***** 神社と災害 No.60 *****
「日前神宮・國懸神宮」と
一くくりにされがちな日前宮ですが、
実は両者の性質には少々違いがあり、
祭神やご神体も異なっているそうです。
日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として、
日前大神(ひのくまのおおかみ)
をお祀りする日前神宮が、
紀氏(紀伊国造)寄りの社である一方で、
日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として、
國懸大神(くにかかすのおおかみ)
をお祀りする國懸神宮は、
どちらかと言えばヤマト王権側の社
だったのだそう……(あくまでも古代の話)。
また、国造家である紀氏に関しても、
国造家としてヤマト王権に帰順した一族と、
国造家にならなかった一族とに
分かれていたと聞きますから、
伊太祁曽神社との国譲りの一件も含めて、
この地で起こった複雑な歴史の
流れに思いを馳せてしまいます。
恐らく、阿波国「名方」の一の宮だけでなく、
これら日前宮の土地も同様に、
中央政権が管理下に置きたかった
特別な理由があるかもしれません。