夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

行って参りました 古代史の講演会 少し追加しました

2009年08月01日 17時17分02秒 | 日記
6月18日に東京の大田区で古代史の講演会があるということをお知らせしました。
今回のいすみ行きはそれを見込んで、昨日東京に戻る予定でしたが、風邪でダウン。
今朝、重い頭を振り絞ってやっと東京に戻りました。

途中のアクアラインは今日から安くなっていたのですね。
少し助かる思い。圏央道が伸びるとアクアライン経由で岬行きということのなりますので、よかったな~って思っています。



なんてことは別にして、今日の講演会。
三国志時代の中国と日本というような題でしたけど、出掛けに「レッドクリフ」の予告特番をやっていたのは、いつものご愛嬌なのでしょうか。
先々月(になりますね)は北方の三国志を読破しておりますし、、、
どっちが先鞭をつけたのかは不明だけど、相変わらず私の周りはみょうにいろんなものが絡み合うのですよね。

ただ、講演会自体はどうでしょうか。。。
三国志の時代の中国、特に赤壁に特化して、壱岐の話や、当時の日本との関係についてはほとんど触れられなかった。
先にも書いたように、出掛けにもレッドクリフ パート2の予告をやっていたし、北方の三国志はすごく評判になっていますから、三国志の中の赤壁が興味をもたれていると思われたのでしょうか。
でも、それだけではなく漢詩をやる人には必須とも言うべき古典の一つが赤壁の譜でずっと昔からよく知られているところ。

    客曰、月明星稀、烏鵲南飛、此非曹孟徳之詩乎

詩というより、定型化する前の詩文といったほうがいいものですけど。
それ以前に曹操だって、詩人としても有名ですよね。

茶道をやる人も、赤壁の譜(この後のパート2ですが)からは取られた、お好みのお道具がたくさんありますので、一通りはこの詩を読まれているはずですね。

日本ではよく知られた赤壁、今、特に赤壁にこだわる必要はなかったのじゃないかな~


帰り際に、そのことがちょっと不満だけどなんて話をしている人もおりましたが、私ももう少し古代日本との関係、当時の壱岐の様子などを話して欲しかったな~って思っておりました。



長崎の博物館の組織替えがあったときに、長崎の歴史は、安土・桃山以降のスペイン、ポルトガル、オランダ、それに中国だけじゃないでしょうってお話した経緯もあり、長崎にもっと古い歴史、考古学の分野が広がってくると、楽しみなんですけど。

壱岐には市立の一支国博物館が2010年に開館する予定だそうです。
魏志倭人伝の魏志倭人伝の中の日本の記述の中で今、場所を特定できているのが壱岐の一支国だけなのだそうです。ここを起点に邪馬台国の研究が進めばいいですよね。

このほかにも、五島氏や宋氏の歴史も。、もっと解明されていけば日本の海外との交流が、(天皇家の歴史の一部でさえ)もっと鮮明になっていくのではないかと期待しているのです。

国の中の歴史だけでなく、当時の中国や朝鮮との関係、そしてそれを繋ぐ海人達の役割、、、、ロマンがあると思うのは、私だけじゃないと思うのですけど。

そんな意味でも、今回の講演、欲を言えば、中国と、その当時、そしてその後の朝鮮、そして日本のそれらに対する関係、そしてその中での長崎の役割などについても話していただけたらと思ったのですけどね~
まあ、限られた時間では無理でしょうかね。


今日の講演の内容は、トップのリンクから、以前の日記を見てください。主催者からの案内を乗せております。