<諏訪湖>
縄文中期前半、「稲作文化」とともに
やってきた「龍蛇族」の人々が、
信州や関東一円に「蛇」への信仰を
広めたと仮定するなら、
なぜ「龍蛇神信仰」の聖地である出雲地方で、
「蛇」をモチーフとした土製品が
見つからないのかが不思議と言えば不思議です。
普通に考えれば、縄文時代の
中国地方の人口密度の低さが、
土製品のバリエーションの
少なさに関係すると思われますが、
それにしても縄文時代の「蛇」
の分布が偏りすぎている裏には、
表に出ない何らかの理由があったのではないかと、
個人的には怪しんでしまうのですね。
そんなことをつらつらと妄想しながら、
出雲神話の本を読んでいる最中、
ふいに頭に浮かんだのが、
「タケミナカタ」に関する物語でした。
もし仮に、タケミナカタの
出雲から信濃地方への逃亡劇が、
「龍蛇族」の移動と関係しているとすれば、
諏訪近辺に広がる「蛇文様」の土製品の
謎を解くカギになるかもしれません。
果たして、「龍蛇族」の人々と出雲、
そして諏訪とのつながりはいかなるものか、
これらについては改めて考察することにしましょう。