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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

酉の日の出来事

2018-07-13 09:24:18 | 阿波・忌部氏2

<つるぎ町・貞光>

 

その昔、焼畑農業が盛んだった剣山の一帯では、

「申・酉の日は焼畑をしてはいけない」

という掟があったのだそうです。

また、鶏が死んだ場所は「禁則地」として、

人が立ち入らないようにしていたのだとか。

鳥と焼畑(山焼き)という、

一見無関係のようにも思える二つの事柄は、

実は忌部氏という存在を通して、

密接に結びついていたのですね。

 

以前、剣山とユダヤとの関連を綴った記事内で、

「かごめ歌は剣山の焼き討ちを表した歌だ」

という説があることをご紹介しましたが、

仮に、剣山山頂で焼き討ちが行われたとすれば、

「酉」にこだわる忌部氏およびユダヤの一族が、

「酉の日」に火を放ったと考えても、

不自然ではないかもしれません。

 

それらの伝承が、近年にまで剣山周辺に伝わり、

「酉の日の焼畑は不吉」「鶏が死んだ場所は禁則地」

という掟につながったのでしょうか……。

「三の酉まである年は火事が多い」という俗説も、

単に11月という時期的な要因だけでなく、

「酉=火」というイメージが、

日本人の遺伝子の中に根付いていた可能性もあります。


神仕組み

2018-07-12 09:21:44 | 阿波・忌部氏2

<鷲神社 おおとりじんじゃ>

 

大本教系の預言書「日月神示」の一節、

「夜明け来たぞ。十理(トリ)立てよ」

という文句を見て思い出したのは、

日本の童謡「かごめ歌」でした。

剣山の謎を解くカギとしてもご紹介した、

かごめ歌の歌詞の中には、

「籠の中の鳥」「夜明けの晩」「鶴と亀」など、

古代イスラエルや忌部氏を

彷彿させる内容が散見されます。

 

これまでの妄想を軸にして、

かごめ歌の意味を解いてみるなら、

日本の大地に六芒星を刻んだ忌部氏が、

菊理媛命(大国常立神)の後ろ盾により、

かごめの封印を解いた夜明けの晩に、

日本に潜むユダヤの秘密が公になる、

といったところでしょうか……。

 

剣山の一帯の伝承に重ねれば、

祖谷の菊理媛命を封印し守ってきた

古代ユダヤの民である忌部氏が、

菊理媛命の力を蘇らせたとき、

日本(陽)とユダヤ(陰)が和合し、

大きな神仕組みが完成する

という示唆にも受け取れます。

いずれにせよ、忌部氏が鳥の装束をつけ、

表の祭祀族として羽を広げたそのとき、

世に大きな動きがあるのかもしれません。


十理

2018-07-11 09:06:31 | 阿波・忌部氏2

<鷲神社 おおとりじんじゃ>

 

60年に一度訪れる「辛酉(かのととり)」という年は、

「社会的な仕組みが大きく変化する年」と言われています。

大本教系の日月神示という預言書の中でも、

「辛酉はよき日、よき年ぞ」

「辛酉の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな」

「足許から鳥が立つぞ、十理(トリ)たちてあわてても……」

「……夜明け来たぞ。十理(トリ)立てよ」 など、

「酉」「鳥」「十理」といった言葉が

連続して登場しておりました。

 

十理とも称される「トリ」は、

九九理と記す「ククリ姫」と同じように、

この世の「神仕組み」を示す重要な暗号です。

仮に十理が、古代ユダヤの失われた十氏族

に関わる忌部氏を指しているとすれば、

忌部氏が封印を解かれ、大地から飛び立つとき、

世の中の仕組みが大きく変わるという意味にも受け取れます。

その際、後押しをするのは、古代日本の国土神であり、

白山を守護する九九理姫なのかもしれません。


珍彦

2018-07-10 09:04:22 | 阿波・忌部氏2

<大和神社 おおやまとじんじゃ>

 

忌部氏のもうひとつの顔である

「海洋民」としての活躍を描いた物語が、

「珍彦(うずひこ)」の伝承です。

浦島太郎のモデルとも言われる珍彦は、

瀬戸内海を本拠地とする海人族の重鎮で、

古事記では「槁根津彦」、

日本書紀では「椎根津彦」と記され、

のちに大和国の国造となりました。

神武一行が紀伊半島へと向かう際、

水先案内人を務めたのがこの珍彦であり、

忌部氏の祖神・天日鷲命とも同一視されています。

 

ちなみに、神武天皇がヤマトへの東征を決め、

故郷である日向を出港したのは、

前667年の辛酉の日という説が有力です。

そして、ヤマトに入り大願を果たしたのち、

辛酉の年に天皇として即位されたわけですが、

その道中、珍彦つまり天日鷲命が、

神武東征の道案内のために出発した日も、

旧11月の初の酉の日だったのだとか。

つまり、神武東征関連の重要な日程は、

すべて「酉」に縁する年・日を

選んで遂行されていたのですね。


酉と神武天皇

2018-07-09 09:01:51 | 阿波・忌部氏2

<鷲神社 おおとりじんじゃ>

 

浅草の鷲神社には、天日鷲命と共に、

日本武尊(やまとたけるのみこと)

が主祭神として名を連ねています。

何でも、「日本武尊が東夷征討の際、

社に立ち寄られ戦勝を祈願し、

志を遂げての帰途、社前の松に

武具の熊手をかけて勝ち戦を祝い、

お礼参りをされた」ことから、

ご祭神の一柱となったのだとか。

 

「鳥」に縁ある天日鷲命だけでなく、

「白鳥伝説」で知られる

日本武尊が祀られていることに、

「酉」がつなぐ歴史の因果を想像し、

非常に興味をそそられる次第です。

 

実は、この「酉」という十二支は、

古くから「改革」「動乱」

などの言葉と縁ある干支で、

先日の記事内でご紹介した

「三の酉まである年は、

火事が多い」などの俗説も、

「酉」の物騒な側面を表す

言い伝えのひとつでしょう。

そして、さらに「酉」の歴史を

紐解いて行くと見えてきたのが、

神武天皇との関わりでした。


酉の市

2018-07-08 09:59:27 | 阿波・忌部氏2

<鷲神社 おおとりじんじゃ>

 

忌部氏には、天日鷲命や天鳥船命……など、

「鳥」というキーワードが付きまといます。

鳥のような羽がついた装束を身に着け、

鳥のように素早く進む船を操る忌部氏は、

まさしく「鳥の一族」だったのでしょう。

古い伝承に登場する鳥たちの逸話は、

忌部氏が担ってきた役目を記す、

貴重な歴史的資料なのかもしれません。

 

そして、鳥と言えば思い出すのが、

天日鷲命ゆかりの「酉の市」という行事です。

11月の酉の日に開かれるこの市は、

「大酉祭」「お酉様」などとも呼ばれ、

縁起物である大小様々な熊手を求めて、

参拝者が列を成して神社にお参りする光景が、

この時期の風物詩となっております。

 

発祥の地とされる浅草の鷲神社

(おおとりじんじゃ)の社伝によりますと、

近隣の農民たちが、一年間の収穫を祝い、

鷲大明神に鶏を奉納したことが、

酉の市の起源だったのだとか。

また、11月の酉の日が3度巡る年は、

「火事が多い」などとも言われ、

江戸時代の明暦の大火なども、

三の酉がある年に発生したそうです。


シャーマン

2018-07-07 09:56:49 | 阿波・忌部氏2

<石上神宮 いそのかみじんぐう>

 

忌部氏と「鳥」とが結びついた背景には、

祭祀の際の装束が深く関係していたと思われます。

羽のような房飾りがついた衣装を身に着け、

神の依り代となって舞い、託宣を告げる様子が、

人々には神使の鳥のように見えたのでしょう。

伊勢神宮をはじめとする全国の神社で、

境内に鶏が放たれていたり、

神事に鶏を奉納したりするのも、

鳥が神の使いであることの証拠です。

 

頭に乗せた鶏冠のような冠や、

袖下が長くゆったりした形の上衣、

後ろ身頃に雄鶏の尾のような布がついた束帯など、

ただの伝統文化のひと言では片づけられない

「霊的な効果」が神官の装束には潜んでいます。

恐らく、それらの大元となったのが、

古代のシャーマンと呼ばれる人々であり、

大陸の各地にシャーマン文化を残した、

忌部氏という祭祀氏族だったのかもしれません。


鳥の部族

2018-07-06 09:54:05 | 阿波・忌部氏2

<鷲神社 おおとりじんじゃ>

 

天日鷲命および忌部氏という存在は、

神武一行と長髄彦との戦いの場面で、

天皇の弓に止まった金色の霊鵄

(金鵄)とも同一視されるなど、

古代の「鳥を表す部族」の筆頭です。

八咫烏が「賀茂氏」の印だとすれば、

鷲、鵄、鶏、鷹などの鳥類、主に猛禽類は、

「忌部氏」を象徴するトーテムで、

地方の伝承などに残る「鳥の伝説」は、

忌部氏や賀茂氏を指し示している

ケースも多いと思われます。

 

実は、神官が神事の際に着用する装束も、

鳥の格好を模したと言われており、

弥生時代の土器には「鳥装のシャーマン」

が描かれているものもあるのだとか。

恐らく、忌部氏は儀式に挑む際、

麻や楮などの布で身体全体を覆い、

神の依り代となったのでしょう。

神官や巫女など神仕えをする人々が、

鳥の衣装を身にまとうようになったのも、

神道の祭儀の原型を作ったとされる

忌部氏の影響が大きいのかもしれません。


吉祥な鳥

2018-07-05 09:51:20 | 阿波・忌部氏2

<石上神宮 いそのかみじんぐう>

 

阿波忌部氏の祖神とされる

天日鷲命(あめのひわしのみこと)は、

記紀の「天の岩戸神話」の中で、

岩戸に閉じこもった天照太御神を連れ出す際、

弦楽器を奏でた神様だと言われております。

そのとき、天日鷲命が手にした弦の先に、

「鷲」が止まったことから、

周囲にいた神々が「吉祥だ」とお慶びになり、

「天日鷲命」と命名されたのだとか。

 

忌部氏全体の祖神である

天太玉命(あめのふとだまのみこと)が、

「神格」を持つ存在だとすれば、

天日鷲命は実在の人物に近い神なのでしょう。

天日鷲翔矢命(あめのひわしかけるやのみこと)、

天加奈止美命(あめのかなとびのみこと)、

天日別命(あめのひわけのみこと)、

忌部神(いんべのかみ)、麻植神(おえのかみ)…… など、

のちに加えられた様々な呼び名は、

阿波忌部氏の多面性を表しているのだと思います。


渡来人のキーワード

2018-07-04 09:48:40 | 阿波・忌部氏2

<石上神宮 いそのかみじんぐう>

 

阿波忌部氏の祖神である天日鷲命という名の語源は、

「鳥」や「弦楽器」から来ているのだそうです。

天日鷲命を主祭神とする浅草の鷲神社の社伝には、

「天岩戸が開かれたとき、弦の先に鷲が止まったので、

神々は夜を明るくする瑞兆をあらわした鳥だと喜んだ」

とあり、この鳥(鷲)こそが忌部氏なのだと聞きました。

この話を元にすれば、東アジアの太陽創世物語である

「射日神話」や「御的神事」の鳥(鶏・烏など)も、

忌部氏を暗示している可能性が考えられます。

 

また、天日鷲命は天磐船(天鳥船)に乗って、

地上に降臨したと言われていますが、

似たような伝承は、物部氏の祖神である

「ニギハヤヒ」登場の場面でも見られます。

天日鷲命(忌部氏)とニギハヤヒ(物部氏)

との詳細な関係は定かではないものの、

恐らく、天鳥船・鳥・矢などの文言が、

渡来人や古代イスラエルとの関連を示す

重要なキーワードであることは間違いないのでしょう。


来日の証

2018-07-03 09:44:57 | 阿波・忌部氏2

<熊野那智大社 くまのなちたいしゃ>

 

中国に伝えられた古い伝承の中に、

「扶桑樹」という射日神話があります。

扶桑樹とは「はるか東方の海の果ての

太陽が昇る場所・湯谷(ようこく)に

生えていた巨大な樹木」のことで、

この木の上から太陽が飛び立つと、

世の中に朝がやってくるのだそうです。

 

湯谷は通常「ゆや」と発音しますが、

同じく「熊野」という文字に

「ゆや」の読みを当てる場合があり、

東の果ての太陽の昇る地というのは、

熊野という場所のことなのだとか。

また別の説では、「ゆや」は「ユダヤ」

を暗示しているという話も聞きました。

 

ちなみに、扶桑樹の物語には、

玉鶏(ぎょくけい)金鶏(きんけい)

石鶏(せきけい)という三羽の鳥が登場し、

太陽が昇るとまず、烏(からす)が鳴き、

次に玉鶏が鳴き、それに呼応して金鶏が鳴き、

最後に各地の石鶏が鳴くという件が出てきます。

 

もしかすると、射日神話という伝承は、

イスラエル12氏族の末裔である渡来人が、

来日するまでの過程を描いた話であり、

ユダヤの人々が日本に到達した事実と、

日本が日出づる国であることを示す、

揺るぎない証となるのかもしれません。


弔いの儀式

2018-07-02 09:39:53 | 阿波・忌部氏2

<熊野本宮大社 くまのほんぐうたいしゃ>

 

射日神話について調べている最中、

興味深い伝承に行き当たりました。

 

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極東ロシアの日本海に面した地方に暮らす

オロチという先住民族に次のような神話がある。

昔、大地が固まりきっていないころ、太陽が三つあり、

できたての大地は熱くて生き物が住めなかった。

その時、ハダウという神が二つの太陽を弓で射落とし、

一つだけ残した。その後、ハダウはワシとカラス

を創(つく)り出し、それから人間が生まれた。

【参考サイト】

国立民族学博物館

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オロチ族というツングース系の部族は、

古代中国で「東夷(とうい)」という名の

弓矢を巧みに扱う人々をツールに持つと聞きます。

古代日本との縁も深いオロチ族は、

出雲神話に登場する「ヤマタノオロチ」

のモデルになったいう説もあるように、

狩猟・製鉄技術等に長けた、

有能な集団であったことは間違いないようです。

 

この物語の中に登場するハダウ神が、

他の太陽を弓で射落としてから創り出した、

「ワシ」と「カラス」という存在は、

恐らく「忌部氏」や「賀茂氏」に

相当する人々のことなのでしょう。

もしかすると、古代のイスラエル氏族が、

日本を目指す途中で各地の部族を統一してきた過程が、

射日神話の中に描かれているのかもしれません。

 

もしそうだとするならば、日本全国に残る

「御的神事」というおめでたい儀式の裏には、

表には出ない複雑な歴史が秘められていそうです。

渡来人によって土地を奪われた原住民の記憶、

そして彼らの無念を忘れないために、

ユダヤの末裔たちが受け継いできた「弔いの心」が、

御的神事の中に込められているのでしょうか……。


名もなき太陽神

2018-07-01 09:37:23 | 阿波・忌部氏2

<内宮 ないくう>

 

御的神事という不思議な祭礼は、

忌部氏が全国に足場を作る中で、

他の文化とともに持ち込まれた

渡来の風習だったのでしょうか……。

それとも、太陽信仰を巡る

古代の「隠された歴史」を、

暗示する儀式だったのでしょうか……。

 

ちなみに、伊勢内宮のご祭神である

「天照太御神」という太陽神は、

「天孫族」が信仰していた

渡来の神だという話があります。

もともと伊勢のあたりでお祀りしてたのは、

「大日孁貴(オオヒルメ)」と呼ばれる

海人族が信仰していた土着の太陽神なのだとか。

 

ひと口に太陽信仰と申しましても、

伊勢を中心とする現在の形が出来上がるまでは、

全国各地に各々の太陽神が存在していたはずです。

もしかすると、御的神事が伝えているのは、

異なる太陽信仰を持つ部族が争った歴史と、

天照太御神の国家統一の過程で奪われた、

名もなき太陽神の存在なのかもしれません。


射日神話

2018-06-30 09:32:41 | 阿波・忌部氏2

<岩戸神社 いわとじんじゃ>

 

御的神事の起源として有力なのが、

中国少数民族やツングース系の民族等に伝わる

「射日神話(しゃじつしんわ)」の伝承です。

複数出現した太陽を弓矢で射てひとつだけ残し、

世の中の平安を保つといった内容が、

若干のアレンジを加えながら

各々の部族に受け継がれています。

 

また、射日神話と対を成す形で、

新たな太陽の出現を表した

「招日神話(しょうじつしんわ)」

と呼ばれる伝承もあり、記紀の天岩戸開きの件は、

日本に伝わる代表的な「招日神話」のひとつです。

アジア各地では、射日神話と招日神話は、

セットで語られることが多いそうですが、

日本には射日神話に相当する物語は、

あまり聞いたことがありません。

 

恐らく、古代日本で射日神話として語られた話は、

御的神事という民間信仰の中に隠され、

記紀からは抹消されたのでしょう。

つまり、中央政権にとって射日神話は、

不都合な伝承だったのだと思われます。

太陽神を象った的に矢を射るという、

何とも不可解な儀式が伝えるのは、

「消された太陽」の存在だったのですね。


文字なき物語

2018-06-29 09:30:38 | 阿波・忌部氏2

<五色神社 *ごしきじんじゃ>

 

狩猟儀礼の名残である「御的神事」は、

お正月の縁起物として知られる

「破魔矢」の元にもなった儀式ですが、

もともと破魔矢は「浜矢」と記し、

海洋民族の習俗だったと言われております。

つまり、弓矢という道具は、山の神を祀る狩猟民族が、

狩りや神事のためだけに使ったわけではなく、

海の神を祀る海人族の持ち物でもあったわけですね。

 

「弓矢」を使って太陽神を招き入れた海人族は、

主に紀伊半島や伊勢志摩方面の海沿いに、

弓矢を用いた祭事をたくさん残しました。

また、関東地方では「オビシャ」

という伝統行事として伝えられ、

毎年1月から2月の決められた日に、

太陽を象った様々な絵柄の的を射て、

その年の作物の収穫量など占います。

 

本来であれば尊ぶべき 「太陽」という信仰の対象を、

弓矢で射るという所作の中には、

いったいどのような意図が

隠されているのでしょうか……。

恐らく、御的神事と呼ばれる儀礼は、

古代部族間の複雑な歴史の糸が絡み合った、

「文字なき物語」なのかもしれません。