goo blog サービス終了のお知らせ 

たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

東征の道筋

2016-06-26 10:32:00 | 名草戸畔・神武東征

<大泊海岸 おおどまりかいがん>

 

神武天皇が紀伊半島にたどり着いてから

ヤマトに入るまでの行程は、それまでとは違い、

様々な苦難が待ち受ける過酷な旅だったようです。

また、ヤマト入りのルートに関しても、

数多くの伝承が残る吉野川沿いだけでなく、

峰を隔てて西側にある熊野川を通った説や、

和歌山から直接紀の川を遡った説など、

多くの可能性が示唆されております。

 

ただ、どの説からも共通して感じられるのが、

熊野から吉野の険しい山を越える過程が、

いかに重要だったかということです。

仮に、熊野・吉野の山々を経由せず、

紀の川を遡るルートを取っていたとしても、

これらの地域を制したという証を、

伝承として残さなければいけない理由が、

朝廷側にはあったのかもしれません。


安堵感と緊張感

2016-06-25 10:28:20 | 名草戸畔・神武東征

<吉野山 よしのやま>

 

奈良の市街地からひたすら国道を南下して、

目の前に吉野の山々が迫り始めると、

なぜか心の中に、安堵感と緊張感という、

相反する感情がわいてきます。

初めてこの一帯に足を踏み入れたときに感じた、

古い信仰の息吹と、山間部特有の「酷道」の恐怖が、

どこからともなく蘇ってくるからなのですね。

 

今回は神武ゆかりの神社を巡るため、

平地と山間地を何度も往復したのですが、

山に入る緊張感と山に包まれる安堵感、

そして山を下りるときの安堵感と、

山を出てしまったことの緊張感が、

ぐるぐると身体の中を駆け巡り、

苦難の末にヤマトに入った一行の思いに、

少しだけ触れられたような気がしました。


行きにくい場所

2016-06-24 16:27:17 | 名草戸畔・神武東征

<奈良川上村 ならかわかみむら>

***** 神武東征 *****

 

先日訪れた、奈良から熊野にかけての山岳地帯は、

とにもかくにも「行きにくい場所」の筆頭でして、

東京から最も時間がかかるエリアとも言われています。

ただ、その地理条件が幸いし、

「俗」に染まらない古い信仰を感じられるのも事実。

古い神社が好きな人間にとっては、

まさに「聖地」と呼べるような場所です。

 

ちなみに昨年は、奈良南部の山間地に点在する

丹生川上三社を中心にお参りしたのですが、

今回はその近辺の山中にある小さな神社を目指し、

最終的には熊野の沿岸部へと足を進めてまいりました。

奇しくもこれは、記紀に書かれている

神武東征のルートとも重なります。


真の伝承

2016-04-02 10:21:10 | 名草戸畔・神武東征

<宇賀部神社 うかべじんじゃ>

 

名草戸畔の記事をアップしてからというもの、

不思議と名草戸畔の名称や

名草戸畔についての記事を、

あちこちで見かけるようになりました。

初めは、自分が興味を持っているがゆえの

現象だろうと考えていたのですが、

どうもそのレベルを上回る頻度です。

 

名草戸畔だけに限ったことではないのですが、

ここ最近、誰も気に留めなかった過去の出来事や、

歴史の陰に追いやられていた存在が、

不思議とクローズアップされているのを、

偽らざる実感として抱いております。

 

宇賀部神社の宮司さんは別れ際に、

「これからは、名草戸畔の名を前面に出して、

神社を盛り立てていこうと考えています」 と おっしゃっていました。

もしかすると、真の伝承が読み説かれる日は、

すぐそこまで来ているのかもしれませんね。


物事を生み出す数

2016-04-01 11:14:33 | 名草戸畔・神武東征

<宇賀部神社 うかべじんじゃ>

 

ある説によりますと、「3」という数字は、

物事を産み出す基本の数であり、

3つの異なる要素が出合って初めて、

新たな物が産まれるのだそうです。

神棚も正式には三社造りがよいとされ、

3つのお札を独立してお祀りすることで、

各々の神気が上手く入り混じるのだとか。

 

ちなみに、名草戸畔の遺体を埋めたとされる

宇賀部神社・杉尾神社・千種神社の3社が

もともとあった場所を繋げてみると、

正三角形になるという話を聞いたことがあります。

調べてみたところ、現在3社がある場所も、

きれいな二等辺三角形を作る位置に置かれていました。

 

3つに切断された名草戸畔の身体は、

偶然?にも三角形の地に鎮まっています。

豊穣のハイヌヴェレ型神話を具現化するかのように、

今なお「新たな物」を産み出している最中なのかもしれません。


海の民と山の神

2016-03-30 15:55:13 | 名草戸畔・神武東征

<杉尾神社 すぎおじんじゃ>

 

名草戸畔について詳しく調べるまでは、

名草の人たちは海や太陽の神を拝む、

生粋の海の民のイメージがありました。

ただ、名草戸畔の故郷である

和歌山・海南の神社を訪れたとき感じたのは、

山への強い崇敬心と信仰心です。

 

今回巡ったどの名草の神社も、

背後には高い山や深い森が控えており、

静かに手を合わせていると、

そこが海のそばであることを忘れてしまいます。

 

一見「山」という場所とは

無縁に思える海人族ですが、

その信仰の対象には、

「海の神」や「太陽の神」だけでなく、

「山の神」も含まれていたのです。

海の豊穣をもたらすのが 「山・森・木」であることを、

当たり前のように知っていたのでしょう。


大和魂

2016-03-28 10:37:44 | 名草戸畔・神武東征

<宇賀部神社 うかべじんじゃ>

 

もともと紀氏というのは、

紀伊国の先住民・名草の人々を祖先とする、

土着の豪族だったといわれています。

ただ、大和朝廷からの圧力が強まるにつれ、

自らの祖先(名草戸畔)や、

自らの神(国津神)を守るために、

名草戸畔という名前を伏せたり、

大切にしてきた聖地を明け渡したりと、

不本意な譲歩をせざるを得なかったのも事実です。

 

神武東征の過程において、

他の先住民が次々と天孫族に服従していく中、

名草の人々だけは果敢に侵入者に立ち向かい、

さらには撃退したことを示す痕跡が残されています。

小野田さんが自伝の中で書き記したように、

古代の紀伊人と紀伊に出自を持つ人間の不屈の魂は、

名草戸畔の伝承を通じて、

現代を生きる私たちに「大和魂」を伝えているのでしょう。


戸畔

2016-03-21 11:11:56 | 名草戸畔・神武東征

<和歌山マリーナシティ>

 

一説によりますと、名草戸畔の戸畔(とべ)とは、

家庭の主婦を示す「刀自(とじ)」からきており、

かつて存在した母系社会の名残だとされています。

また別の説では、「姥(とめ)」が変形したとも、

アイヌ語で乳を指す「tope」が語源だともいわれておりますが、

いずれにしても、古代の女性首長にのみ与えられた称号でした。

 

一部では「名草戸畔男性説」も唱えられるなど、

謎多きこの戸畔という存在。 主に海沿いや海の近く等々…、

海洋民族との接点が多い土地で活躍し、

名草戸畔以外にも、丹敷戸畔、新城戸畔など、

特に紀伊半島近辺で多くの痕跡を残しています。


千種神社

2016-03-20 10:20:46 | 名草戸畔・神武東征

<千種神社 ちぐさじんじゃ>

 

杉尾神社から千種神社へと向かう道は、

往来の激しい大通りと、両側に民家の迫る細い道とを、

交互に行き来しながらようやくたどりつく、

今回の難所のひとつでした。

目の前にあらわれた千種神社は、

想像以上に開けた場所にあり、

高い山を背後に抱く、 他の名草の神社の参拝後に訪れると、

緊張感がふいに和ぐような気がします。

 

千種神社は名草戸畔の足を埋葬した神社ですが、

社殿の扁額の文字は、敵側であった五瀬命をお祀りする

竈山神社の宮司さんが書いたものだと聞きました。

そして、神武天皇がヤマト入りを果たした後も、

兄である五瀬命の亡骸は、 名草の地に留まり続けています。

神武一行と名草の人々の間には、

勝者と敗者というひと言では片づかない、

複雑な思いが隠されているようです。


杉尾神社

2016-03-19 11:01:44 | 名草戸畔・神武東征

<杉尾神社 すぎおじんじゃ>

 

宇賀部神社からほど近く、

高倉山の反対側の山麓にあるのが、

名草戸畔の胴を埋葬したといわれる杉尾神社です。

道路からまっすぐ伸びる急な階段を、

足元に注意しながら登っていくと、

山肌に張りつくように鎮座する、

小さなお社が見えてまいります。

 

それにしても、名草戸畔の遺体はなぜ、

本拠地である吉原の中言神社ではなく、

名草山からやや距離のある内陸部の

小野田地区や高倉山近辺に葬られたのでしょうか。

そこには、亡くなったご先祖をより近くで供養したい、

産土神である高倉山の神様の懐で眠らせたい、

という小野田一族の願いもあったのかもしれません。


歴史のタブー

2016-03-18 10:35:17 | 名草戸畔・神武東征

<宇賀部神社 うかべじんじゃ>

 

宇賀部神社でいただいた資料の中に、

「紀の川の河口に流れ着いた大蛇(神様)を、

頭・胴・足に分け、それぞれを3つの神社に埋めた」

という伝承が載せられていました。

宮司さんいわく、「名草戸畔の名を公に出せないため、

名草戸畔を大蛇に変えて言い伝えを残したのだろう」

ということですが、ほんの数十年前まで、

公式の史実とは異なる敗者側の伝承は、

口に出すことすら憚られる時期があったのですね。

 

今でも、伊勢神宮など天津系の神社では、

陰の歴史に関わる内容について尋ねると、

怪訝な顔をされることが多々あり、

長年蓄積された「タブー」を肌で感じるもの。

名草戸畔に関する伝承が、大蛇の話に入れ替わったり、

名草戸畔の子孫であることを公言できなかったりしたのも、

ある意味仕方のない流れだったのかもしれません。


不撓不屈

2016-03-17 10:24:20 | 名草戸畔・神武東征

<宇賀部神社 うかべじんじゃ>

 

宇賀部神社で宮司さんに案内されたのは、

不撓不屈(ふとうふくつ)

という文字が刻まれた境内の石碑と、

小野田さんの身近な品を集めた展示室でした。

小野田寛郎さんに関しては、

ご自身の人生を書き記した本をはじめ、

様々なエピソードが残されていますが、

そのどれもが心の強さを感じる内容です。

 

この不撓不屈という言葉は、

神社に石碑を建てるにあたり、

小野田さんご自身が揮毫したそうで、

また石の材質も、全国各地の産地を探し回り、

自分のイメージに合うものを選ばれたのだとか。

 

現代人の誰もが成しえない、

過酷かつ稀有な人生を全うできたのも、

先祖である名草戸畔の強靭な精神力と、

産土神である山の神(国津神)の後押しを受け、

まさに不撓不屈の精神で、与えられた試練を

乗り越えたからなのかもしれません。


小野田家の先祖

2016-03-16 10:21:43 | 名草戸畔・神武東征

<宇賀部神社 うかべじんじゃ>

 

もともと宇賀部神社は今の場所ではなく、

鳥居を挟んで向こう側に見える、

高倉山の山中に鎮座していたと聞きます。

詳しい資料が失われてしまったため、

本来お祀りしていた神様に関しては、

宮司さんもわからないそうですが、

たぶん当時は「山の神」を拝む、

自然信仰の形に近かったのでしょう。

 

その後、江戸時代になってから、

現在地に神様を遷座しお社を建てて、

今の宇賀部神社が造られたそうです。

かつては小野田城という山城があり、

山頂の神社に名草戸畔の頭を埋葬し、

先祖代々お祀りしてきたと聞きました。

名草戸畔という謎めいたシャーマンは、

小野田家の古い先祖でもあったのですね。


敗者の神

2016-03-15 10:52:15 | 名草戸畔・神武東征

<宇賀部神社 うかべじんじゃ>

 

日本書記の内容に従えば、

神武軍との戦いに敗れた後、

名草戸畔の遺体は3つに切断され、

それぞれ頭は宇賀部神社(うかべじんじゃ)、

胴は杉尾神社(すぎおじんじゃ)、

足は千種神社(ちぐさじんじゃ)に埋葬されたそうです。

 

このような話を聞きますと、

一般的には、敗者の祟りを恐れた

「怨霊封じ」 などと考えたくなるわけですが、

どういうわけかどこの神社を訪れても、

勝者側(神武・天孫族)の神の痕跡が見当たりません。

 

宇賀部神社に祀られているご祭神は、

宇賀部大神という地主神を匂わせる神様です。

杉尾神社もやはり神社の名を掲げた杉尾大明神、

千種神社に至っては、草野姫神という

名草戸畔を暗示させる神様が、

主祭神としてお祀りされています。

 

本来であれば、勝利した神武側の天津神が、

堂々と表に出ていてもおかしくないのですが、

名草周辺の氏神でお祀りされているのは、

どれも古くから信仰されてきた

地主神であることに興味を引かれます。


宇賀部神社

2016-03-14 10:51:31 | 名草戸畔・神武東征

<宇賀部神社 うかべじんじゃ>

 

名草山から南東に向かって車を走らせ、

和歌山市を越えて海南市に入ったあたりに、

「小野田」という地名の場所があります。

小野田(おのだ)という名前を聞いて、

ピンと来る方もいるかもしれませんが、

こちらは終戦後も30年近くの間、

ルバング島のジャングルの中で生き延び、

無事生還されたのち、一昨年お亡くなりになった

元日本兵の小野田寛郎さんが生まれた土地です。

 

小野田さんの父親の家系は、

この地区にある宇賀部神社(うかべじんじゃ) という、

名草戸畔ゆかりの神社の宮司家で、

現在は小野田本家の血筋の方が、

宮司として神社を管理されています。

伝承によりますとこの神社には、

神武軍との戦いで殺された

「名草戸畔の頭」がお祀りされており、

地元では親しみをこめて「おこべさん」

「おこべじんじゃ」と呼んでいるそうです。