夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

七夕と中秋の名月

2006年08月10日 20時50分57秒 | 日記
ところで昨日の満月の話題。
ふと気がついて、それじゃ今年の中秋の名月はいつなんだろうと、検索をかけました。なんと、10月6日が中秋の名月。旧暦の9月13日は今年は11月3日に当たるそうです。
なんでこんなに遅いのかと思いましたら、今年は閏月があるのですね。(そういえば禊の話でそんなことがでていましたね、きちんと読んでいないのでほかの事にリンクできなかった)
と、いうことは七夕ももう一回あるわけで、それは8月30日でした。よかった。その日の晩は空けておこう。


卒業  身辺整理; 長崎の原爆記念日

2006年08月09日 21時57分47秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
2005年9月12日の以前のブログに書いたものです。

今日は長崎の原爆記念日。
私にとっては忘れられない日ですので、ここにアップしておきます。

母親がよく言っている
「何かあったときに、身の回りがきちんとなってないと恥ずかしい」
ということがなんとなく実感を伴って響いてくるようになったので身辺整理を始めた。

アーティストインレジデンスで来日するアーティストのために日本の情報を流すBlogを作ろうと、内外のブログやスペース、はたまたムーバブルタイプにまで手を広げてチェックをかけていたので、さまざまなところに残骸を残している。先日からこれらも整理しなければと思い続けてきていたので、これも発端の一つだった。

使ってないスペースは問題ないけど、ブログを知るためにさまざまな書き込みをしたところは、なんとなく消してしまうことに未練が残っている。

昨日はGooの中にある久米仙人のブログを消した。
ついでにメールアカウントまで消してしまい、消すつもりのなかったメールやメーリングリストまで消えてしまってあせっているのはご愛嬌かな。

久米仙人のブログは人間だって本質は生物。
生物の一番の生存理由は子孫を残し、その種を発展させていくこと。
そのプログラムはソフトやOSのレベルではなく、バイオスのレベルで書き込まれている。人間の美意識や、名声、金銭、さまざまな欲も、自分では気がつかないにしても発端はその辺にあるのではないだろうか。人間は好むと好まざるにかかわらずその術縛からは離れられないということを前提にして、愛だの恋だの、そして自分の生存理由を見つけること、自分なりの美意識、などと言ったことを中心にしてきた。と言うとかなりかっこいいけど、結構愚痴とエッチなブログだったと思う。
生きている間は、それを批判されても反論できるけど、死んじゃったらなぜそんなことを書いたか説明できなくなる。低級さを残しておきたくないというのが本音だった。

昔、原爆投下の翌日に被爆地に父親の遺体を捜しに入って、物心ついてからずっと、原爆病の恐れを感じ続け、死を身近に見る子供時代を送ってきたことを書いたことがあるけど、儲けもののような人生を送らせてもらって、自分の我がままいっぱいの仕事をし、たくさん感謝する人に恵まれて自分の一生はありえないくらいに恵まれた一生だったと思う。

名前を残す仕事ではなかった。やりたい企画を立て、それを新聞社や美術館などに売り込む。
自分は黒子としてそれが実現できれることが嬉しかった。

目の前の愛に身を焦がす。でもそれ以上にその愛する相手が抱えている一生の夢のために自分が何ができるかが一番の問題、そんな恋もたくさん経験してきた。

岬のお気に入りの椅子に腰をかけ、そとの木々を見ながら「自分は本当に豊かな人生、輝いた経験に恵まれた」のだと思える自分が誇らしい。
それがたとえ社会的に、あるいは相手から認知されないことであっても、自分が自分を誇らしく思えればそれでいいと思う。

美味しいもの。一瞬を忘れさせる美味しいお酒にも、膝の上で丸くなって寝る猫にも、花にも、移り変わる自然の景色にも興味がわかない。
それらは自分が自分の夢に、人生に挑戦し続けるから価値があるのだと思う。

「岬な日々」の本質は自分の過去を誇らしく思う、年寄りの自己満足なのだろう。
そしてもしかしたら、新しい価値へ挑戦する力のなくなった年寄りにはそれしかないのかなとも、頭のどこかでは思うけど。

今日は素晴らしい天気。
鳥の声も間遠くなった今、
木々の間から見える田んぼは、金色に輝いている。

お暑うございます。 夏の詩 三題 高啓 蘇舜欽

2006年08月06日 17時01分30秒 |  漢詩を長崎弁で
急に暑くなりましたね。
今まで洗濯してもなんとなく、乾かないような感じで、2日も3日も物干しにかけっぱなしでしたけど、ここのところ、朝洗濯したものが昼過ぎには乾いている。
模範主夫としては嬉しい限り。

でもさ、暑すぎる。
頭の神経や血液の管が解けて流れてしまったような感じ。
もうろうとして、体を動かすのも大変。


知人が夏の漢詩をわざわざ探して送ってくれました。

>>
画欄斜度水螢光   画欄は斜めにわたり 水螢の光
荷葉荷花各有香   荷葉荷花 各々に香有り
団扇不揺風露下   団扇揺らさず 風露の下
秋応先借一宵涼   秋は応に先づ 一宵の涼を借す

明の高啓と言う方の作です
夏の時期の漢詩をと思ってうろうろして、見つけました。
>>
池上納涼 高啓

欄干の先を蛍が横切る
蓮の葉や花の香りが広がってくると
風露下、うちわを動かすこともないのは、
秋が一夜の涼しさを、いち早く貸してくれたからやろね~

意外に夏の詩は中国の詩には少ないのかな、あまり見ませんね。
それに対して、私もやっと探し出してお返しをしたのだけど、

岬は緑に埋もれた本当に別世界です。
夏も涼しく、
庭の百日紅が花をつけないのは残念ですが、
鶯は一日声を枯らして鳴いています。

別院深深夏簟清
石榴開遍透簾明
樹陰満地日當午
夢覺流鶯時一聲

  離れの座敷
  ござはひんやりとすがすがしく
  石榴の花は咲きそい、簾こしに明るい
  木陰の中、日は真上
  昼寝から覚めれば、鶯の声
        蘇舜欽


離れの座敷に座る
ござはひんやりと凉かと
石榴の花が咲いて簾こしに明るか
木陰のなか、お日さんは上にある
昼寝から覚めたら、鶯の声がしちょった


そういえば、王令という人はうだる暑さを詩にしている

暑旱苦熱
     王令
清風無力屠得熱
落日着翅飛上山
人固己惧江海竭
天豈不惜河漢干
崑崙之高有積雪
蓬莱之遠常遺寒
不能手提天下往
何忍身去游其間

風もなく、死ぬほどの暑さ
太陽は羽をつけて山の上からがんがんと照らしている
皆んな海の水が涸れてしまうんじゃないかと恐れている
天も天の川が干上がるのではと心配しているんじゃないだろうか
高い崑崙の山なら雪があるだろう
遠く蓬莱まで行けば寒さが残っているだろう
でもこの世の人たち全部を連れて行くわけには行かない
だから、自分だけがそこで避暑に行くわけにはいかない


風のなくて、死ぬほど暑かっちゃ
太陽は山の上からがんがんてらしちょる
みんな海の水が枯れてしまうとじゃなかろうかって恐れちょる
天も天の川が干上がるんじゃなかろかって心配しちょるかな~
崑崙山の頂なら雪があるじゃろか
蓬莱まで行けば寒さが残っちょるじゃろね
でも世の中の人を全部連れてそこには行けんじゃろ
じゃから、自分だけそこに避暑にはいけんもんね

うん、だから私も、一人だけ涼しい思いをしたくないので、舌を出しながら、はっ、はっって息をして、この暑さの中に留まっている。



有終   山石 

2006年08月05日 20時57分03秒 |  漢詩を長崎弁で
空が白んできた、散歩にでる
目的があるわけじゃなか
目の前の道を足の向くままに歩いていくとじゃ
丘を登って、谷を渡って、朝靄のなかをどこまでも
山は紅、谷川は緑
綺麗じゃね~
大きか木があちこちに生えとる
流れでは、靴を脱いで川石を踏んで行く
水の音がゴーって鳴る。川風は服を翻す
人の一生なんて、こんな風に楽しむもんちゃ
仕事やら、立身やらのために、自分を曲げ、ぺこぺこする必要はなかじゃろが
歳をとってまで、あくせす仕事にしがみつく理由なんてなんかあるとね?





空がまだ明けぼらけのころ散歩にでる
別に目的があるわけじゃないし
目の前に出てくる道を気の向くままに辿っていく
丘を登り、谷を渡り、朝靄の中をどこまでも歩く
山は紅をまとい、谷川は緑を飾っている
その景色に心を奪われる
周りには時として大きな木々がそびえている
流れに来て、靴を脱ぎ素足で川石を踏んで渡る
水音はゴーゴー、川風は服を翻す
人生なんて、こんな風に楽しむべきもの
仕事や、立身のために、節を曲げ、ぺこぺこと過ごすことはないじゃない
ねえみんな。歳をとってまであくせく仕事にしがみつく理由なんて何がある?

天明獨去無道路
出入高下窮煙霏
山紅澗碧紛爛漫
時見松櫪皆十圍
當流赤足踏澗石
水聲激激風吹衣
人生如此自可樂
豈必局束為人鞿
嗟哉吾黨二三子
安得至老不更歸
    山石
    韓愈

確かに、これはたくさんの人が夢見るところ。
私も岬を手にいれ、その賭場口にはいるのだけど、でもあまりにもさまざまな問題が起こってくる。
これだけ進んだ社会が、戦士として働き、その余生を平和に送ろうとしている人々に、生命が誕生して以来連綿として起きてきている問題や、悲劇に、何もできないでいるということが信じられないくらい。


蕎麦のクッキー 質問

2006年08月05日 17時26分08秒 |  食べるために生きる
3年ほど前にそろそろ新蕎麦がでるからと古いそば粉を整理するために、蕎麦を打ちました。その一部をオ-ブンで焼いてクッキーを作りましたが、
見事に、石になりました。

出来上がって、試食って歯で噛もうとして、危うく歯を折るところでした。
蕎麦のクッキー、石じゃなく、食べれるように作るにはどうすればいいのでしょうか?

盛年処房室 中夜起長嘆

2006年08月04日 23時19分05秒 |  漢詩を長崎弁で
佳人慕高義
求賢良独難
.....
盛年処房室
中夜起長嘆



Mixiの女性のマイミク(友人)の方たち、会ったことはないのだけど、皆さん、道を歩けば魚はそのあまりの美しさに我を忘れて、気がつけば空を飛んでいる、鳥は魂を抜かれて水の中を泳いでいるってありさま。ものすごく暖かく、優しい、思いやりにあふれた人々。頭脳明晰は言うまでもない。

でもなんでだろうな~


Mixiには恐ろしくて訳をつけれませんでしたけど、これは曹植という人の「美女」を詠った詩。
すごい美女がいたのだけど、
彼女は見識の高い人を望んでいる
でもそんな人はなかなかいないので
。。。。
盛りの年月を独り部屋に閉じこもって過ごしている
そして夜中に、嘆息している、、、

でもMixiのマイミクさんなら、すぐにわかるだろうな。


ありゃ、美人やけどな~
高望みしすぎるっちゃ
そんで相手が見つからん
。。。。
今でも毎夜、一人で部屋に閉じこもって
溜息ばかりついちょるとよ~

父親が子供に接する時間: 少ないですか?

2006年08月03日 13時43分53秒 | 日記







日本の父親が子供に接する時間が少ないということが国立女性教育会館の実施した「家庭教育に関する国際比較調査」で数字的にも証明されたということがニュースになっていた。
それによると、平日の日本の父親が子供に接する時間は、3.1時間とのこと。

でも、この数字をみて、私はそんなに少なくないと思った。

考えても見てください。不況になってオーバータイムがなくなった今ですら父親はほとんどが最低でも9時-5時で仕事をしているのですよね。
職場に着くまでにたとえば東京あたりでの通勤時間は往復3時間くらいでしょうか?12時に寝て、6時に起床するとすれば、この3.1時間という数字はむしろ多いとさえ思える。

足りない時間を必死に子供のために向け、それでもまだ少ないと感じる日本の父親の平均像に私は拍手したいのだけど。


バブルの時期なんか、子供と話できる時間なんて0でした。
家を出るときにはみなまだ寝ているし、帰ったときにはもう寝ている。
母親だけに負担をかけ、父親の子供に接する時間が足りないなんて苦情を述べることは簡単だけど、子供のために仕事をやめ子供と一緒の時間を増やせと言っているのだろうか?
そんなときには日本の実情が変わらなければどうにもならないと感じていました。

実際問題として、子供が学校に上がるころというのは父親にとっても会社のピラミッドを登っている時期と重なるのですね。
9時ー5時で会社から出れるってことは、今の不況の時期だからまだ可能性がある。
しかも他の国では日本よりもっと長い時間子供と接しているって言うけど、日本ほど通勤時間が長い国を私は他には知りません。

問題は父親の関心のなさじゃない。それはもっと長い時間子供と接していたい、子供を見つめていたいと切に願っているという数字でも明らか。
関心はあるし、そう願っているのだけど、現実問題として、仕事と通勤の時間を除けば、物理的に無理なんだということが問題。

教育会館なら、調査に当たっている人たちにはそんなことはお見通しなんでしょうけど、ただ統計の数字を羅列するのではなく、それを踏まえて、どうしたら濃密な時間をすごせるのかの提言を行ってくれるとありがたいな~と思います。


あるいは「時間が少ない」なら少ない時間をどう有効に活用していけばいいのか、そんなところに社会の目が行ってくれるとありがたいのですけど。

「善人なおもて往生す」かなぁ~

2006年08月02日 18時31分38秒 | 日記








天下の親鸞さんにたてをつく気はないけれども、本当に「善人なおもて往生す」でいいのかな~

確かに、阿弥陀さんは、できるだけたくさんの人々を救いたいと、ただただ念仏さえ唱えれば救われますよって言ったのだろう。だから一生懸命自分で精進して往生することを願う人は阿弥陀さんからみれば、自分の功徳を信じない人。そんな人でもまあ、救ってやるから、念仏さえ唱えていれば悪人でも何でも救われるよというのが親鸞さんなんだろうね。

親鸞さんのお師匠さんの法然さんも、仏像やお寺を寄進したり、お布施を差し出したり、そんなことが救いの選抜ではない。そんなもので選抜しようとすれば、お金のない人たちは救われないじゃないかって言っていますよね。

でも大乗の教えで判らないのは、それならお寺にも、坊さんにも何も寄進しない。家でただ念仏だけ唱えている。坊さんは寝るところもなく、飢え死にしても仕方ないじゃないって皆が思ったとしても、反論できないんじゃないかな。

なんてことが小乗の徒としての私の敢えて、喧嘩売りの雑感でした。