さて、「発達障害は治りますか?」のヒットに伴い
花風社の過去の本も動きがよくなっている。
とくに岩永先生の「続自閉っ子、こういう風にできてます!」「続々自閉っ子、こういう風にできてます!」。
神田橋先生が最初お声がけくださったのは、岩永先生を高く評価してのことなので、これは当然だろう。
うちの直販でも「まとめ買い」の方が多い。
そのうちの一人のご意見をご紹介する。
すでに大地君の本の愛読者の方だ。
いつも書店で購入するのですが、今回は応援の意味を込め、花風社から購入させてください。
大地くんの本、読ませていただきました。息子は、重度の自閉症ですが、働ける大人を夢見て頑張ってきました。
現在福祉就労ですが、毎日元気に働いています。大地くんのように、明らかな知的な遅れがない自閉症の子は、
頑張って修業を積んで、是非納税者になってもらいたいです。息子をみていても社会に貢献できることが、
自己肯定感につながり、本人の生きる喜びにつながっています。大地くんは、お子さんなのに、自閉症なのに、
とてもよく周りの気持ちが見えるお子さんですね。ご家族で頑張ってこられた道のりが、
支援を受け入れる柔らかな心を育てられたのだなと思って読みました。
この方は重度のお子さんに小さいころから修行を促してきたそうだ。
当時はそういう場はなかった。
だから本を読み、志を同じくする人々で集い、信頼できる専門家の意見を聴いて、子育てしていらした。
当時はそうでもしなければ、重度の方には修行が許されず、そのことを教育上の不平等と感じてきたそうだ。
でもそれが今実っている。
子育ての方針はそれぞれで、親はそれを決定する責任を持つ。答えは大人になった子どもが出す。
そうおっしゃっている。
「重度の方には修行が許されない」
この辺の事情も今は、ずいぶん違ってきてるでしょ?
大地君の受けている学校教育の現場では、人間は誰でも修行が必要とされている。
重度のお友だちだって、人間なのだから、修行する権利がある。
修行の内容が違うだけ。重度のお友だちの修行につきあうのも修行。
そういう教育を受けているから「修行修行と言われることはかわいそう」というのは、侮辱にも感じるのだ。
私が思うに
「修行はかわいそう」だと思う人は修行を避ければいいと思う。
そういう自由はあるよね。今の日本はまだまだ。これから先は知らないけど。
ただ修行を頑張っている人に「かわいそう」なんて文句を言わないでほしい。それは「差別」と感じるのだ。
頑張っている他人の療育方針に口出しする権利はないだろう。
それだけなんだけどね。
私たちが感じてきた違和感は。
でもこれは、療育の世界だけで起こっていることじゃない。
日本中、さまざまな場面で起こっていることだ。
主義主張の違う者同士が、無理に意見を同じにする必要はない。
別々に主張を続ければいいだけ。
結果は未来が出す。
花風社の過去の本も動きがよくなっている。
とくに岩永先生の「続自閉っ子、こういう風にできてます!」「続々自閉っ子、こういう風にできてます!」。
神田橋先生が最初お声がけくださったのは、岩永先生を高く評価してのことなので、これは当然だろう。
うちの直販でも「まとめ買い」の方が多い。
そのうちの一人のご意見をご紹介する。
すでに大地君の本の愛読者の方だ。
いつも書店で購入するのですが、今回は応援の意味を込め、花風社から購入させてください。
大地くんの本、読ませていただきました。息子は、重度の自閉症ですが、働ける大人を夢見て頑張ってきました。
現在福祉就労ですが、毎日元気に働いています。大地くんのように、明らかな知的な遅れがない自閉症の子は、
頑張って修業を積んで、是非納税者になってもらいたいです。息子をみていても社会に貢献できることが、
自己肯定感につながり、本人の生きる喜びにつながっています。大地くんは、お子さんなのに、自閉症なのに、
とてもよく周りの気持ちが見えるお子さんですね。ご家族で頑張ってこられた道のりが、
支援を受け入れる柔らかな心を育てられたのだなと思って読みました。
この方は重度のお子さんに小さいころから修行を促してきたそうだ。
当時はそういう場はなかった。
だから本を読み、志を同じくする人々で集い、信頼できる専門家の意見を聴いて、子育てしていらした。
当時はそうでもしなければ、重度の方には修行が許されず、そのことを教育上の不平等と感じてきたそうだ。
でもそれが今実っている。
子育ての方針はそれぞれで、親はそれを決定する責任を持つ。答えは大人になった子どもが出す。
そうおっしゃっている。
「重度の方には修行が許されない」
この辺の事情も今は、ずいぶん違ってきてるでしょ?
大地君の受けている学校教育の現場では、人間は誰でも修行が必要とされている。
重度のお友だちだって、人間なのだから、修行する権利がある。
修行の内容が違うだけ。重度のお友だちの修行につきあうのも修行。
そういう教育を受けているから「修行修行と言われることはかわいそう」というのは、侮辱にも感じるのだ。
私が思うに
「修行はかわいそう」だと思う人は修行を避ければいいと思う。
そういう自由はあるよね。今の日本はまだまだ。これから先は知らないけど。
ただ修行を頑張っている人に「かわいそう」なんて文句を言わないでほしい。それは「差別」と感じるのだ。
頑張っている他人の療育方針に口出しする権利はないだろう。
それだけなんだけどね。
私たちが感じてきた違和感は。
でもこれは、療育の世界だけで起こっていることじゃない。
日本中、さまざまな場面で起こっていることだ。
主義主張の違う者同士が、無理に意見を同じにする必要はない。
別々に主張を続ければいいだけ。
結果は未来が出す。