<つるぎ町・貞光>
その昔、焼畑農業が盛んだった剣山の一帯では、
「申・酉の日は焼畑をしてはいけない」
という掟があったのだそうです。
また、鶏が死んだ場所は「禁則地」として、
人が立ち入らないようにしていたのだとか。
鳥と焼畑(山焼き)という、
一見無関係のようにも思える二つの事柄は、
実は忌部氏という存在を通して、
密接に結びついていたのですね。
以前、剣山とユダヤとの関連を綴った記事内で、
「かごめ歌は剣山の焼き討ちを表した歌だ」
という説があることをご紹介しましたが、
仮に、剣山山頂で焼き討ちが行われたとすれば、
「酉」にこだわる忌部氏およびユダヤの一族が、
「酉の日」に火を放ったと考えても、
不自然ではないかもしれません。
それらの伝承が、近年にまで剣山周辺に伝わり、
「酉の日の焼畑は不吉」「鶏が死んだ場所は禁則地」
という掟につながったのでしょうか……。
「三の酉まである年は火事が多い」という俗説も、
単に11月という時期的な要因だけでなく、
「酉=火」というイメージが、
日本人の遺伝子の中に根付いていた可能性もあります。