自傷と他害では、同じ問題行動でも周囲に与える影響がずいぶん違う。
他害は、年齢によっては、そして程度によっては、刑事罰の対象にさえなる。
自閉症者の人も、社会の一員だからね。
もちろん自傷だって問題だ。
失明した例さえあるし
何より、親として見るに忍びないだろう。
「発達障害は治りますか?」を作る中で、私なりに神田橋先生から学んだこと。
それは自傷も他害も、根っこは同じだということ。
「苦しみ」があって
その「苦しみ」を取り除こうという下手な試みが自傷や他害となって表れているということ。
だから「自傷」や「他害」に走っているお子さんはその行為から解放してあげたほうがいい。
誰よりも本人が苦しんでいるのだから。
とはいえ
現在の医療の中で
自傷や他害が見られる子どもに施されるのはまず薬の投与のようだ。
それが「三次障害」をもたらすこともある、と、神田橋先生そのほかのお医者様たちが警告を発している。
そして神田橋先生の本を読んで、この数週間で
問題行動が減ったことを理由に
薬を減らすことができた、あるいはやめることができたという報告が続いている。
薬を減らす・やめる。
この報告をすると神田橋先生は「うれしいねえ」とおっしゃる。
なぜか?
それもまた「発達援助」みたいですからね(詳しくは本の中で)。
ここ、すごく重要なところなので
先生のお言葉を少し蔵出しします。
=====
こういうブラックユーモアがあるの。腕の痛みを取る一番確かな方法は腕を切り落とすことだ、ってね。
精神科のお薬の作用はそれに近い。脳の働きを抑えて悩みから解放するんだから。
とくに発達障害の人の脳には処方は少量にしなくてはいけないということが、だんだんわかってきましたね。普通の人の八分の一や十六分の一でいいくらいのこともある。
とくに発達障害の人は脳を発達させないといけないんだから。薬はそれを妨げてしまう。
五歳で精神科に来てうつ病と診断される。それで一生抗うつ剤をのみなさいと言われる。でもね、五歳から抗うつ剤のんでいる子がずーっとのみ続けて八十五歳で天寿をまっとうするなんてことはあってはならない。義足を使うのと違うんだからね。
他害は、年齢によっては、そして程度によっては、刑事罰の対象にさえなる。
自閉症者の人も、社会の一員だからね。
もちろん自傷だって問題だ。
失明した例さえあるし
何より、親として見るに忍びないだろう。
「発達障害は治りますか?」を作る中で、私なりに神田橋先生から学んだこと。
それは自傷も他害も、根っこは同じだということ。
「苦しみ」があって
その「苦しみ」を取り除こうという下手な試みが自傷や他害となって表れているということ。
だから「自傷」や「他害」に走っているお子さんはその行為から解放してあげたほうがいい。
誰よりも本人が苦しんでいるのだから。
とはいえ
現在の医療の中で
自傷や他害が見られる子どもに施されるのはまず薬の投与のようだ。
それが「三次障害」をもたらすこともある、と、神田橋先生そのほかのお医者様たちが警告を発している。
そして神田橋先生の本を読んで、この数週間で
問題行動が減ったことを理由に
薬を減らすことができた、あるいはやめることができたという報告が続いている。
薬を減らす・やめる。
この報告をすると神田橋先生は「うれしいねえ」とおっしゃる。
なぜか?
それもまた「発達援助」みたいですからね(詳しくは本の中で)。
ここ、すごく重要なところなので
先生のお言葉を少し蔵出しします。
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こういうブラックユーモアがあるの。腕の痛みを取る一番確かな方法は腕を切り落とすことだ、ってね。
精神科のお薬の作用はそれに近い。脳の働きを抑えて悩みから解放するんだから。
とくに発達障害の人の脳には処方は少量にしなくてはいけないということが、だんだんわかってきましたね。普通の人の八分の一や十六分の一でいいくらいのこともある。
とくに発達障害の人は脳を発達させないといけないんだから。薬はそれを妨げてしまう。
五歳で精神科に来てうつ病と診断される。それで一生抗うつ剤をのみなさいと言われる。でもね、五歳から抗うつ剤のんでいる子がずーっとのみ続けて八十五歳で天寿をまっとうするなんてことはあってはならない。義足を使うのと違うんだからね。