夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

質問 貴方のリズムはいくつ?

2005年10月15日 16時29分24秒 | 芸術・文化

ところで先ほどの「微小な差の認識」は別な目的で書き始めたのだけど、頭だけで終わってしまった。

全くの無知な素人の仮説だけど、演奏家というのはいくつものリズムを感じながら演奏をしているのではないかということ。

一つは音楽家が持っている絶対的なリズム。(これは数学的なリズムとその国民性、文化から来るリズムも含まれている。)前のBlogで例えばウインナワルツは2拍子目がちょっと長いって書いたことがあった。オランダ人の若い音楽家が能の音楽をやろうとして、「一番難しかったのは自分のリズムを棄てて白紙で能のリズムを取り込むことだった」って話をしていたこと、騎馬民族は馬の上で育つので3拍子になるって思っていたら、実はモンゴルなどの音楽では無拍子が多く、今まで何を勉強してきたのだろうって、自分の浅はかさに驚いたことなどを書いていたと思う。

二つ目は、メロディを浮かべながら演奏しているときに音楽家が感じている感情的なリズム。ただあまりにも感情的になりすぎるとクラッシックがポップスになってしまう。
ダンスの場合は身体の動きとダンスの大きさという物理的な制約があるのでもっとわかりやすいかもしれない。
ダンサーなどの場合にはこれは自分の身体からするリズムだと思う。
大きな動作を求められれば、普通はリズムは遅れてくるもの。

三つ目は、感情的にメロディを弾いているときに、どこかで感じているであろうきちんとしたリズム。これは上の1と2の間にあるのだろうと思う。
エモーショナルな演奏をしていても、(リズムは2になっている)音楽家ならどこかで(1の)正当なリズムを刻んでいて、でも自分の演奏をするために、また感情に流されすぎないように格調を与えるためにも、どこかでリズムを引き戻している。それが3っ目のリズム。
ダンサーの場合はメロディに合わせるためには感情に導かれた大きな動作、踊りを意識的に小さくするか、早く踊るか、リズム全体を遅らせるか、、の選択になるかもしれない。

常に刻まれている1のリズムがあるから、ルバートを繰り返しても、フレーズ全体ではキチンと収まったりすることができる。
しかし1のリズムだけしかなければ、それは単なる指の練習にしかならない。

感情に導かれたままなら、それはバーやナイトクラブの演奏で終わるかもしれない。

その間のどこを取るかなんだろうけど。

でも1のリズムであっても、もしかしたら演奏家はいくつかのリズムを持っていると思う。当初からのリズム、ルバートをした後でのリズムなどなど。

彼らの頭や、身体にこれらがどう治められていて、どう機能しているのか、とても興味がある。


これは形を変えれば、ビジュアルアーティストにとっても同じことが言えるかもしれない。感情と理性。

「山を登りながら考えた。知に働けば角が立つ、情に棹差せば流される、とかくこの世は住みにくい。」(夏目漱石 草枕 冒頭)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿