教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

詩の終わり 不可解なこの国の在り様

2020年08月16日 10時55分58秒 | 国際・政治

 

詩の終わり 不可解なこの国の在り様り、転載させて頂きました。

 

 2020年7月以降の「本土由来、米軍由来のコロナ禍」という、全国的にも典型的な沖縄県における動かしがたい事実関係については、例によって愚劣なGoToキャンペーン続行という政府方針や、所謂専門家といわれる政府の諮問会議面々の、効果的でもなく直接的でもない(従って傾聴するに値しない)意見などにより、ここ沖縄ではいよいよイメージとして雲隠れし始め、県内感染者による感染拡大傾向(家庭内感染やクラスタ)が顕著となったため、玉城知事の緊急事態宣言は県外からの渡航自粛すら見送り、県民のみが規制対象となる不思議に嘆かわしい実情をさらしている。県外からの観光客は、軒並み閉鎖となった観光地やビーチに行きたくとも行けず、恐らくは市中闊歩や歓楽街でのどんちゃん騒ぎでうっぷん晴らしを繰り返し、彼ら由来のコロナ菌をまき散らすは、クラスタを引き起こすは、というわけで、政治的にも法的にもどうにも歯止めの効かない状態に陥っている。

 県民は来県する観光客を見るにつけ、彼らが何しにここに来たのか首をかしげるばかりで、特に那覇などで見かける外国人観光客には、その無知さ加減にうんざりさせられるということになる。

 不可解、という言葉が日本人の言動を表現するに傾向的特性だということは、少なくとも論理的に筋立て得る言動ではないということだ。辺野古問題は政治問題だと、多くの政治経験者がいうのだが、そんな問題はないというのが論理的で、結局あらゆる論理的根拠の無根を証明しただけで終わった。根拠もなく辺野古に拘る政治家はよくよく見ればせいぜいが「一度決まったことだから」という弁解で締める。

 沖縄は怒る。何故なら筋の通らない軍事的建造物が非戦反戦厭戦に覆われた県土と海と空に、わざわざ外国の軍隊のために作られるというのだから。しかも事は益々不可解な方向へねじ曲がっていく。「普天間返還」の条件が辺野古だとするにも拘らずその完成に何十年もかかるのだし、しかも米国は普天間の継続使用を既に公言している。日本国政府はこれに対して何も言えない。ここにこの国の従米体質が明らかであり、かてて加えて工事地盤としての大浦湾海底にはマヨネーズ並みの軟弱地盤が認められ、それでも工事強行という気違いじみた仕業が国の手でやられている。気違いと言って悪ければやっぱり「不可解」というしかないわけだ。

 「不可解」と「不可知」は勿論内容からして違う。不可解論などないし、それはいかに糊塗しようとでたらめということだ。不可解からは何ものも始まらない。事の基本が失われている。人は不可知からは動き出せる。努力によって正当性という背景を持てるから。?マークつきの事柄に誰が黙って真摯に向き合えるか?不可解な見切り発車のGoToキャンペーンが沖縄を地獄へ引きずり落したという、そんな具合だ。

 何が言いたいか。いい加減、どう見ても不可解な人の言動、無為無策でしかない政治に無思慮に乗っかることはやめようじゃないかということ。

 安倍晋三は逃亡を決め込んで、側用人の忠告通り言質を取られるような発露、発言などは徹底して封印し、重要かつ特殊で緊急的な場面には決して顔を出さないということだ。彼にとってはおのれの身の上ばかりが気にかかるわけで、つまりは行政府の長ではなく、超然たるカリスマ独裁者、神並みの采配で国民を牛耳ろうと虎視眈々最後の歴史的決定打を狙っている。

 こんなやつに何年も国政を委ねていたのは返す返すも悔いが残ることだ。(つづく)

 

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人間の運命は紙一重。特攻隊で出撃の順番が回ってきた父が、出発前に、戦友から「先に行ってやるから」の一言で、私の運命は決まった

2020年08月16日 10時27分51秒 | 国際・政治

 

人間の運命は紙一重。特攻隊で出撃の順番が回ってきた父が、出発前に、戦友から「先に行ってやるから」の一言で、私の運命は決まった

 
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
人間の運命は紙一重。特攻隊で出撃の順番が回ってきた父が、出発前に、戦友から「先に行ってやるから」の一言で、私の運命は決まった

◆〔特別情報1〕
 映画「この世界の片隅に」の舞台である広島県呉市は、大日本帝国海軍の鎮守府のあった場所で、私は昭和21年8月7日に生まれた。戌年である。
 終戦記念日の前年、昭和20年8月、父は鹿児島県の海軍特攻基地にいた。指宿で特攻の出撃を待っていた。ところが順番の次の人が、「君は結婚したばかりだから、私が先に行ってあげる」と言って特攻機に乗り込み、飛び立って行った。特攻機といっても当時の飛行機は、あのライト兄弟で有名な2枚羽根の飛行機で、まともな飛行機はなかった。そういう実に悲惨な状況だった。
 その後間もなくして、昭和天皇の終戦の詔勅が放送で伝わってきて、大東亜戦争は終わってしまつた。しかも、先に飛び立って行ってくれた特攻機の兵隊さんは、目的地に行く途中に、小さな島に不時着をしてしまい、そのまま故郷に誰よりも帰って行ったと伝えられた。しかし、このことがなければ、たぶん、私は生まれていなかったかもわからない。本当に奇遇というか、そういう一瞬の幸運により、その翌年の8月7日に呉市で生まれることになった。その生まれた場所は、あの戦艦大和を建造した造船所をちょうど見下ろす、そういう山の中腹辺りの住宅地でありました。
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jlj0011のblog 野原善正の辻説法<本澤二郎の「日本の風景」(3816)

2020年08月16日 10時15分12秒 | 国際・政治
jlj0011のblog


野原善正の辻説法<本澤二郎の「日本の風景」(3816)
2020/08/16 09:260
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野原善正の辻説法<本澤二郎の「日本の風景」(3816)


<信濃町の裏切り集団退治は続行、池田の一人立てを実践>


 山本太郎の支持者が、池田大作親衛隊の野原善正のインタビューYOUTUBEを送信してくれた。その前に以前、一度インターネットのメールアドレスでやり取りしていたため、彼の突然のれいわ離党を直接問いただしておいたので、概要は理解していた。




 勇気ある野原は、真正面から池田裏切り集団と化した公明党創価学会現執行部の鬼退治の密命を帯びての戦いを、2019年7月の参院選で敢行した。その環境を用意した、山本太郎なのか小沢一郎なのか、その鋭い政治感覚に驚いた国民は多かったろう。




 わずかな運動期間で21万票を集めた。これは大変な数字である。21万人が信濃町を包囲したと仮定すると、信濃町の鬼退治は1日で大成功を収める。野原の誠実・実直な物言いを、有権者が評価したものだ。信濃町の赤鬼たちも、真っ青になった。




 いうなれば、特定秘密保護法という憲法違反の戦争法にNOを突き付けた木更津の戦争遺児の思いを、野原が共有したことになるため、筆者も注目していた。大義ある野原の行く手を遮る力は、太田も山口も原田にもない。




 ところが、この信濃町最大の脅威に浮上した野原を、あろうことか山本太郎とその側近が排除した!一体何が?




 現在わかったことは、それでも野原の独り立つの池田大作の遺言である辻説法は続く。このことがインタビューで判明した。






<信濃町の金と権力に屈した山本太郎と側近?>


 素人でもわかることだが、自民党を打倒する唯一の方法は、信濃町を昔の池田の平和主義に引き戻す戦いに勝利する、これしかない。いくら野党が踏ん張っても、日本会議の極右体制をすすることは、困難であろう。




 安倍がこけるが、次なる手段で彼らは、生き残りをはかる。いくら小沢一郎が檄を飛ばしても、無党派は動かない。野原に勝るミサイルを手にしていない野党の体たらくを、有権者は感じている。




 山本にとって、日本会議瓦解の決め球である野原を、なぜ排除したのか。信濃町の工作に、なぜ屈してしまったのか。このことから太郎の弱点が見えてくるだろう。権力と金に屈してしまう、れいわに明日はない!




<野原が明かしたこの1年間、れいわはコロナと共に休眠>


 野原インタビューで判明したことは、野原選挙で沸騰した成果を、継続拡大という当たり前の組織論を棚上げしていた。そして野党候補分断を策した都知事選出馬と太郎惨敗で、れいわへの期待は失望に変わってしまった。




 選挙資金の枯渇かもしれないが、それにしてもわびしすぎるこの1年間だった。そこで大西問題が表面化、その流れの延長に野原離党である。信濃町の喜びが伝わってくるだろう。




 知らなかったことは、野原は太郎の都知事選で応援演説を止められていた。ということは、この時点で、れいわは信濃町工作に屈していたことになる。作戦参謀がいれば、彼はつるし首に相当しようか。




 「マイクを握って安倍批判をしている限りでは、評価を得られるが、それ以上の力のない太郎が証明された」との事情通の指摘は当たっていようか。




 政治不信の中での一服の清涼剤だったのか?






<池田親衛隊「創価改革」は野原の信念、スポンサー・支持者の結集>


 日本の諸悪の根源は、極右・日本会議ら関係者をのぞいた多くの庶民・大衆の目線からだと、それは平和を吹聴してきた公明党創価学会が、あろうことか憲法違反の戦争三法を次々と強行成立させたことである。




 不気味な宗教団体の陰に隠れての大胆すぎる変身・変質を、特に善良な日本人は許さない。歴史の教訓は、純粋・純真な平和主義である。この当たり前の禁を破って、日本会議・財閥の戦争三法に共鳴、それを強行した歴然たる事実を、誰も打ち消すことはできない。




 その証拠となる彼らの蓄財について、野原だけでなくジャーナリストも追及するだろう。比例して野原の仲間たちがスクラムを組んで、沖縄や東京・信濃町に集まるだろう。野原らの信念、木更津の戦争遺児の思いが貫徹されると、日本は変わる、希望が生まれてくる。帆船・日本丸の航海が待ち構える!


2020年8月16日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会


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