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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

海人族の社

2017-03-22 10:22:45 |  無社殿神社2

<里川・倭文神社 さとがわしとりじんじゃ>

 

倭文神社の倭文(しとり)という名称は、

「しずおり」「しずはた」と呼ばれた

古代の織物を指す言葉だそうです。

一説によりますと、「しず」の技術は、

海人族から伝えられたものともいわれ、

同じ名前の神社が各地に存在しています。

現在は柱の部分だけを朱色で縁取った

小さなお社が建てられていますが、

社殿の裏へと回ってみますと、

そこにはやはり矢倉系神社の証ともいえる

石の祭壇らしき跡が残っていました。

 

海人族がこの地に織物をもたらし、

「倭文」の名がつけられる前は、

近隣地域の矢倉神社と同じように、

自然信仰の場だったのでしょう。

その後、この地を訪れた渡来人により、

南方の色が加味されたかもしれません。

倭文という海の香りを纏う言葉と、

古代ユダヤの魔よけの風習である赤い柱が、

心の中に様々なイメージを投げかけていました。


倭文神社

2017-03-21 10:16:55 |  無社殿神社2

<里川・倭文神社 さとがわしとりじんじゃ>

 

***** 無社殿神社3 *****

串本町の和深という地区から、

里川集落へと向かう道を進んで行くと、

小さな橋の向こうに赤い鳥居が見えてきます。

「倭文(しとり)」という名のこの神社は、

串本町里川地区の産土神です。

明治時代の神社合祀の際には、

近隣の八幡神社に統合されたものの、

のちにこの場所に戻ってきたと聞きます。

 

神社合祀令により、表向き廃社となった神社は、

三重県や和歌山県を中心にたくさんありますが、

こうして土地土地の神社を巡り歩いていますと、

「地域の氏神・産土神」という存在が、

地元の人たちの生活と、そう簡単には

切り離せるものではないことを痛感します。

この倭文神社も、地元の人々の努力により、

現在まで守られてきたのでしょう。