂をぐるっと回った後、ホテルに戻ろうか、と話をしていた時、それが目にとまった。
本堂の床下部分に、ゴミと一緒に無造作に置かれていた白骨。
この寺は、国内160ヶ所ほどあったという処刑場として使われていた訳ではないらしい。
それでも、日本流に言うならば「供養もされず」放置されている白骨。
特に、気にしている節もない。
この国の歴史が、そうさせているというのだろうか……。

何か手はないものか、と、思うのは、旅人ゆえの身勝手さ、なのか?
供養塔を建てるだけの資金を出す力はないが、
本堂の床下に潜り込むための穴に、扉を作るくらいの金からば出せそう。
そういうもの、なのだろうか……。

「影絵芝居を伝承する村を訪ねて」

2015-09-04 23:52:40 | 日常の一コマ
タイトルは、今回、「旅の坊主」がランドオンリーで参加することになったツアーの名前。

大学3年の時の初めての海外旅行で、個人旅行の楽しさに開眼し、
それ以降は基本的にはツアーには参加しないことを旨としている「旅の坊主」ではあるが、
ことカンボジア・シェムリアップのスタディーツアーについては顕著な例外。

企画者側とのお付き合いの中で、いろいろな思いを理解できるようになり、
それからは、企画者側の思いを尊重すべく、中身は先方にお任せという旅となっている。

原稿書きもあって2日ほど先行していたが(おかげさまで11500字モノを1本入稿できました)、
今夕、本隊がシェムリアップに到着、「旅の坊主」も合流させていただいた。

ツアーコーディネーター、添乗員を含めても6人という、小規模なツアーとなったが、
その分、充実した時間を過ごせそうで、今から楽しみである。

ポルポト政権下、700万?800万?国民の1/4とも1/3とも言われる人数が虐殺され、
文化も科学も技術も教育も、ズタボロにされてしまった訳だが、
何とか生き残った者が何とか再興したシェムリアップの影絵。

その再興に尽力された日本人女性がコーディネーターとなって下さったツアー。
音楽を除くと芸術的センスのない「旅の坊主」ではあるが、
多少なりとも国際関係は学んだ訳で、70年代半ば以降に何があったかについては、
最低限度の背景の知識は持っているつもり。

政治的にモノを考えるのは、あまり芳しからぬことなのかもしれないが、
背景を流れる政治的なものを抜きにして、世の動きをとらえられないのもまた事実。
もちろんツアー中は影絵芝居やその伝承者たちの話に集中するつもりだが、
どこかで、その背景についても考え続けるのだろうなぁ、とは思っている。

ともあれ、2日間のカンヅメが奏功して、ツアーの間は昼間からビールが飲めそう。
しばらく、文化的な時間を過ごせそうな「旅の坊主」でありました。


書くことで考えを整理するということ

2015-09-03 23:53:40 | 日常の一コマ
好天に恵まれた当地シェムリアップで、「何をしているんだか……」と我ながら思っているが、
終日ホテルの一室に籠り、原稿書きの一日となった。

プリンターを持って来なかったことが痛恨のミスであった。
拙宅には携帯用プリンターもあり、旅支度にプリンターを入れていた時期もあったのだったが……。
というのも、画面で見るのと打ち出されたもので見るのでは、
文章の良し悪しについての感覚が全くことなるものだからなのだが、
(ちなみに、A4版ベタ打ちの初稿入稿時点と、段組みがなされてからの感覚も大きく異なるのだが)
黙読に近い形で何度も読み返し、語感というよりも語調を考えつつ、行きつ戻りつで原稿を書いている。
という訳で、学生の小論文指導の目安である「60分で800文字・90分で1200文字」程度の、
かなりゆっくりとしたペースとなってしまっているが、まぁ、着実に形になっているだけ良しとしよう。

それにしても……。
原稿を書けば書くだけ、書くことで考えを整理しているのだなぁ、ということに気付かされる。
(もっともこれは、「旅の坊主」に限ったことなのかもしれないが……。)

日々のブログ原稿は書き殴りに近いが(それでも書き上げてから最低2回はチェックしているが)、
学術書への寄稿依頼であり、つまらんモノは載せられない。
というので、書いては読み直し、の繰り返しとなっている訳だが、この過程で、
「自分が言いたかったのは、こういうことだったのだ」ということが、表現できてくるのが嬉しい。

書いたものを読み直すと、論理性や体系性に欠けていることは当然としても、
表現として「どこか足りない」「言いたいことはこれではない」というものが、幾つも出てくる。
本来であれば、それを日々繰り返すべきことが大学人なのだろうが、
「旅の坊主」はどうも、まずは体が動いてしまうようで……。

それでも、こういう得難い「カンヅメ」の時、幸いにも原稿書きの神様が降りてきてくれたようで
歩みは遅くても、現実逃避モードにならないのがありがたい。
(現実逃避モードでの仮寓の掃除や古新聞処理なども、ありがたいと言えばありがたいのだが……。)

余計なことを言ってしまった。
「影絵芝居を伝承する村を訪ねて」のツアー本体の到着まで残り1日。
残りは何千字?