<里川・倭文神社 さとがわしとりじんじゃ>
倭文神社の倭文(しとり)という名称は、
「しずおり」「しずはた」と呼ばれた
古代の織物を指す言葉だそうです。
一説によりますと、「しず」の技術は、
海人族から伝えられたものともいわれ、
同じ名前の神社が各地に存在しています。
現在は柱の部分だけを朱色で縁取った
小さなお社が建てられていますが、
社殿の裏へと回ってみますと、
そこにはやはり矢倉系神社の証ともいえる
石の祭壇らしき跡が残っていました。
海人族がこの地に織物をもたらし、
「倭文」の名がつけられる前は、
近隣地域の矢倉神社と同じように、
自然信仰の場だったのでしょう。
その後、この地を訪れた渡来人により、
南方の色が加味されたかもしれません。
倭文という海の香りを纏う言葉と、
古代ユダヤの魔よけの風習である赤い柱が、
心の中に様々なイメージを投げかけていました。