![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/34/f6a07390eed6ae299b54091a5021bed6.jpg)
関取衆が羽織をまとう中、若い衆のひとりとして、単衣の浴衣でパーティに出席していたかつての高安さんの姿を見ていた者としては
関取になり、三役になり、どんどん立派になり、大関に昇進するなんて本当に感慨無量です。
口上は西に向かう新幹線の中で見ました。
正々堂々、は実に高安関らしい言葉ですし
精進する、のも間違いないし、おそらく兄弟子へのリスペクトが入っているだろうし
それでも「正々堂々」と「精進」は本来は座りの悪い組み合わせかもしれないと思います。
「正々堂々」のあとは「闘う」とか、「立ち向かう」とか、相手がいる動詞の方が座りがいいですね。
ところがギョーカイ内では、「正々堂々と精進する」というのは宣言するに足るフレーズですね。
昨日私はクローズドな場所で問いかけたんですけど
「頑張ると二次障害になる」というギョーカイの伝説ね。
あれと裏腹に、私は頑張って二次障害になった人を見たことがありません。
むしろ頑張るなと言われ、制限された生を押し付けられて、二次障害になっている人の多さに気づきます。
なぜこのような言説がいきわたるのかについては色々ご意見がありました。
・生命力を信じきれていない
・そういう人自身が頑張ったことがないのだろう
・無理をさせると弱くなるという弱者としての人間観
いずれもあてはまる人もあてはまらない人もいることでしょうね。
親の側は頑張った経験があって、でもわが子に頑張らせるのが怖いとき
・ギョーカイの洗脳
・愛着障害
がひそんでいるような気がします。
ギョーカイの洗脳はひとつひとつ洗い直す必要がありますが
中でも
・社会の理解があると生きやすくなる
・頑張らせてはいけない
あたりは根源ですね。
しかもこれは、ある大物ギョーカイ人がご自分の子育て方針を広めただけ、っていう気がしないでもありません。それと「できるだけしんどいことはしたくない」という親や支援者に蔓延している省エネモードがまた、絶妙なマリアージュを起こしたのでしょうね。
そこのおうちがどうなったかは、まあ知っている人は知っているでしょう。
いずれにせよ、お父さんが大物じゃないと破たんする生き方でしたね、というだけ申し上げておきましょう。
でもみんな素直なんでしょうね。
それを信じましたね。
だから発達障害関係の修行系はあえて言わないといけないんですよね。
「正々堂々と精進する」って。
高度な見張り合い社会である発達障害関係者の間では
精進するって非難されるからね。
あ~変な社会だ。
頑張ることがストレートに高評価される。
しかもそこでは勝ち方にも品格が重視される。
そのわかりやすさがまた、私が好角家を続けている理由のひとつかもしれません。
そしてこれが
ある種の人にはわかりにくく、新たなルサンチマンを醸成するのでしょうね。
既にキッパリ縁を切ったはずのギョーカイ側は、
「息子クンの不登校改善のお役に立てて、我々も嬉しい。」
と、自分たちのお手柄のような言いっぷりでした。
親の会系はみんな、
「学校の理解が進んで、特別支援が上手くいったからね。」
「でも、登校してるといっても、“困り感”はあるんでしょ?」
と、知りもしないのに決めつけてました。
(ちなみに、私、この“困り感”っていう言葉、いまいちよく理解できません。
親の会の人達、この言葉よく使ってましたけど。)
本人と親がどれだけ頑張ったか、なんてことは、見たくも聴きたくもないんですね。
私としては、保護者側が、理解も支援も一切要りませんから!
という姿勢を明確にした所にターニングポイントがあったと思っています。
本人と親の、たゆまぬ努力なくして、変化も成長もあるわけないと考えてます。
<・・・精進するって非難されるからね>
という浅見さんの言葉に、当時のことを改めて思い返しました。
「”困り感”の意味がわからない」という発言をしましたが。
私から見ると、困っているのは、お母さんたちの方で、
本人は、あんまり困ってる感じはしないような・・・・。
我が家は、まさにそんな感じで、
本人は、全然困った感じどころか、お気楽すぎて(苦笑)
これが、“困った感”ということに、なるのかな・・・??
すみません。超個人的な雑感でした。
芋本で身体を作ることは
苦になりません。
なので、
私にとって頑張るうちに
入らないです。
睡眠障害はあるものの、
脳が休まる時間は増えました。
その結果、
以前より脳の踏んばりが
きくように。
薬飲むとか
患者向け食生活パンフを読むだけだったら、
ここまで踏んばらなかったかもしれません。
頑張る=苦になることをやる
と私は思ってないのです。
そこが自閉圏の人と話がすれ違うところだなーと思います。
ご指摘ありがとうございます。
頑張る、という言葉に
自身の運動部体験をリンクさせていたかも、
と気がつきました。
自分のこれまでの生活が
山あり谷ありだったのも、努力の方向性を間違えていた面が大きいと思います。