治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

白くま母さんのブログより

2011-09-17 09:07:44 | 日記
さて、19日の講演。
すでに満員御礼でお申し込みは締め切りましたが
別にどこから助成金が出ているわけでもない本当に手作りの講演ですから
お客さんが少ない場合には、主催者が持ち出して補填する予定でした。

なんとかそれが避けられてほっとしています。
黒字になるでしょう。
これは営利が目的ではないので
この黒字分は次回の活動に回ります。
その概要を当日発表できたらいいなと思います。

白くま母さんが仲間内で書いたブログの転載許可をもらいました。
大変な仕事でしたが
実りは多かったようです。

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来週、いよいよ長沼先生、ニキさん、浅見さん、郡司先生を囲んでの講演会です。

私たちに必要な情報は何か、そこから始まった準備でした。
色々とわかってくると学校、親、当事者、支援事業所、行政機関それからすべてを取り巻く社会。

なんだかどこも少しずつずれていることに驚いた私です。

出したメールは2000通以上。道内の支援学校、養護学校、支援事業所は民間から行政が絡んでいるところまで。
児童デイサービスに、子ども発達支援センター、障害者支援センター、大学関係、病院さんまで…
チラシは何枚刷ったんだろう…もう覚えていません。
でも、そんなには回っていないと思います。

この業界。縦にも横にも繋がりが悪いんですね。大量の案内用紙が放置されたままのお役所もありました。

送ったメールも全部はちゃんと見ていないんですね。別にいいんですが…あとから「知らせてほしかった。」と言われても。ね~

〇〇会とか、〇〇法人と看板を上げて複数の事業所や相談所を抱えているところはそれの一つ一つに…

とても楽しい作業でした。たくさんの人達と電話でお話しました。

学校を卒業して社会に出るということ(作業所や生活支援施設も含めて)。昔のように、「障害がある何もできない人たち」という概念はありません。学校よりずっと「社会に送り出す。」という視点で支援が展開されています。

「挨拶が習慣化されていない子を相手にする社会はない。」という厳しい方もいました。自分で生活できるだけの自立は当たり前の話のようです。
経済的なことではないですよ。生活面でです。
最低限、自分のことは自分で出来ないといけない。人としてのマナーは出来て当たり前の話なんだそうですよ。

お椀を舐めるとか、人前で性器を出すとか、トイレに行く習慣がないとか、手掴みで食事するとか…そんなことは問題外という事です。

こういう事を、「障害があるから、重度の自閉症だからできなくてもそれは障害特性からくるものだから。」と考えている人はいませんね。

事業所はどこも定員いっぱいであふれています。捌ききれないので相談業務。見学。実習もお断りしているところもありました。

「ここは終身雇用じゃないんで。あくまでも就労するまでの通過点でしかない。スモールステップで習得していくしかない人たちへの準備機関でしかないんです。」

「ここに40年、通い続けられるなんて思わないでほしい。」というのが現場の声のようです。

そして最近はやりのグループホーム。「ここは終の棲家ではないので。」と仰っていましたね。

やっぱりね・・・障害があるので誰かの世話になって生きていく。・・・そんなことは難しい時代になってきていますね。

言われてみれば当たり前の話なんですが言葉が出ませんでした。

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障害のある子も障害のない子も社会で生きていきます。
いやおうなく、社会の影響を受けます。
誰かの世話に一生なり続けることは難しい社会が
もう来ているんですね。

昨日の画伯ブログに、大地君の新刊について載っています。
こういう思いで装画を描いてくれたんだなあ。
いい本になりそうですよ。

なぜこのタイトルになったか。
どういう経緯でこの表紙ができたか。
いずれここでも説明しましょう。

発売までには、もうちょっとお時間がかかります。