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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

白人神社

2018-01-21 09:01:59 | 剣山・イスラエル

<白人神社 しらひとじんじゃ>

 

磐境神明神社の下にある白人神社のお祭りは、

75人(現在は減ったそうですが)

の宮人によって執り行われると聞きます。

その昔は磐境神明神社のそばに、

お社があったそうですから、

恐らく磐境という建造物は、

白人神社の礼拝所だったのでしょう。

 

また、宮人のみが立ち入り可能な

白人神社の社殿の奥には、

昔の宮人が自らの姿を刻んだとされる

75体の木像が奉納されているのだとか。

いずれにせよ、この神社は宮人という

特別な家系の人々によって創建され、

今なおそれらの人々によって

管理されているのですね。

 

ちなみに、白人神社の境内の灯篭の上に、

ちょこんと乗っているうさぎの石像は、

白人神社の神使を象ったものなのだそう。

先ほど見た重々しい磐境の様相と、

何ともユーモラスなうさぎの姿とが、

この神社のコントラストをさらに

際立たせているように感じました。


75と古代部族

2018-01-20 09:58:18 | 剣山・イスラエル

<磐境神明神社 いわさかしんめいじんじゃ>

 

「75」という数字を見たとき、

どのようなイメージを思い浮かべるでしょうか?

実はこの「75」という数字は、

古代イスラエルに縁ある数字だと言われており、

例えば、ヤコブの親族の人数、

祭礼で生贄にする子羊の頭数、

あるいは、諏訪大社の御頭祭で

使用される鹿の供物の数……等々、

ユダヤを彷彿させる様々な場面で

「75」という数字が登場します。

 

磐境神明神社(および白人神社)神社は、

その昔75人の宮人(みょうど)の手で造られ、

今も彼らの子孫によって守られている聖域です。

一説によりますと、宮人という集団は、

古代からこの地を拠点としてきた

「阿波忌部族」の末裔であり

「鷹の紋章を持つ人々」なのだとか。

磐境神明神社の周辺には、ユダヤはもちろん、

「日本の古い部族」との深い因縁を

伺わせるようなエピソードで満載でした。


異質な伝統

2018-01-19 09:55:39 | 剣山・イスラエル

<磐境神明神社 いわさかしんめいじんじゃ>

 

磐境神明神社の石積みは、

五か所の社と三か所の入り口を持つ、

「五社三門」と呼ばれる形を取っています。

何でもこれらの祭壇の特徴的な形式が、

イスラエルの礼拝所と酷似していることが、

この神社と渡来人とのつながりを示す、

有力な根拠となっているようです。

 

また、氏子の中には宮人(みょうど)と呼ばれる

神社の祭祀を任された人たちがいるそうですが、

彼らは代々世襲制を取っており、「祭司の家系」

「祭司を補佐する家系」といった具合に、

明確に立ち位置が決められているのだとか。

かつて磐境には、一年中火が灯されていた、

という話も聞きますし、一般の神社にはない、

異質な伝統を受け継いでいるのは確かでしょう。


生き物の気配

2018-01-18 09:53:25 | 剣山・イスラエル

<磐境神明神社 いわさかしんめいじんじゃ>

 

その姿をひと目見た瞬間、

心の中で 「これは…」と唸ってしまったほど、

目の前に現れたそれらの人工物は、

これまで私が見た光景の中でも、

ひときわ異彩を放っていました。

あまりのインパクトの強さに、

近づくことすらできないまま、

しばし境内の隅で立ち尽くすこと十数秒。

恐る恐る建造物のそばに近寄ってみると、

最初に抱いた感覚よりもさらに生々しい、

「生き物の気配」が漂ってきたのです。

 

ちなみに、磐境神明神社の「磐境」は、

神域の周りに張り巡らされた石垣や、

石垣の中に設置された祭壇を指す言葉で、

古い時代の祭祀形態の名残と言われています。

熊野の山中でもたくさんの磐境を見ましたが、

一見似たような造りであるにも関わらず、

両者の印象にはかなりの差がありました。

恐らく、この磐境神明神社の磐境は、

今なお「しかるべき人たち」により、

祭祀が続けられているのでしょう。


磐境神明神社

2018-01-17 09:51:12 | 剣山・イスラエル

<磐境神明神社 いわさかしんめいじんじゃ>

 

磐境神明神社と呼ばれるその神社は、

130段もの急な石段を登った先にありました。

ただし、神社とは言いましても、

こちらの場所には、通常の神社で

見られるような社殿の類などはなく、

古代イスラエルの礼拝所を模したとも噂される、

石積みの建造物がひっそりと置かれているだけです。

 

連日の「登山」の繰り返しにより、

足腰が悲鳴を上げているにも関わらず、

「参拝」という目的があると、

不思議と覚悟が決まるのでしょう。

何かに急かされるようにして

一気に階段を上り切ったとき、

視界に飛び込んできたのは、

想像以上のビジュアル力を持つ、

磐境神明神社の「磐境(いわさか)」でした。


剣山という神殿

2018-01-16 09:48:12 | 剣山・イスラエル

<磐境神明神社 いわさかしんめいじんじゃ>

 

阿波の「伝統」とも言える神社の長い石段は、

恐らくユダヤの神殿を模したものかもしれません。

神社という型式が、イスラエル系の渡来人

によって持ち込まれたと仮定すると、

「平地にある神社」というのは、

ごく最近の形態なのだと思います。

 

古代、この地に到着したイスラエルの人々は、

剣山という場所に故郷のパレスチナを重ね、

山頂に一大国家を築きました。

そして、何らかの事情により山を下りた際、

今度は「剣山」という神殿を真似て、

この場所に神域を作ったのでしょうか……。

 

もしかすると「石段の高さ」というのは、

神への崇敬の念を示したものであり、

「より高貴な神」ほど

高い場所に祀られたとも考えられます。

「宝を隠す」という意味でも、

山中の急な斜面という立地は、

その条件を十分に満たしていたのですね。


高所への執着

2018-01-15 09:46:19 | 剣山・イスラエル

<磐境神明神社 いわさかしんめいじんじゃ>

 

古代イスラエルの息吹が色濃く漂うその神社へは、

軽く見積もっても100段以上はあろうかと思われる、

長く急な石段を登って行かなければなりません。

神社に階段はつきものではありますが、

これほどまでにハードな体裁の石段が、

地域の氏神といった風情の神社にまで、

当たり前のように設置されている場所は、

そうそう見当たらないはずです。

 

言うなれば「高所への執着」

とでも表現したくなるような、

地形への強いこだわりを目の当たりにすると、

この地の人々が味わってきた、

「特殊な環境」に思いを馳せてしまうもの。

いくら「神様は高いところにいる」とは言え、

わざわざ急な斜面を選び参道を作った背景には、

どんな意図が込められていたのでしょうか……。


タフな道のり

2018-01-14 09:43:56 | 剣山・イスラエル

<磐境神明神社 いわさかしんめいじんじゃ>

 

剣山周辺のミステリースポットの中でも、

特に「視覚に訴える」と思われるユダヤの痕跡が、

この果てしなく続く石段の先に待ち受けています。

言うなれば、これまで見てきた場所というのは、

頭の中であれこれイメージを広げながら、

歴史を補足する必要があったわけですが、

恐らくこの遺跡は、私が求めている姿を、

一目瞭然の形でさらしているはずです。

 

それはさておき、阿波の神社の参道には、

何故これほど長い石段が必要なのでしょうか……。

しかも、長さだけでなく角度も厳しく、

いくら下から見上げてみても、

頂上に何があるかまったくわかりません。

この地に到着してまず面喰ったのが、

まるで天空と吸い込まれるように伸びる、

怖ろしくタフな境内への道のりでした。


天国への階段

2018-01-13 09:32:27 | 剣山・イスラエル

<穴吹町・口山地区>

 

剣山を彩るミステリースポットを、

あれこれとご紹介してきましたが、

実はもう一ヶ所、剣山と古代イスラエルとの

関連を調べる上で、避けて通れない神社があります。

その神社があるのは、徳島県北部の

ほぼ中央に位置する美馬市・穴吹町。

他の予定をこなしつつ、ようやく目的地に到着したのは、

あたりが薄闇に包まれ始めた夕方の4時近くでした。

 

しかし、山の夕暮れと言うのは、

驚くべき速さで襲ってくるものでして、

平地であればまだ明るさが残る時間帯でも、

山中ではすでに暗闇に飲み込まれます。

この日も、もう日没まであとわずか……。

予定していた周囲の散策はあきらめ、

神社の駐車場に車を停めるとすぐ、

まるで空へと続くかのように設えられた、

「天国への階段」に足をかけたのでした。


三つ柏紋

2018-01-12 10:07:18 | 剣山・イスラエル

<倭大国魂神社 やまとおおくにたまじんじゃ>

 

ユダヤの祭礼具・メノラーを象ったされる

倭大國玉神社のミステリアスな神紋ですが、

実は「三つ柏」という日本古来の家紋が、

この神紋とそっくりな形をしております。

調べたところ、この「三つ柏紋」は、

神官系列の家によく見られる文様で、

ゆかりの神社として上げられるのは、

伊勢内宮、熱田神宮、宗像大社…など、

そうそうたるメンツが揃っていました。

 

ちなみに、鳴門市ある大麻比古神社や、

吉野川市にある忌部神社の「麻の葉紋」も、

イスラエルとの関連が示唆されており、

仮に倭大國玉神社の紋がメノラーだとすれば、

家紋というもの自体がユダヤの影響を

受けて作られた可能性も見えてきます。

「家紋の歴史は浅い」とも言われますが、

日本とユダヤとをつなぐ証として、

無視できない印なのかもしれません

【参考サイト】

玄松子の記憶


メノラー

2018-01-11 11:04:37 | 剣山・イスラエル

<倭大国魂神社 やまとおおくにたまじんじゃ>

 

倭大國玉神社へと続く長い石段を登ると、

堅牢な石造りの鳥居が出迎えてくれました。

参道の突き当りに鎮座してしていたのは、

本日最後の目的地である倭大國玉神社です。

通常、12時間も休みなしで走り回れば、

かなりの数の神社を参拝できるのですが、

さすがに剣山は一筋縄ではいきません。

恐らく、ホテルまでの移動時間と、

日没までのタイミングを考慮すると、

ここでタイムリミットとなりそうです。

 

ちなみに、なぜ倭大國玉神社が、

ユダヤとの関連を指摘されるのかと言えば、

この神社の神紋がユダヤ教のシンボルである、

「メノラー」とよく似ているからなのだとか。

祭礼用の燭台であるメノラーは、

中央の幹の両側に三つの枝がついた、

少々特徴的な形をしております。

ひょっとすると、神社の神紋(家紋)に、

古代ユダヤの影響が及んでいる可能性も、

ゼロではないのかもしれません。


高い場所

2018-01-10 10:02:31 | 剣山・イスラエル

<倭大国魂神社 やまとおおくにたまじんじゃ>

 

倭大國玉神社のふもとにある

八幡神社への参拝を済ませ、

倭大國玉神社の境内へと足を向けました。

ゆらゆらと揺らめく夏のような日差しが、

全方位から容赦なく襲い掛かってくる中、

100段以上はあろうかという長い石段を、

額に汗を滲ませながら登って行きます。

 

街中の神社だからと油断していましたが、

やはりそこは剣山の支配エリアでした。

この地の人々は、わざわざ高いところを

探すかのようにして神社を作るのです。

古代阿波の信仰を考える上で、

「高い場所」というキーワードは、

決して外すことができない

重要なテーマなのでしょう。


八幡の結界

2018-01-09 11:01:50 | 剣山・イスラエル

<重清・八幡神社 しげきよはちまんじんじゃ>

 

剣山周辺の神社を巡っておりますと、

至るところで八幡系の神社に遭遇します。

正確な数字はわかりませんが、

源氏の影響が強い首都圏近郊などと、

大差ないほどたくさんの八幡神社が、

剣山を取り囲むように鎮座しているのです。

ユダヤとの関連が示唆される

美馬市・倭大國玉神社の下にも

「八幡神社」が鎮座していました。

 

由緒によりますとこの八幡神社は、

倭大國玉神社が創建されたのちに、

この場所に建てられたと聞きます。

八幡神といえば、秦氏の氏神でもありますが、

イスラエル12支族の末裔と噂される秦氏が、

剣山の主要地に次々と八幡神社を置いた

(あるいは八幡神社に変えた)経緯には、

何か深い理由があったのでしょうか……。


ユダヤの印

2018-01-08 09:55:58 | 剣山・イスラエル

<重清・八幡神社 しげきよはちまんじんじゃ>

 

「山から降りたときの感覚」というのは、

経験した人でないとわかりにくいものです。

私自身、山中を車で走るのは、

(狭い道でのストレスを除けば……)

それほど嫌いではないのですが、

やはり平地に降りてくると常に、

「生還できてよかった」という

安堵の思いが湧き上がってきます。

 

そんな山での生活も、

この一帯では当たり前の日常であり、

ましてや「高所」を聖なる地とする

古代の阿波人にとっては、

ステイタスでもあったのでしょう。

もし、剣山山頂にいた古代イスラエル人が、

何らかの事情で麓まで降りてきたとすれば、

そのときどんな感情を抱いたのかは、

非常に気になるところではあります。

 

倭大國玉神社が鎮座する場所は、

他のイスラエル関連の神社とは異なり、

剣山を見上げる「平地」にありました。

そこには恐らく「平地のユダヤ」

の痕跡が残っているはずです。

一見、のどかな風情のこの氏神には、

いったいどんな「ユダヤの印」

が隠されているのでしょうか……。


平地の開放感

2018-01-07 09:50:11 | 剣山・イスラエル

<重清・八幡神社 しげきよはちまんじんじゃ>

 

倭大國玉神社を指し示すナビに従い、

住宅街の中の狭い生活道路を走って行きますと、

小学校の隣に八幡神社と書かれた幟が見えてきました。

この神社の左わきの石段を登った先にあるのが、

次の目的地である倭大國玉神社です。

 

八幡神社の境内にそびえる

二本の立派なクスノキのご神木は、

ちょっとしたパワースポットとして、

週刊誌などで紹介されたことがあるのだそう。

堂々としたその立ち姿を眺めているだけでも、

ここが古くからの聖域であることが伺えます。

 

まずは、倭大國玉神社へと向かう前に、

ふもとの八幡神社の駐車場に車を停めて、

長距離ドライブの疲れを癒やしました。

窓を開けると頭上の木々を揺らしていた風が、

サワサワと車内に吹き込み、

充満した熱気を追い払ってくれます。

 

すでにぬるま湯と化した

ペットボトルの水を口に含むと、

「平地」に降りてきた安心感が、

五臓六腑に染み渡るように広がり、

ようやく高所の緊張感から

心身ともに解放されたのでした。