***** 神社と災害 No.61 *****
もともと日前宮の土地に建てられていた
伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)は、
ヤマト王権の介入により
別の場所へと移動させられました。
しかしながら、改めて鎮座し直した場所も、
なぜか中央構造線のライン上……。
同じく、紀伊国一の宮である
丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)
の鎮座地も、中央構造線上と言っても
差し支えありませんから、
現在紀伊国一の宮の三社はすべて、
中央構造線と絡む場所に
建てられていることになります。
阿波国と同じくここ紀伊国でも、
中央構造線上に一の宮群が
ひしめいている様子を見ますと、
徳島から和歌山にかけての地域は、
中央構造線の中でも「特殊な磁気」
が存在する一帯だったのかもしれません。
だとすれば、その「磁気」とはいったい
何なのか…。そんなことを考えながら、
本棚をつらつらと眺めていたとき、
ふいに目に飛び込んできたのが、
数年前にブログでも取り上げた
「名草戸畔」というキーワードでした。