<三内丸山遺跡・縄文時遊館>
昨日、縄文前期までに制作された土偶は、
主に形代(かたしろ)として
使用されたのではないかと推測しましたが、
板状土偶のちょっと呆けたような口元を見ておりますと、
「彼らが」人々の身代わりとなり、
罪穢れを飲み込み吐き出すイメージが、
どこからともなく漂ってまいります
(あくまでも主観ですが……)。
一説によりますと、我々人間の霊魂というのは、
「口(および鼻)」から出入りし、
死者の魂が肉体を抜け出る際も
同様な経緯をたどるのだとか……。
板状土偶の特徴でもある少々締まりのない口元は、
もしかすると現代のヒトガタと同様に、
「息を吹きかける」ために造られた
形状だったのかもしれません。
そしてときには、自らの霊魂を板状土偶に写し、
「呪詛」をかけるような場面もあったのだと思われます。
土から地母神を作り上げる過程において、
人体というフォームが持つ霊力を再発見した縄文人は、
新たに「土の形代を用いて」
縄文以前の祭祀を継承しようとしたのでしょうか……。
ただし、それ以降に制作された土偶もすべて、
「形代」だったかと問われると決してそうではなく、
それぞれの時代の土偶には
それぞれの事情があったようなのでした。