「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

小雨の中の帰国&日常へ

2015-08-26 23:59:45 | 日常の一コマ
上着が必須の日もあったドイツに比べて(昨年夏のパリも異常なほど寒かった!)、
うんざりするような東京の夏か、と覚悟していたのだが、幸か不幸か、成田は小雨だった。

聞けば、夜は20度を下回るようになった、というのだから、
猛暑のピークは過ぎて、文字通りの残暑になりつつあれば本当によいのだが。

大きな荷物は大学気付で送り、母とは成田空港で別れ、
デイパックとキャリーバッグという、いつもの(?)国内での旅行姿となり、まずは築地へ。

のびのびになっていた、「防災まちづくり&防災くにづくり教育」本への寄稿について、
ようやく頭が動き出した感があり。
出版社Yさんのオフィスを訪ね、編集者Eさんの頭脳&センスも拝借して2時間ほど議論。
多分12000字くらいになるのだろうが、担当分の構成イメージがまとまる。

実際のところは、文字になってからでないと何とも言えないところではある。
もう一度、明後日金曜日に時間を作ってもらうことにしてもらったので、
多分、これで大きな山場は超えられると思うのだが……。

もう一件、『近代消防』誌上での連載について調整すべく、お土産を渡すのを兼ねて、その足で虎の門へ。
こちらは、すでに入稿済みでレイアウトも含めて概ね出来上がっている。
細かい字句の修正のみで、比較的短時間で済んだ。

以下はどうでもよいことだが……。
近代消防社から虎ノ門駅に向かう足を1、2分伸ばすと、「いきなりステーキ」の虎ノ門店がある。
近代消防社の帰路、2回に1回くらいは立ち寄ることがあるのだが、
今回も夕食を兼ねて400g弱をいただく。今回で、肉マイレージカードがゴールドに。
(ということは、少なくても3000gを食べた訳だ。)

まぁ、かくして、日常が戻ってきた訳でありました。

旅の終わりに

2015-08-25 23:49:38 | 日常の一コマ
8月16日に始まった今年の母親孝行の旅も、あとは日本に帰るのみ。

(今回の旅で初めてJAL SKY WiFiを使ったが、良いのか悪いのかはさておき、
便利なものであるには間違いないな、とは思う。)

プラハからの帰途、フランクフルトで半日を過ごした。
フランクフルト発のJAL便は17時過ぎの離陸ゆえ、ギリギリまでプラハに滞在できるような、
そんなフライトを選べばよかったのだろうが、準備段階ではそこまで思いが及ばず。
で、5時前に動き出して7時過ぎのチェコ航空でフランクフルトに戻る羽目に。
まぁ、それもあり、か。

ユーレイルパスを半分使い残すという情けない状況ゆえ、時間調整の意味も込めて(!)、
フランクフルト空港駅⇒フランクフルト中央駅⇒コブレンツ⇒ケルン⇒空港駅という、
車窓からラインを眺めつつ食堂車でドイツビールを、という「乗り鉄」コースも考えたが、
結局のところ、先週月曜日に(定休日ゆえ)鑑賞出来なかったシュテーデル美術館を訪問、
「旅の坊主」には似合わない美術鑑賞となった。

自慢ではないが、美術のセンスも知識も皆無の「旅の坊主」。
それでもヨハネス・フェルメールの「地理学者」くらいは知っている。
フェルメールをじっくりと独り占めできるのが、ヨーロッパの美術館めぐりの素晴らしさ、なのかもしれない。

どうでもよいことだが、どうにも宗教画は性に合わない。
なんであんなに人間的でない絵を、何世紀にも渡って描いていたのだろう……。
煩悩に悩み、煩悩と戦うことにこそ、人間だろうに……。
(神聖を帯びたものであるがゆえに下賎の者どもとは違った顔をしている、というのだろうが……。)

民族性に酔いたくはないし、酔ってはいけないとも思っているが
(もちろんそれが排他性につながるがゆえなのだが)
今回の旅では見ることの出来なかったアルフォンス・ミュシャの『スラブ叙事詩』はどんな絵だったのだろう。
民族性あふれるものであることは、間違いあるまい。

音楽でいえば、昨日スメタナホールで聞いた『我が祖国』やドボルザークの『新世界より』、
チャイコフスキーの『大序曲1812年』といったもののほうが、よほど性に合っている。
まぁ、それもどうでもよい話。

「地理学者」も素晴らしかったが、「ネズミのダンス」の存在感も大したものだった。
そして、現代絵画の中では1枚、「ベルリンの壁にを描かれた最初の絵」と題されたもの、これが気に入った。
(どうも、「旅の坊主」は、根からの政治的人間らしい……。)

「牛に曳かれて」ならぬ「母にお供での」美術館めぐりではあったが、それなりの収穫はあった。
ただ、それよりも、この旅で三度目のレーマー広場で、
アップルワインを飲み、シュバイネブラーテン(豚肉を煮た物)を食べながら、
母ととりとめもない話をしながら時間を過ごすほうが、よほど意味があったのかもしれない。

今日8月25日は亡き父の誕生日。生きていれば今日で83歳になるはずだった。
父が存命中には、両親を海外旅行に引っ張り出そうなどとは思いもしなかった。
男親と長男の関係というのは、そういうものなのかもしれない、と思いつつ、
親父と共にドイツとチェコを旅していたら、何を語り合っただろう……。

ともあれ、成田に着けば旅は終わり、日常が戻ってくる。
帰国早々、16時過ぎからは編集者さんとの打ち合わせ!

「今、万感の思いを込めて、汽笛が鳴る。
今、万感の思いを込めて、汽車が行く。
一つの旅が終わり、また新しい旅が始まる。
さらば、メーテル。さらば、銀河鉄道999。
さらば、少年の日よ、少年の旅よ。」
(『銀河鉄道999』より)

プラハ・スメタナホールで「モルダウ」を聞く

2015-08-24 23:55:41 | 日常の一コマ
プラハに行くことを決めたからには、ぜひ行ってみたい場所があった。
それが、スメタナホール。共和国広場近くの「市民会館」の内にある。
(日本のどこぞの市民会館と一緒にしてもらっては困る、あまりに大きなレベルの差……。)
(文化の香りは、いったいどこに……。)

20年以上前の話になるのだが、何の気なしに買った、ラファエル・クーベリック指揮の『我が祖国』。
言わずと知れた、スメタナによる名曲なのだが、このCDが記念碑的存在だということに気付いたのは、
買ってからしばらく経ってからのものだった。

チェコが生んだ名指揮者、ラファエル・クーベリック。
しかし彼は、チェコスロバキア共産党に批判的な立場から亡命を決意、母国を離れての活動が40年以上続いていた。

1989年11月の「ビロードの革命」により共産党政権が崩壊、
大統領に就任したヴァーツラフ・ハヴェルの要請で、1990年のプラハの春国際音楽祭に合わせて帰国、
音楽祭の開始を告げるスメタナの『わが祖国』を、チェコフィルと共に演奏した時のライブ録音、
それがこのCDであり、その演奏会場がスメタナホールだった。

「プラハに行くならスメタナホールに行きたい。可能ならば『わが祖国』を聞きたい。」

とはいえ、そんなことは無理だろうなぁ、と思っていたのだが……。
最近はネットで海外のコンサートも調べられるし予約もできる。
母との旅程の大枠が決まった時点で、ひょっとしてスメタナホールで何かないか、と探していたら、
今日8月24日、一般向けのクラシック音楽入門コンサート、という感じではあったのだが、
「モルダウ」を含むプログラムが組まれており、「これは行くしかない!」となった。

20年ぶらいくらいのクラシック音楽のコンサート。
オーケストラといっても52名とのことゆえ、そんなに大編成とは言えないが、
耳に馴染んだ定番曲ゆえ、安心して聞くことができた。

ちなみに、今宵のプログラムは以下の4曲。

ビゼー『カルメン』
スメタナ『わが祖国』より「モルダウ」
ガーシュイン『ラプソディー・イン・ブルー』
ラヴェル『ボレロ』

まぁ、これだけ楽しませていただいたのだから、ありがたい話。

プラハに行くことが出来たら、これも見たい、あそこにも行きたい、と思っていたが、
結局のところ、準備不足や調査不足で、願望の1割か2割かが出来ただけだった。
プラハ城にも行けなかったし、ミュシャの「スラブ叙事詩」も見ることが出来なかった。
クーベリックの墓、スメタナやドボルザークの墓に花を供えたい、とも思っていたが、それも出来ず。
まぁ、スメタナホールで、「モルダウ」だけであれスメタナの『わが祖国』も聞けたのだから、
十分元は取ったかな、と思っている。

わずかな時間だったが、ヴァーツラフ広場にも足跡を記せた。
あれから四半世紀が経っているとはいえ、現役の社会人として活動を始めていた時期の出来事。
携わった方々の思いを何ほどもわかる訳ではないが、
少なくても「無関心ではないぞ」「忘れてはいないぞ」という自分への再確認は出来たように思う。

明日は早朝より動き出して、フランクフルト経由で帰国の途につく。
母と二人で過ごす時間もあとわずか。

段取り八分:あるいは「自分にしか出来ない=整理整頓ができていない」について

2015-08-11 23:55:30 | 日常の一コマ
教員免許更新講習の本番前日となり、ようやくマインドセットが出来上がり、
具体的な準備へと取り掛かれることになった。

オーバーレイ(注:陸上自衛隊が地図の上にかぶせて書き込みをする際に使用する硬質ビニール)を買いに御殿場まで車を走らせ、
あるいは地図を借りに富士市役所危機管理課を訪ね、さらに資料印刷・ホッチキス止め・会場レイアウト等々に取り掛かる。

その作業の途中、考えた。「俺は一体、今、何をやっているのだ?」

事前に(十分な余裕をもって)依頼をしておけば、手伝ってくれる者はそれなりにいる。
しかし、事前にその段取りをしておかなくては、直前になって自分がやることになる。
手伝ってくれる者が経験値を高めていけば、それだけ準備の質も高くなる。
そのことは十分わかっているはず、なのだが……。

手元に若松義人『トヨタが「現場」でずっとくり返してきた言葉』(PHPビジネス新書)がある。
「旅の坊主」の仕事のやり方は、この、あるべきトヨタ式に比べると、我ながら情けないほどの低レベル。
指示書一つ、まともに書けていないのだから、話にもならない。
その場対応の積み重ねでは、プロジェクト、つまりは大きな仕事は出来ない。
プロジェクトを仕切るには知恵がいる。

整理整頓には、研究室の整理整頓もあるが、より重要なのは頭の中の整理整頓。

幸いにも、前期の成績登録と水曜日と金曜日の教員免許講習を終わらせば、しばらく完全オフの旅となる。
パソコンは持って行くつもりだが、多分、新しい仕事をしてはならないのだろう。
「自分しか出来ないイコール整理整頓ができていないこと」と心得、
自分がいなくても仕事ができるようにするためにはどうすればよいのか。
そのことを考える時間とすることが求められるのだろう。

段取り八分。昔から良く聞いていた言葉だが、依然として身に付いていない。
「忙しい」は理由にならない。「旅の坊主」よりも忙しい人間など、世の中に山といる。
生産性を高めるための工夫、オーラスとは言わないまでも、最後から○番目のチャンス、
かもしれないのだから。

国立競技場改築に思う:この集団無責任体制は何?

2015-07-08 22:04:03 | 日常の一コマ
情けない話が続いている。

「旅の坊主」は防災・危機管理をフィールドとする者ではあるが、
そのような者でも、国と地方の1300兆円余の借金の話は理解しているつもり。
少子化・高齢化、つまりは社会の活力は低下し、財政規模も縮小せざるを得ない中、
今後の公共施設は、よりコンパクトで、維持管理コストの低いものにしなくては、
というのが、当然の方向性だと思っている。

設計コンペということは、建設費など、幾つもの条件が示された上で、
その中でデザインに知恵をしぼる、というものではなかったのか?

あるいは、「このデザインにはいくらいくらの額がかかります」というものも、
併せて提示されるものではなかったか?

あるいは、「このデザインであればいくらいくら程度かかるでしょう」ということを、
デザイン案が出た後、しっかり原価計算をした上で、で、招致計画書をまとめるのではないか?

いずれにしても、100億単位の(状況によっては1000億円を超える?)差がでるようでは、
「出来レースかよ?!」「確信犯か?」と言いたくもなる。

1000億円近い建設コストの増額と、まだ幾らかかるかも明らかにされないオリンピック・パラリンピック終了後の改修費、
さらに、こちらも幾らかかるかがわからない維持管理コスト、等々。
打ち出の小槌がある訳もなかろうに……。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでは、
この種の狂想曲が至る所で繰り広げられる、ということなのだろうか?
どれほど多くの人が、「私もそのおこぼれにあずかれそうだ」と思っているのだろうか?

維持管理コストでパンク、というのは、平成の大合併に絡む特別債を原資とするハコモノ作りで
こりだのではなかったか?

それとも、国立競技場は例外だというのだろうか???

将来の世代に、赤字のみを生み出す巨大な迷惑施設を押し付けることになるのか?
どこかの国の話のように、どうにもならなくなった挙句、1円で売る、
なんて話を目の当りにするのだろうか。

この種の狂想曲では、どこからか、金が湧いてくるものだ、と、言った人がいるとかいないとか。
でも、それは、もとをただせば税金なんだよなぁ……。

それとも、金が集まるまで、なんぞのギャンブルで寺銭を稼いでいこう、ということ、なのだろうか?

この集団的無責任体制は一体なにか。
いつからこの国は、明確な説明をしなくなってしまったのだろうか。
それとも、公然と嘘をつくことが政治的な役割、とでもいうのだろうか。

すっきりしないことが横行する時代になってしまっている……。