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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

上流の神々

2017-01-22 10:10:12 | 無社殿神社1

<小口・高倉神社 こぐちたかくらじんじゃ>

 

熊野川町の小口にある小口・高倉神社は、

「小口自然の家」のすぐ隣に位置する

白い木の鳥居が印象的なこの地区の氏神です。

到着したときは、ちょうどお昼時だったため、

車の中で簡単に腹ごしらえをしてから参拝しました。

 

神社の境内は想像以上に広々としており、

神域との境を示す石垣などもありません。

後ろを振り返ると、広場でゲートボールを楽しむ

近所のお年寄りたちの姿が目に入り、

そののんびりした雰囲気に心がホッと和みます。

 

赤木川やそこから分かれる川筋の上流には、

高倉と名のつく神社がいくつか存在します。

残念ながら今回は行けなかったのですが、

それらの神社の神々も神社合祀により、

この小口・高倉神社に遷されたそうです。


神社の磁力

2017-01-21 10:10:47 | 無社殿神社1

<赤木・高倉神社 あかぎたかくらじんじゃ>

 

もともと山の中腹に祀られていた、

熊野川町の赤木・高倉神社が、

現在の場所に遷されてから、

それほど時間が経っていないようです。

ゆえに、近隣の高倉神社と比べると、

境内の木の数もそれほど多くはなく、

またその姿も若々しく感じられます。

 

ちなみに、この赤木地区へと向かう道中、

しっかりと下調べをしたにも関わらず、

一度この場所を通り過ぎてしまいました。

しばらくしてから間違いに気づき、

慌てて引き返してきたものの、

やはり神社を見つけることができません。

 

何度か道路を行きつ戻りつしながら、

ようやくこの場所を発見したとき、

「ここは新しい神域なのではないか…」

という思いが頭をよぎりました。

古い神域には独特の「磁力」があることを、

これまでの旅の中で体感していたからです。


反骨精神

2017-01-20 10:41:33 | 無社殿神社1

<赤木・高倉神社 あかぎたかくらじんじゃ>

 

神社合祀令および神仏分離令など、

明治時代に吹き荒れた「不穏な風」により、

各地の氏神が次々と淘汰されて行きました。

特に、和歌山県や三重県など、

「古代の信仰」が残る場所ほど、

その傾向は謙虚だったようです。

 

そんな風潮の中、合祀や廃社の流れに対して、

反骨精神で向き合った神社もあったと聞きます。

熊野川町赤木の氏神、赤木・高倉神社は、

近隣にある他の高倉神社とは異なり、

別の場所に合祀されることを拒み、

最後までこの地に残ったそうです。

 

赤木・高倉神社の境内に入りますと、

高倉下をお祀りしたご本殿と、

若宮神・山の神をお祀りしたご社殿が、

並び立つように鎮座していました。

日足の高倉神社にも引けを取らない、

小さくもしっかりとした造りの建物は、

この地区の住民たちの「心意気」を

伝えているのかもしれません。


唸る石

2017-01-19 10:39:23 | 無社殿神社1

<椋井・高倉神社 むくのいたかくらじんじゃ>

 

赤木川沿いにある椋井・高倉神社も、

明治時代の神社合祀令の影響を受けた場所です。

相須のお宮などと同様に、

表向きは日足・高倉神社に合祀されているようですが、

諸々の経緯がありご神体が戻ってきたと聞きます。

 

何でもこの地区の言い伝えによりますと、

新たな鎮座地へご神体の丸石を運ぶ際、

突然石が唸りだしたため、 「これはまずい」ということで、

そのまま石を持ち帰ったのだとか。

 

椋井・高倉神社には、小さな社殿が建てられており、

社殿の中には、今でもその丸石があるそうです。

「ご神体が唸った」「神様が泣いた」などの伝承は、

大切な地元の氏神を、半ば強引に移動させようとした、

神社合祀政策への憤りでもあったのでしょう。


緑色の神域

2017-01-18 10:36:13 | 無社殿神社1

<椋井・高倉神社 むくのいたかくらじんじゃ>

 

相須のお宮から国道44号を遡り、

右手にある山の斜面に目をやると、

イチイガシの巨木が見えてまいります。

周囲を住宅と木立に囲まれた椋井・高倉神社は、

のどかな山村の風景に溶け込むようにして建つ、

楚々とした佇まいの場所でした。

 

ただし、そんな慎ましい雰囲気とは裏腹に、

神社へと続く石段は、傾斜が急な上に

石組みの具合もかなり粗雑で、

しかも所々分厚い苔に覆われています。

一度は引き返そうかと迷ったものの、

意を決して境内へと這い上がっていくと、

そこには苔の絨毯に覆われた

緑色の神域が広がっていました。


川の神様

2017-01-17 10:01:59 | 無社殿神社1

 

<相須・高倉神社跡 あいすたかくらじんじゃあと>

 

相須のお宮はとても気持ちのよい場所でした。

「川」をご神体としている神社は数あれど、

これほど直接的な形で、

「川(淵)」と向き合っている場所は、

珍しいのではないかと思います。

 

ちなみにここは昔、水運の要所だったそうで、

かつては上流から流れてきた木材を貯めておく

網場(あば)があったのだとか。

川の神様への信仰は、

木の神様を敬う行為でもあったのですね。

 

大きな岩の上から静かな川の流れを眺め、

温かい太陽の日差しに包まれていますと、

相須のお宮の神様が、

「この地に戻りたい」と言った気持ちが、

わかるような気がしました。


無社殿の洗礼

2017-01-16 10:03:07 | 無社殿神社1

<相須・高倉神社跡 あいすたかくらじんじゃあと>

 

相須のお宮へと誘う小さな鳥居をくぐり、

川の岸壁にへばりつくようにして作られた、

幅の狭い石の階段を慎重に降りて行くと、

たどり着いたのは大きな大きな岩の上でした。

切り立った崖といくつかの巨石に挟まれたその場所は、

ちょっとでも気を抜いたら、足を滑らせて

川に落ちてしまいそうなほどの狭小なスペースです。

 

ぐるっと周囲を見渡してみても、

小さな灯篭がポツンと立っているだけで、

ご神体を示すような案内板はもちろん、

どこでお参りしてよいかすらわかりません。

とりあえず、目についたそれらしき石や、

目前を流れる川に向かって手を合わせてはみたものの、

どことなくぎこちなさは残ってしまいます。

 

いくら口では「社殿の中に神はいない」

などと偉そうなことを言っていても、

いざ「何もない空間」に放り込まれると、

どこを向いて拝んでよいかすらわからなくなるもの。

「無社殿」という形態が、現代人にとって

これほど戸惑いを感じるものなのかということを、

つくづくと実感させられた瞬間でもありました。


相須のお宮

2017-01-15 10:00:18 | 無社殿神社1

<相須・高倉神社跡 あいすたかくらじんじゃあと>

 

日足・高倉神社に合祀された神社のひとつが、

熊野川の支流にあたる赤木川の川岸にありました。

地元の人たちから「相須のお宮」「宮の元」

と呼ばれるその場所は、熊野川町を走る県道44号を

日足地区から小口地区へと向かう途中のカーブのあたり、

ひょっこりと顔をのぞかせる素朴な木の鳥居が目印です。

 

何でも川のほとりにある相須のお宮は、

川が増水するたびに水をかぶってしまうため、

一度は山の上へと移されたそうですが、

神様が「下に降りたい」と望んだことから、

再び現在の場所に戻ったと聞きます。

鳥居の奥には、澄み切った冬空を映すかのように、

青緑色の光を放つ美しい川面が輝いていました。


合祀と移転

2017-01-14 10:49:36 | 無社殿神社1

<日足・高倉神社 ひたりたかくらじんじゃ>

 

日足・高倉神社が鎮座する「日足」という地名は、

「浸り」が変化したものだといわれています。

熊野川と赤木川が合流するこの地点は、

大斎原の中州などと同様、洪水や氾濫の被害に

見舞われやすい場所だったのでしょう。

 

小高い丘の上に続く急な階段を一気に登り、

瓦屋根の割拝殿をくぐると、

地域の総氏神といった風情の

小さくも立派なご社殿が見えてきます。

周囲にご神体らしき自然物が見当たらないのは、

この神社の歴史が比較的新しいせいでしょうか。

 

調べてみますとこちらの神社は、

合祀や移転を経て今の地に落ち着いたようです。

明治時代に発令された神社合祀政策により、

日本全国の氏神が一か所に集められ、

地域独自の祭礼習俗が多数失われました。


高倉神社の密集地

2017-01-13 10:46:04 | 無社殿神社1

<日足・高倉神社 ひたりたかくらじんじゃ>

 

熊野川の支流・赤木川に沿って点在する名もなき神社に、

「高倉下」がお祀りされるようになるまでは、

それらの場所はすべて、岩や樹木などを遥拝する

自然信仰の場だったはずです。

 

周囲のエリアを探してみても、

これほどたくさんの「高倉神社」が

集中している場所は存在せず、

この熊野川の流域一帯が早い時期に、

高倉下そして神武側に帰順していた様子が伺えます。

 

大斎原から国道168号線を南下し、

脇道にそれてすぐの小高い丘の上に、

日足・高倉神社が鎮座していました。

日足・高倉神社は熊野川と赤木川の合流点に位置し、

赤木川流域の神社の総本社的な役目を担います。


高倉神社と高倉下

2017-01-11 11:25:55 | 無社殿神社1

<高田・高倉神社 たかたたかくらじんじゃ>

 

縄文時代から弥生時代にかけてのある時期、

熊野灘の沿岸に上陸した神武天皇の一行は、

その一帯を収めていた

「高倉下(たかくらじ)」という人物と出会い、

ヤマト侵攻の足掛かりを得ます。

熊野から吉野の山中へと進軍するにあたり、

あまたの困難が襲い掛かりましたが、

高倉下らの手助けにより窮地を救われました。

 

熊野本宮から新宮にかけての熊野川沿いには、

高倉下をお祀りする「高倉神社」が点在しています。

近隣の地域では「矢倉神社」「地主神社」

と呼ばれることが多い熊野地域の産土神が、

この周辺では「高倉神社」と表記されるのも、

やはり高倉下の影響が大きかったからなのでしょう。

ちなみに、物部氏一族の出身といわれる高倉下は、

神武天皇に先駆けて、紀伊半島へとたどり着いた、

古代イスラエル人との関連が指摘されています。


古代の隠れ里

2017-01-10 13:12:55 | 無社殿神社1

<古座川町・峯地区>

今回の旅のテーマでもある「無社殿神社」は、

熊野が「蟻の熊野詣」で賑わっていた頃はもちろん、

神武一行が紀伊半島に上陸する頃よりもはるか昔から、

この地の人々の手で大切にお祀りされてきた聖地です。

もともと日本古来の自然信仰があったところに、

南方経由の古代イスラエルの風習が入り込み、

かなり時代を経た後世になってから、

仏教や修験道の色が加わりました。

 

ちなみに、熊野灘の東側に位置する神倉神社や花の窟は、

南方の風習や古代イスラエルとの関連が強い神社です。

また、熊野本宮をはじめとする熊野三山は、

神仏習合の名残が濃い場所として知られています。

そして、これからご紹介する無社殿神社は、

言うなればそれらの影響を最小限に抑えた、

「隠れ里」のような聖地なのかもしれません。


古代の様相

2016-12-28 10:51:40 | 無社殿神社1

<大上神社 *おおかみじんじゃ>

 

紀宝町鵜殿にある烏止野神社の裏山に、

この神社の元宮である大上神社が鎮座しています。

「神社」という固定化したイメージを描きながら、

この神社を訪れるとそのギャップに驚くことでしょう。

目の前に唐突にあらわれたその巨大な磐座は、

うっかりすると頭をぶつけそうになるくらいの位置に、

むき出しの状態で置かれていました。

 

人ひとりがようやく入れるほどの狭い境内?に立つと、

ご神体の磐座が目前にまで迫り、かなりの圧迫感を感じます。

もしかするとかつては、山の下から上を見上げるような形で、

この巨岩をお祀りしていたのかもしれません。

周囲を住宅に囲まれた町中にありながら、

磐座の周りだけはまるで時間が止まったかのように、

古代の様相のままひっそりと静まり返っていました。


大上神社

2016-12-27 10:49:02 | 無社殿神社1

<大上神社 *おおかみじんじゃ> 

 

 ***** 無社殿神社1 *****

新宮川を挟んで三重県側の紀宝町鵜殿という地区に、

烏止野神社(うどのじんじゃ)という神社があります。

かつてこの地を統括していた豪族・鵜殿氏ゆかりの場所で、

熊野速玉大社の御船祭では、この神社の氏子たちが、

故事に則って神霊をのせた船を導く役目を担うそうです。

 

烏止野神社の右手のほうへと歩いていきますと、

神社の裏山へと続く階段が見えてきました。

山頂に向かって螺旋状に続く急な石段を、

息をはずませながら登り切ったところに、

烏止野神社の元宮・大上神社があります。

 

神社といいましても、こちらの場所も、

古代の磐座信仰の痕跡を残す無社殿神社で、

社殿はもちろん鳥居の類も見当たりません。

小さな祭壇やしめ縄がなければ、

ここに神様が祀られているとは、

誰も気がつかないでしょう。


神さん

2016-12-02 17:41:08 | 無社殿神社1

<入谷・地主神社 いりたにじのしじんじゃ>

 

熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社が、

もともとは自然崇拝の聖地だったといわれるように、

熊野地方には今なおその姿を古代のままにとどめる、

「自然信仰の痕跡」があちこちに見られます。

もしかすると、様々な歴史的経緯の中で、

すでに全国各地から姿を消してしまった

「神社の原型」をかろうじて伝えているのが、

この熊野地方の無社殿神社群なのかもしれません。

 

ちなみに、熊野地方における無社殿神社は、

「高倉神社」「矢倉神社」「地主神社」

などと名づけられていることが多く、

場所によっては「●●さん」と、

地元の人しかわからないような

愛称で呼ばれているところもあります。

ただ、それらの対外的な名称がつくまでは、

すべてがただの「岩」「滝」「木」などであり、

名もなき「神さん」だったのでしょう。