治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

土台を作った地

2017-06-04 07:35:27 | 日記



先週の水曜日の朝、母と二人新幹線に乗りました。
一日に何本かある豊橋に停まる「ひかり」です。これであのでかすぎる静岡県をなかったことにしようという作戦。
豊橋からは豊橋鉄道渥美線に乗り換え、三河田原を目指します。
去年栗本さんと私が田原市に呼んでいただいたこと、覚えていらっしゃるでしょうか。
そのとき私は母の子ども時代の思い出を知りました。



渥美半島は、繰り返し繰り返し母がよい思い出を語っていた土地でした。
ではよほど長くいたのかと思うと、昭和二十年の九月から昭和二十一年の五月という九か月。
海軍にいた祖父が残務処理をして次の職場に移るまで、空襲で焼け出された母たち一家はここに戦後食料疎開していたのです。

ちゅん平さんのことを思い出します。
ちゅん平さんが亡きおじい様のことをあまりに生き生きと愛情こめて語るので、そのおじいさまが実は四つの時に亡くなられていたというのを知ってびっくりしました。
それでもおじい様との愛情は、ちゅん平さんの言葉以前の土台を作っていました。だからこそ、途中まで治ると一気に治ったのだと言えます。
たった九か月しかいなかったけど、母にとって渥美半島は第二の故郷だと言います。
昨年、一度母を連れてきたいな~と言った私に現地のAさんが「そろそろメロンがおいしいですよ。車出してご案内しますよ」とお誘いくださったので、お言葉に甘えることにしたのです。

そんなわけで三河田原に着いたら、Aさんが駅で待っていてくださいました。
車に乗せていただき、まず田原市博物館で折から開催されている原風景の写真展です。
そこから二対一になりました。
つまり、マイペースで動く私と、母(のガールズトーク)に辛抱強くおつきあいくださるAさん、と言う構図です。旅の間ずっとこういう感じでした。

道の駅でお買い物したり、名物のしらす丼でランチしたり、メロンを食べたり、といった観光客らしいこともしましたが
一日めのメインイベントはやはり、母が住んでいた家までたどりついたことでした。

まずは大家さんだった網元の本家、というのが見つかりました。
母の記憶どおり、バス停の真ん前で、立派な長屋門の名残がありました。

そこからたどっていくと、母たちが住んでいた家はあっさりと見つかりました。
建て替えて人が住んでいらっしゃるので写真は遠慮しましたが、建て替えたあとも当時の面影が残っている建物だということでした。網元はお大尽なのですね。昭和二十年当時でも鉄筋づくりだったそうです。

行ってみてびっくりしたのは、そのロケーションです。
太平洋を見下ろす位置にあるのです。さえぎるものは何もなく。
岩がごつごつした海で海水浴向けではありませんが、今はかなり護岸工事がされている浜は当時それなりに広く、地引網を引く牛の姿なども見られたそうです。
母は九か月の間毎日、海につかって遊んだそうです。
今なら漁協が文句言うでしょうが、カキなんか自分で取って食べたりしていたそうです。

戦後食料疎開、と書くと悲惨な体験に思えますが
つまり時代が時代なら、九か月海を見晴らす別荘でリゾートしていたようなもんでした。
おそらくそこで、空襲やなんかのトラウマ処理が相当済んでしまったと思います。言葉以前のレベルで。

そして網元のおうちでも、ご近所のおうち(そこにはお米をつきに行っていたそうです)ご子孫とお会いできお話しできました。こういうときはガールズトーク能力が花咲きます。
母は驚くほどいろいろなことを覚えていました。

そしての氏神様に参拝。
海辺の町らしく、ものすごく高いところに神社はあります。
五本指シューズで張り切って登る私(マイペースで)。
その階段を母は登り切りました。Aさんが母のペースにおつきあいくださいました。
何百段かの階段を母は登り切ってお参りしました。これも七十年ぶりのお参りです。


その日は宿まで送っていただき、温泉に入って二人で海の幸山の幸をたくさん食べました。
宿は張り込んでオーシャンビューの広い部屋を取りました。これは、ガールズトークよけでもあります。
そして夜は早く寝ました。これもガールズトーク(以下略)

翌日は雨と言う天気予報で、だったら田舎にいると不便なので、豊川の海軍工廠跡でも見に行こうかと言っていました。祖父の終戦時の勤務地です。
けれども翌朝は晴れ。二人でビーチを海まで散歩しました。
こんないいお天気なら、母としては焼け出された豊川より良い思い出のつまった渥美半島にいたいのは当然です。「予定変更するとAさんに申し訳ないかしら」とか言うのですが、Aさんだって近い方がいいしこの際甘えてしまいましょう。ということで予定変更し、渥美半島にいることにしました。

そうしたらAさんが一晩のうちにいろいろ調べてくださっていたのです。
今は護岸工事してある母が遊んだ浜に近づくルートがわかり、母は七十年ぶりに遊んだ浜を訪れることができました。
そこで二人で写真を撮りました。
穏やかな顔の二人がそこにいました。
写真を愛甲さんに送ると、こんなメールがかえってきました。

=====
親孝行をすると親が幸せである以上に子どもが幸せになります。
それは「和解」が生じるからかもしれません。

愛着障害(愛着形成不全)は誰のせいでもありません。
たとえ胎内での愛着形成不全(基底欠損)がなくても、人生何が起こるかわかりませんので、誰もが愛着障害を抱える可能性があります。
=====

私の愛着形成のヌケは「ガールズトーク嫌い」に尽きるなあ、と思いました。
それでも今回Aさんと母の会話を見て、Aさんがお世辞ではなく楽しんでくださっている瞬間があったような気がしました。
そこの部分を私はすっ飛ばしているのだと思いました。

でもそれぞれいいところがあると思います。
思えば母が一万回くらい渥美半島の思い出を語ったから、私は講演で渥美半島にきたときその話を思い出したのだと思うし。

そして私はガールズトークに代表される無理やり音声言語で時間を埋めるような決まり文句を交わし合うような会話が大嫌いで、だからこそギョーカイのウソに気づいて、だからこそ抱く問題意識があり、それが本につながっていますからね。

Aさん、ご案内、ガールズトークへのおつきあい、ありがとうございました。
母は「冥土の土産」と言っています。
母にとって冥土はまだまだ遠い地ではありますが、良い思い出を作れたと思います。
渥美半島のよさがわかったので、今度は海に浮かびにいきたいです。そのときはまた母を連れていこうと思います。




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