夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

靖国神社と戦没者の慰霊

2006年08月15日 09時57分02秒 | 日記
小泉首相が今日(8月15日)に靖国神社を参拝したことが朝からのトップニュースになっている。

一国の代表者が国のために死んだ戦没者を慰霊するのは当然だと思う。終戦記念日(という言い方はあまり好きではないけれども)に首相が慰霊の参拝をするのが今度で5回めというのがむしろ異常なことだとも思う。
ただし、A級戦犯の問題があり近隣諸国に配慮をしてというのもうなづけるのだけど、ならなぜそれが見越せるのにそこへ合祀したのだろう。
私の父の代は5人いたのだけど、長男は戦争で罹った結核で戦後になくなり、私の父は医学部の教授(助教授だったのが殉職ということで教授になった)だったのだけど原爆投下を(米軍のチラシなどで承知しながら)教壇に立っていて、亡くなった。4人の男子はすべて戦争がらみでなくなったけど、靖国に祭られているのは一人だけ。
A級戦犯も直接戦争で亡くなった訳ではないし、果たしてあそこへ祭られる資格があるのだろうかとちょっと疑問。
彼らが祭られるのであれば、父の兄弟全員が祭られる資格があるのだろうと思う。
戦後、ある時期に強引にA級戦犯を靖国に合祀したのだけど、その理由が誰でも賛同できるものでなければ、合祀を取りやめることも考えるべきだろうし、その議論も多い。
昭和天皇の靖国忌避もその意味で、立派な見識を示されたのだと思う。
また、新しい憲法の下での政教分離に従えば、靖国への政府のコミットは避けるべきだろうし、きちんとしたルールを作り戦没者の慰霊碑を国が作ることも考えなければならない時期に来ていると思う。
今あそこへ祭られている人々の中には、直接戦争で亡くなった人でない人も祭られていたりするということを聞いたこともある。靖国が政府と無関係な、民間施設であるというのであれば、それも可能だったのだろうけど、国が戦没者の慰霊碑を立てるということであれば、今靖国に祭られている人々の「資格」も再度検討すべきなのかもしれないと思う。