<国立歴史民俗博物館>
縄文時代について調べている最中、
信州や武蔵を中心に発掘された、
奇抜なフォルムの土器群が目が留まりました。
「勝坂式土器」と呼ばれるそれらの作品には、
人体や動物を象った奇妙なモチーフが数多く見られ、
以前ご紹介した「顔面把手付土器」などは、
勝坂式を代表する土器のひとつです。
そして、顔面把手付土器とともに
勝坂式のシンボルとしてあげられるのが、
「蛇」を施した土器、および土偶でして、
これらの作品は「邪身装飾」と名がつけられ、
他の地域には見られない独自の造形美を
伴う縄文遺物として高い評価を得ています。
一説によりますと、この「勝坂式」
の作品に影響を与えたのが、
中国の揚子江近辺にいた
「龍蛇」の信仰を持つ民族だったのだとか……。
以前、「縄文」をテーマにした記事内で、
「少なくとも縄文晩期には稲作が始まっていた」
と書きましたが、これらの説を踏まえれば、
「勝坂式」が制作された縄文中期前半
(約5,000年前~約4,500年前)にはすでに、
「龍蛇」を信奉する「海人系」の人々の手によって、
「稲作」が日本へと到達していた可能性もあるのでしょう。