たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

名草を冠した神

2020-11-11 10:06:16 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.73 *****

「日前宮」「伊太祁曽神社」は

ともに「名草」と縁する場所ですが、

同じく紀伊国一の宮である丹生都比売神社に、

「ナグ……」の陰を見つけることはできるのでしょうか……。

ちなみに、丹生都比売神社ご祭神は以下の4柱です。

第一殿:丹生都比売大神 (にうつひめのおおかみ)

第二殿:高野御子大神 (たかのみこのおおかみ)

第三殿:大食津比売大神 (おおげつひめのおおかみ)

第四殿:市杵島比売大神 (いちきしまひめのおおかみ)

 

第三殿にオオゲツヒメが祀られているのが、

何とも気になるところではありますが、

それはともかく、これらの名称を見る限り、

丹生都比売神社と名草との特別な関わりは伺えません。

しかしながら、詳しく調べて行くうちに、

実は第二殿のご祭神である高野御子大神は、

「大名草比古命」であるという説が

囁かれていることが判明したのです(諸説あり)。

つまり、丹生都比売神社は、

主祭神である丹生都比売大神とともに、

「名草」を冠した神が鎮座するお宮でもあったのですね。


丹生都比売神社

2020-11-10 10:03:04 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.72 *****

昨日は、紀伊国一の宮の二つ目

「伊太祁曽神社」についてお話しましたが、

本日は三つ目の一の宮である「丹生都比売神社

(にうつひめじんじゃ)」に触れてみたいと思います。

「丹生」という名称からもわかるように、

この神社は丹砂や水銀との関わりが深く、

ご祭神である丹生都姫は、

鉱物資源採取を生業とする丹生氏の奉じた神でした。

紀伊半島の中央構造線は「金属資源の道」

とも言われておりますし、丹生都比売神社

の鎮座地としてこの場所が選ばれたのも、

決して偶然ではないのでしょう。

 

ちなみに、丹生都比売神社が置かれている

「かつらぎ町上天野」という土地は、

まさしくその名に相応しい「天空の里」

のような趣が漂う聖地で、数年前に訪れた際には、

滞在予定時間をオーバーして、スケジュールが

大幅に押してしまった記憶がございます。

弘法大師空海が高野山金剛峯寺を開く際に、

地主神である丹生都比売から

土地を譲られたとする伝説があるなど、

高野山との関わりが深いことから、

どことなく神仏習合の匂いを

漂わせている場所でもありました。

【参考サイト】

玄松子


託宣の神

2020-11-09 10:59:59 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.71 *****

話が九州へと逆戻りしてしまいましたが、

再び和歌山周辺に舞台を移して、

中央構造線の謎を探ってみることにしましょう。

聞くところによりますと、紀伊国一の宮の

ひとつ「伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)」は、

一部の名草の人たちにとっては

「日前宮」以上の崇敬を集める場所だそうで、

初詣には「にちぜんさん」ではなく

「いたきそさん」にお参りに行く人も多いのだとか……。

現在地に落ち着くまでの経緯をみましても、

「日前宮」が創建される以前は、

「伊太祁曽神」が紀伊国の信仰の

中心地だったことは明らかです。

 

ちなみに、「伊太祁曽(いたきそ)」とは、

アイヌ語の「tak」が語源であり、

「託宣の神」を意味するという説を目にしました。

また、その大元に控えているのは「スサノオ」で、

紀氏の祖先も実はスサノオだったとのこと……。

いずれにせよ、紀伊国は「木の国」でもありますから、

必然的に木の神・五十猛命を祀る伊太祁曽神社を、

人々は「大元の神」と認識していたのかもしれません。


古代の王

2020-11-08 10:26:20 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.70 *****

昨日「阿蘇のナギ(nagid)」について考察しましたが、

実はそれ以外にも、この近辺には有名な「ナギ」

が存在していることをご存知でしょうか……。

その存在とは、古事記いわく

「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命

(あまつひたかひこなぎさたけ

うがやふきあえずのみこと)」、

日本書紀いわく「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊

(ひこなぎさたけうがやふきあえず)」、

一般的には「ウガヤフキアエズ」

とも称する人物でございます。

 

ひこ「なぎ」さたえうがやふきあえず、

という読みからもわかるように、

なんとこの人物も「なぎ」という音を

秘めた存在だったわけですね。

まあ、ウガヤフキアエズに言及し始めると、

これまたディープな世界にはまりそうなので

深掘りはしませんが、ウガヤフキアエズ

が開いたとされる王朝(真偽は不明)は、

まさに中央構造線の真上のあたりです。

神武天皇の父親とも噂されるウガヤフキアエズは、

ナギ(nagid)と中央構造線の真実を知る

「古代の王」だったのでしょうか……。


ナグの活断層

2020-11-07 14:15:22 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.69 *****

紀伊水道周辺の「ナギ・ナカ・ナグ」

という音に注目しながら、中央構造線に

関する妄想を広げてまいりました。

その中でふと気になったのが、

中央構造線の南端の聖地「阿蘇」のことです。

 

徳島や和歌山に「ナギ(nagid)」

所縁の場所があるなら、阿蘇の「ナギ(nagid)」

はどこに存在するのだろうと疑問に思い、

「阿蘇のナギ」についてあれこれ調べている

うちに思い出したのが、2016年に起きた

熊本地震の発生源とされる、布田川-日奈久

(ふたがわ-ひなぐ)断層帯のことでした。

 

何でも、この「布田川-日奈久断層帯」の一部は、

中央構造線の延長線上にある

「別府-島原地溝帯」と重なるそうで、

熊本地震は「中央構造線の延長線上で起きた地震」

だと指摘する専門家もいるのだとか……。

なんと、中央構造線の南端を起動させたのは、

布田川-日奈久「ナグ」という名称の

活断層だったわけですね。


案山子

2020-11-06 10:08:44 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.68 *****

昨日、「日前神宮」という名称の由来について

考察しましたが、本日は日前宮のもうひとつの社

「国懸神宮(くにかかすじんぐう)」

の語源を調べてみることにしましょう。

 

ちなみに、「かかす」という言葉には、

「輝かせる」「生き生きさせる」

……等の意味があると聞きます。

日前神宮の「前」を「かがみ」

と読むという説なども合わせて考えると、

日前神宮の日像鏡・国懸神宮の日矛鏡という

両御神体にも無理なくつながりそうですね。

 

一方、別の説で「かかす」は「案山子(かかし)」

を指し、国懸とは「紀の国を脅かす猛霊」

を表すという話もあるのだとか……。

もし仮に、国懸の「かかす」が

「案山子」を暗示するということであれば、

これまた意味深な展開を呼ぶかもしれません。

 

なぜなら、案山子の「かか」は「カガ」

「ナガ」などと同意義の蛇を表す古語であり、

ヤマト側が関与したとされる国懸神宮にも、

「蛇神」や「海人族」の陰が見えてくるからです。

もしかしたら「国懸神宮」とは、

「ナガ」や「ナグ」を名称に持つ人々を

お祀りした場所だったのでしょうか……。

【参考サイト】

神奈備


日の神を祀る宮

2020-11-05 10:05:25 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.67 *****

ここ数日、名草の「ナガ」の語源に

関する考察を続けておりますが、

同じように紀伊国一の宮・日前宮の

「日前(ヒノクマ)」「国懸(クニカカス)」

という名称の中にも、興味深い「音」が

隠されていることにお気づきでしょうか……。

 

地元の方々が「にちぜんさん」と

親しみを込めて呼んでいるように、

通常、日前という神社名を読む場合、

「にちぜん」と発音するケースがほとんどです。

となると、なぜ日前宮に鎮座する

二社のひとつ「日前神宮」を、

「ひのくまじんぐう」と呼ぶようになったのかが、

にわかに気になってまいりますね。

 

ちなみに、日前神宮の「クマ」とは「熊」であり、

ある意味「ヤマトに敵対する勢力」

を示しているという話があります。

一方で、「熊」の本来の意味は、

「神」を表す言葉とも聞きますから、

恐らくは名草周辺に居住していた人々を、

少々蔑みのニュアンスを込めて、

「神」と同義語である「熊」と

呼ぶようになったのかもしれません。

 

つまり日前神宮とは、土着の人々が

信仰していた「日の神(太陽の神)」

を祀る宮だったとも言えるのです。


神を称える歌

2020-11-04 14:00:37 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.66 *****

以前、青森の旅をテーマにした記事内でもご紹介した

「ナニャドヤラ(ナギャドヤラ)」という民俗芸能は、

「ナギアトヤーラーヨー ナギアドナサレダーデ

 サーデ サーイエ ナガアッイウドヤーラヨー」

という不思議な囃子歌を歌いながら踊る祭りです。

 

まあ、正確な楽譜があるわけではないので、

言葉の表記には若干の違いがあるかとは思いますが、

一説にこの歌は、「エホバ進み給え

 前方にダビデ 仇を払わんとす

 イダ族の先頭に エホバ進み給え」

という意味のヘブライ語の歌なのだとか……。

 

確かに、「ナニャド」「ナギャド」

「ナギアト」「ナガアッ」には、

統治者を意味する「ナギ(nagid)」

と似たような音が含まれますし、

歌詞の中には「神」を表す

「ヤー」という単語も入っています。

 

私の浅いヘブライ語知識で解釈するなら、

ナニャドヤラは北東北に住むユダヤの民が

作った「神を称える歌」なのかもしれません。

恐らく「ナギ(ナガ・ナグ)」を含む名称には、

偉大なる神「ヤハウェ(エホバ)」

を信仰する古代ユダヤ人が、

深く関与している可能性が高いのでしょう。


ナギ(nagid)

2020-11-03 10:50:34 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.65 *****

一説に、「ナガ(naga)」という言葉は、

古代ヘブライ語で「災厄」を暗示するそうです。

もともとは「触れる」「至る」などの意味

を持つと聞きますが、何でも聖書に登場する

「エバをそそのかした蛇」などの影響を受け、

ネガティブな意味が付加されていったのだとか……。

同じく、「ナグ(nagu)」という言葉も、

スメル語(シュメール語)で「犠牲」を表すと

言いますから、両ワードにはどことなく

不穏な印象を感じてしまいますね。

 

ただし、そのような解釈がされるまでは、

ヘブライ語で「王子・統治者」などを示す

「ナギ(nagid)」と同様に、「神の子」

あるいは「海や水に関する場所」など、

神聖なニュアンスの言葉だったとのこと

(日本語の「nagi=凪」や

「渚=nagi-sa」の語源もnagid)。

 

いずれにせよ、「ナガ・ナグ・ナギ」

などの音には、「神」や「海」との

濃厚なつながりが隠されているのでしょう。

海人族の居住地である「名草(なぐさ)」

という地名、そして海人族を祖先に

持つと言われる「名草の人たち」は、

「神のそばにいる人々」と

認識されていたのかもしれません。

【参考サイト】

日本とユダヤのハーモニー


「ナガ」

2020-11-02 10:48:11 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.64 *****

一説に、ナガスネヒコの「ナガ」とは、

蛇神を意味する「ナーガ」が

転訛した言葉だと聞きます。

個人的には「ナーガ=蛇」と断定するよりも、

蛇・龍・竜などの長物を指す単語、

さらには土着神や海人族などを含む、

広い意味で「古くからその土地にいた一族」

の呼称と理解しておりますが、

いずれにせよ「ナガ」「ナカ」が絡む

古代の名称には、少なからず「蔑称」

のニュアンスが付き纏うのも事実です

(現代の一般人の名前とは無関係)。

 

ちなみに、古代の徳島県が

「阿波国」として統一されるまでは、

粟国と長国とに分かれており、

吉野川をはさんで北側を粟国、

同じく南側を長国と呼びました。

恐らく、この南半分の「長国」の「ナガ」

という音も、ナガスネヒコと同じ語源を持ち、

「名方」とも深いつながりがあるのでしょう。

さらには、海を隔てて東方に位置する

「名草(なぐさ)」も、どうやらこの

「ナガ」との強い結びつきが伺えるでした。


名草山

2020-11-01 10:44:41 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.63 *****

「名草宮」とも呼ばれる紀伊国一の宮・日前宮は、

名草山で採った榊を祭祀に用いるなど、

名草山とのつながりが深い神社です。

また、和歌山北部を代表する寺院「紀三井寺」

が建てられているのは名草山の中腹、

そして名草山の周辺には「中言神社」を始め、

名草戸畔絡みの神社が多数鎮座していることから、

古くより人々の間では、名草山が神聖な場所

として認識されていたことがわかりますね。

 

一説に、名草戸畔は名草山周辺の

湿地帯に植生するスズ鉄を使って、

原初の製鉄文化を築いていた可能性が高く、

当然ながらこの名草山も中央構造線の

ライン上といっても良い場所です。

恐らく、紀伊国の中央構造線を考察するにあたり、

この「名草山」を外すことはできないのでしょう。

 

そこで改めて思い出していただきたいのが、

阿波国の中央構造線に関与する

「名方」という地名についてです。

恐らく、蛇神を意味する「ナーガ」

を語源に持つと思われる

この「ナカ」タと名草の「ナグ」サには、

実に興味深い共通点が潜んでいたのでした。


名草戸畔再来

2020-10-31 10:26:07 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.62 *****

以前のブログでも取り上げた

「名草戸畔」というテーマ。

その後、事あるごとに思い出してはいたものの、

しばらくの間「一時棚上げ」となっておりました。

しかしながら、今回中央構造線上の

一の宮を追う過程で、ふいに目にとまった

「名草戸畔」のワードがきっかけとなり、

5年ほど前の土砂降りの雨の中、

和歌山市・海南市一帯を巡った

記憶が蘇ってきたため、数年ぶりに

「名草戸畔 古代紀国の女王伝説~なかひらまい著」

を読み直してみました。

 

その結果、当時は凡庸としていた

「名草戸畔の周辺」のイメージが

ありありと脳裏に浮かび、

「なるほどそういうことだったのか」

と独り合点した次第。後年に訪れた

阿波国・出雲国とのつながりが明確になるなど、

今さらながら「本」の持つ

不思議な磁力を感じているところです。

恐らく「優れた書籍」「力のある書籍」ほど、

手に取るたびに新たな示唆を

与えるような仕掛けが施されているのでしょう。


特殊な磁気

2020-10-30 10:22:37 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.61 *****

もともと日前宮の土地に建てられていた

伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)は、

ヤマト王権の介入により

別の場所へと移動させられました。

しかしながら、改めて鎮座し直した場所も、

なぜか中央構造線のライン上……。

同じく、紀伊国一の宮である

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)

の鎮座地も、中央構造線上と言っても

差し支えありませんから、

現在紀伊国一の宮の三社はすべて、

中央構造線と絡む場所に

建てられていることになります。

 

阿波国と同じくここ紀伊国でも、

中央構造線上に一の宮群が

ひしめいている様子を見ますと、

徳島から和歌山にかけての地域は、

中央構造線の中でも「特殊な磁気」

が存在する一帯だったのかもしれません。

だとすれば、その「磁気」とはいったい

何なのか…。そんなことを考えながら、

本棚をつらつらと眺めていたとき、

ふいに目に飛び込んできたのが、

数年前にブログでも取り上げた

「名草戸畔」というキーワードでした。


日前宮を巡る謎

2020-10-29 10:18:44 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.60 *****

「日前神宮・國懸神宮」と

一くくりにされがちな日前宮ですが、

実は両者の性質には少々違いがあり、

祭神やご神体も異なっているそうです。

日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として、

日前大神(ひのくまのおおかみ)

をお祀りする日前神宮が、

紀氏(紀伊国造)寄りの社である一方で、

日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として、

國懸大神(くにかかすのおおかみ)

をお祀りする國懸神宮は、

どちらかと言えばヤマト王権側の社

だったのだそう……(あくまでも古代の話)。

 

また、国造家である紀氏に関しても、

国造家としてヤマト王権に帰順した一族と、

国造家にならなかった一族とに

分かれていたと聞きますから、

伊太祁曽神社との国譲りの一件も含めて、

この地で起こった複雑な歴史の

流れに思いを馳せてしまいます。

恐らく、阿波国「名方」の一の宮だけでなく、

これら日前宮の土地も同様に、

中央政権が管理下に置きたかった

特別な理由があるかもしれません。


魅惑の聖地

2020-10-28 10:15:46 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.59 *****

和歌山市秋月にある日前宮(にちぜんぐう)は、

日前神宮(ひのくまじんぐう)

國懸神宮(くにかかすじんぐう)

という二つの社の総称で、

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)、

伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)とともに、

紀伊国一の宮に比定される場所です。

 

聞くところによりますと、

創建はなんと神武天皇2年(約2600年前)。

現在、この神社の宮司を務める紀氏は、

阿蘇神社などと同様に地方の国造家の流れを汲み、

日本で最も古い家系のひとつと言われております。

 

もしかすると、中央構造線上にある一の宮には、

各々の地域で一番力を持つ氏族が、

祭祀を担い続けなければいけない

「掟」でもあったのでしょうか……。

 

ちなみに、日前宮が現在地に

遷座したのは垂仁天皇16年でして、

それまでは同じ一の宮である

伊太祁曽神社の所有地でした。

何でも、紀伊国における国譲りの結果、

日前神・国懸神がこの土地を

手に入れたそうですから、

秋月という場所がどうしても欲しい

魅惑の聖地であったことがわかります。