治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「わかってもらおう時代」の思い出

2011-09-04 10:27:10 | 日記
最近ひんぱんに思い出すことがある。
先日は会食でもその話をした。

ずいぶん前(っていっても10年も前じゃないわけだが。本当にこの間の自閉症支援を取り巻く言論の変化はすさまじいものがある)
ジャーナリストで自閉っ子の父、という人が自分の息子、自閉症を題材に番組を作った。
その人は「親のしつけのせいではないとわかってもらいたい」
「障害児だというバッジをつけて外に出たいくらいだ」と言っていた。
番組作製の目的も、少なくとも部分的にはそこにあったようだ。まあ趣旨として異論をはさむ余地はないよね。

ところが番組が放映されたあと
さる親の会に出かけて私は衝撃を受ける。
私の目には無難な啓発番組に見えたその番組が
ここでは不評だったのだ。

今わかること。
そこにはしっかりとしたお母さんが揃っていた。

どういうところが不評だったかというと・・・

そのお子さんは水にこだわりがあり
ショッピングセンターなんかに連れて行くとわっと駆け出して男子トイレに入り
個室の水という水をフラッシュする。
番組ではその様子を撮影していた。

そして「水にこだわりがある」という説明がなされていた。
私の立場では「ふんふん。そうだなあ」と納得していた。

けれどもそこに集まったお母さんたちによると
そういう行為は「たしかに自閉症由来ではあるが、しつけ・療育でなおすべきもの。なおせるもの」
自閉症であってもそれは可能。
ただそれを怠っているだけ。その様子を映しているだけ。
療育の行き届いていない子を「自閉症児」の代表とされてはたまらない、と。

その当時の私はきょとんとして聞いていた。

そのあとさらに不評だったのは

私はなぜか記憶にないんだが

この番組ではその男の子が立小便をするところを撮影していたらしい。

みっともない。
どうして親がついていてやめさせないのか。

たしかに平成のこの世の中に、あんまりやっている人は見ない。
衛生的ではないし、見て不快になる人も多いだろう。
そもそも厳密に言うと軽犯罪法に触れる。

「自閉症児だからといって、人目も気にせず排泄行為に及ぶという偏見を広げてほしくない。
食事と排泄の独立とマナーは人間の基本。いくら障害があったってそのあたりを必死に教えている」

たしかに。

要するにここには私がよく最近このブログでもとりあげる「二つの啓発」の相克がある。
1 こんなに大変なんです、わかってください
という啓発を押し進めたい人と
2 たしかに普通の子と学習の筋道・困難さは同じではないけれど、相応しいやり方をすればちゃんと覚えられます
という啓発をしたい人と。

最近私の小脳かどっかに入っていたこの記憶がひんぱんによみがえるのは
まさに今の私の仕事に関係があるからでしょう。

その後私自身は
「わかってもらおう時代」に別れを告げた。
それにはあまりに限界があったから。
それが本当の支援につながらないものだとよく思い知ったから。

それで今は違う路線を歩み始めているわけだが

まあその経緯はこの本に書いてあります。