今日は散歩なし。ということで、写真が何もありませんね。日曜日に撮ったユリカモメなぞを引き出してきました。
今や、ここ多摩川河川敷では烏や雀くらいにポピュラーな鳥ですけど、できれば早くコアジサシと交代して欲しいかなっていうとユリカモメに怒られてしまいますね。
でも何を書きましょう?
この子なんだか左の羽がおかしいのかな?
ねぇ、そう思いません?
名にし負はば、、なんてのもずいぶん前にやっちゃったし。
都鳥がなぜユリカモメなのかについてもそのときに書いちゃった。
(恥、、、何し負はばになってました。訂正しておきます)
そういえば、ヒッチコックの背景にいたカモメはユリカモメかな、目の後ろに斑点があったようななんてのも書いちゃったか。
(これまた恥、、、ヒッチコックの時には、セグロカモメって書いていたそうです。自分の日記を人から教えてもらうなんて、認知症がずいぶんと進んだ証拠? 訂正を追加しておきます)
書くことないよ~
当機は多摩川空港に向けて着陸態勢に入りました、、、、
ということで、今日のデータは
D300
タムロン200-500
ISO800
絞り優先オート スポット測光
WBオート
露出補正なし
三脚なし。手持ち
この詩には都鳥が出てきますので、この時期のユリカモメにはよく使うのですけど、最初に使ったときに業平としておりましたら、伊勢物語には業平が知りえないような後世のことなども多く書かれているので、もしかしたら紀貫之ではないだろうかと、いくつかの事例を挙げながらご指摘を受けました。
それでその後に掲載したものには紀貫之の名前を疑問符つきで出したのですけど、それでもそちらにも業平と習ったというコメントが書かれていたりして困っています。
多摩川はそれでもかろうじてまだ自然が残っていますけど、都鳥の詩が詠まれたあたりは目を蔽うような状況ですね。
漢詩は長崎弁で訳をつけたりとおちゃらけをしていますのでそれは別にして、他の詩は「気になる詩」というカテゴリーに入れてあります。大和詩が多いので、間違いなどがありましたら、教えていただければとてもうれしいです。
ところで、まったく同じ文面のコメントが二つ入っていましたので、一つを削除させていただきました。
国文学といっても短期、はるかなる昔日の果て、になりました。
伊勢物語は古文でいう所の「歌物語」と言うジャンルで紀貫之は土佐日記の作者ですね。
日本初の日記文学で後々の蜻蛉日記や更科日記といった女流文学に影響を与えた作品ということになっています。
今で言うと紀行ブログ、ですかね??
伊勢物語の主人公は当代きってのナイスガイ・在原業平。ちょぃわるな若造で、情の厚いなかなかの主人公です。血統最高にしてアウトロー。源氏物語光源氏のキャラクター像にも影響を与えた、といわれていますが、随分研究も進んでいるようなのでどうなんでしょう。
紀貫之も成立に関わった作者であるという説もありますが決定的な論証もないので作者の確定には至っていないようですね。
そういえば、多摩川もけっこう歌に詠まれていますよね。多摩=玉=貴いもの・きれいなもの。
水質や近辺のゴミで汚れたとはいえ、随分きれいになったものです。もっときれいに自然らしさを取り戻していくことを願うばかりです。
なら、こんどからいろいろ聞けますね。よかった。
なんて、上のずいぶん前にやっちゃってっていうのの最後のが(多分2,3回やってるので)こちら;
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/d13be8d0c430f0e163e2422d9334cb5c
ここでは作者を敢えて疑問符付きで紀貫之ってしていますけど、どうでしょうか?
在原業平たち一行が干飯を涙でふやかせて仕舞った、という一節ですね。
懐かしいな、遥か昔、ゼミで伊勢物語を選択し都落ちならぬ都のぼりをしたことがありました。
今再びその道をたどると言うのも一興かもしれませんが宇津の峠、けっこう若いもんの足でもきつかった、今はどうなっているかな?