治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

箱根のむこうの芋づる式 その4(完)

2016-10-18 12:06:36 | 日記
豊橋で日に一本のひかりを待っている間、私は母にLINEしました。
「今日は仕事で渥美半島にきました。メロンをいただきました。よかったら食べにきてください」
渥美半島は母の思い出話によく出てくる地だったからです。

主催者の方にも話しました。「よく母の思い出話に出てくるのです。渥美半島に海軍の大きな施設とかはありましたか?」
「海軍・・・ですか?」みたいな感じ。
祖父が海軍の技術系の軍人だったため、母の小さいころの思い出の地はだいたい海軍にとって要衝の地。だから私は母が祖父の赴任に伴って渥美半島に暮らした時期があったのかと思っていたのでした。
母にとって渥美半島は、楽しかった記憶の土地のようだ、ということは常々感じていました。

翌朝母から電話がありました。
「渥美半島、ということは田原に行ったの? 田舎だったでしょう。でも半島最大の町なのよ。そして私たち一家が住んでいたのはもっと奥だったの。田原から日に三本しかバスがなくて、それを逃すときょうだいで三里の道を歩いたのよ」ということ。
なんでそんな奥地に住んでいたの? 軍の施設があったの? ときくと、実は住んでいたのは戦後だったのでした。

豊川に海軍工廠という重要施設がありました。終戦時祖父はここに勤務していました。
昭和20年8月7日、ここに大きな空襲があり、子どもを含むたくさんの人が亡くなりました。母はかろうじて死を逃れました。
そして15日に終戦。祖父は残務処理を命じられます。けれども焼けた町の中では食料もなく、家族は生きながらえません。そこで祖父がつてをたどって渥美半島の網元の別荘を借ります。祖父を豊川に残し、母たち一家は渥美半島に九か月、食料疎開していたのでした。豊饒な地だ、と私が感じたのは間違っていなかったようです。

母が語る思い出で印象に残ったのは、とにかく親切な人ばかりだった。朝ドラでよくあるような、農家による都会人いじめなど一度も経験しなかった、ということ。それどころか、地引網からこぼれる魚を集める地元の人たちを見ながら、自分たちはよそものだから手を出してはいけないと黙って見ていた母たちきょうだいに、漁師さんたちがぽんとお魚をくれた。飢餓の時代、丸々したお魚をもらえるなんて、夢のようだった。朝起きると家の前に誰かが野菜を置いていってくれていたこともあった。通学路牛の引くリヤカーが通るとひょいと乗せてもらえた。

母の中で渥美半島は、良い思い出の詰まった地でした。
子どもらしく人々にかわいがられた土地でした。
私はその思い出話をうっすら覚えていたようです。

昭和20年9月から昭和21年5月。
九か月の滞在。
その間に母は色々なものを見聞きしたようです。
大阪から買い出しに来た人たちの疲れた姿。日本はどうなってしまうんだろうと国中が不安にさいなまれていたとき。
敗戦後の過酷な時代、母の命をつないでくれたのは渥美半島の幸とそこの人々の親切心だったのです。
そしてその命は、長らえたこそ、私に引き継がれました。

私は恩返しの機会を与えられたのだと思いました。
かつて母を養った地に、「発達障害は治らない障害ではない。治す糸口となるの芋づるの端っこがあるよ」と伝えるために赴いたのだと思いました。
芋づるの端っこをつかんでください。そうしたらお芋がいっぱい取れるみたいだよ。その手段は見つけたらどんどん本にしていくよ。
そう伝えに行ったのだと思いました。

「発達障害を治したい」
そう思うことで、私をたたく人、攻撃する人もいっぱいいるよ。でも私はそんなことにひるまないから。
人一人の命は、何世代にもわたる、たくさんの人々の人情にささえられてここにあります。
だから、自分の命をどう使うかには大きな責任がある。
前の世代にも次の世代にも責任があるのです。
そして私は自分の与えられた命を

「一生治りません」

なんていう人たちの片棒担ぎに費やすつもりはありませんからね。

ギョーカイは勝手に治らながっていればいいよ。

でも私は

見つけた知見はどんどん発表していきますからね。

少しでも興味を持って、おっかなびっくりでもともかく

先日来てくださった皆さんが芋づるの端っこをつかみ、たくさんのお芋が取れますように。
そしてもし、渥美半島に
母が経験した人情がまだ残っているのなら、それを地域のリソースとして大事にしてください。
そういうものがいかに貴重か、次の本を読むとわかります。
それも大きな芋づるの端っこになるかもしれません。


最後になりましたが、この貴重な機会を与えてくださった田原人権ファンクションの皆さまにも、つないでくださった読者の方にも感謝したいと思います。

もちろん栗本さんにも。
芋づる式に治す知見を持ちながら、一切カリスマにならないのは大したもんです(褒めてます)。
それでいいのです。
祭り上げられても人を治せるのは、本当に器が大きい人だけですからね。
栗本さんも私も、到底その域に達してはいません。
お互いこれからも、修行に励みましょう。



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