教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

jlj0011のblog 帆船・日本丸の自由航海<本澤二郎の「日本の風景」(3815)

2020年08月15日 10時06分19秒 | 国際・政治
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帆船・日本丸の自由航海<本澤二郎の「日本の風景」(3815)
2020/08/15 07:550
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帆船・日本丸の自由航海<本澤二郎の「日本の風景」(3815)より、転載させて頂きました。


<75年目の日本人8・15の本心からの誓い>


 8月15日は300万人の戦争犠牲者に両手を合わせ、歴史の教訓を学ぶ、日本人にとって大事な日である。二度と戦争をしない、させない日本国憲法を順守する政府と主権者でなければならない。「厳しい安全保障環境の変化」という扇動的軍拡ラッパを吹きまくる安倍晋三も、今では問題議員の甘利、稲田しか官邸に寄り付かなくなっている。




 コロナを天命と認識できれば、75年目の8・15は、憲法が断固として命じる、太陽や風を利用する唯一の安全航海の実践を、心底から誓う重要な日でありたい。まともな思想家・宗教家・政治家であれば分かっている。原発企業・東芝の犠牲を強いられた次男、戦争三法強行の公明党創価学会にNOを突き付けた戦争遺児の思いでもある。   暮れてなお 命の限り 帆船へ




<国民生活破壊をコロナが教える核・ミサイルの無力>


 最近うれしい便りが届く。信州の高原で咲く美しい心の人からである。初めて知る息子と戦争遺児の不運を、どうしてなのか、と真剣に思索してくれている。人間の命が、75年前の日本のように、いまだに存在していることに対して、真正面から向き合ってくれている。




 財閥ともう一つは、平和を吹聴してきた教団の、突然の方針転換のことである。財閥は戦前戦後、その恐ろしい非人間性の体質に変化はない。後者は、一人の宗教指導者が打ち立てた理念・原則を、説明もなくドブに捨ててしまった。そのことに怒り狂いながら、やくざの脅しに倒れてしまった父親を知らないまま生きてきた遺児だった。


 これでは、何もかもが戦前そのものではないか。




 そこに新型コロナが時計回りで日本列島に襲来、右往左往している人類も哀れ過ぎる。地球破壊の近代の科学技術の愚を教えているのだが、野心的な指導者、財閥傀儡政権は気づこうとしない。余計に混乱をまき散らしている。




 コロナは人と物の移動を止めてしまい、国民生活を破綻してしまっている。そして、はっきりと分かったことは、核もミサイルも潜水艦も無力にしてしまっている点である。




 裏返すと、帆船・日本丸が、最善で安全な航海を約束させているではないか。原発ゼロの自然エネルギーで自由航海する日本丸が、コロナ後?の世界を主導するだろう。南北朝鮮も参加してくれるだろう。


 人々は、太陽や風などの恩恵を受けて、その枠の中で自然と共存しながら生きてゆくのである。質素で心豊かな生き方だ。エアコン嫌いにとって猛暑も、わずかな電力を利用して扇風機を回すことで、しのぐことが出来る。


 耐えられないときは、長そでに長ズボンでエアコンを作動させればいい。幸い猛暑日も、風が吹いてくれるので助かる。




 昔の夏は、まず小型のミーミー蝉、ついで油蝉の合唱という大騒音で昼寝もできなかった。いま変わった。夏の終わりに鳴いていたヒグラシやツクツクボウシ?までが、朝から晩まで鳴いている。




 ご飯炊きや料理に利用する自然水は、水道水を避けて、近くの山からの絞り水を利用しているが、最近、水量が激減した。地殻変動なのか。今年はイノブタはいないが、山奥に出没していた山猿が、近くの畑に現れてきたという。山を削り、高速道路を建設、ゴルフ場乱開発と除草剤大量使用、それにやくざの産廃場乱舞と、首都圏の農村地帯も荒れてきている。




 幸い、前庭のヘチマの緑の葉と黄色い花が元気だ。食用としても最高である。畑も雑草の力も借りて青々として目に優しい。緑の樹海を経由する風は、朝夕ひんやりと肌をなでる。信州の高原も同じだろう。




<右翼ジャーナリズム乱舞・扇動に惑わされない日本人>


 パソコンのヤフーニュースやマイクロソフトニュースを開くと、そこに右翼ジャーナリズムの氾濫が目に付く。




 特に米中対立をよいことに、中国叩きが目立って増えてきている。北朝鮮と拉致を連動させることで、怖い北朝鮮を扇動する、歴史知らずの御用ジャーナリズムが跋扈している。安倍の電通右翼報道全開である。




 だからと言って、付和雷同するいい加減な日本人ばかりではない。右翼ジャーナリズムの扇動で一番こわい思いをしているのが、自衛隊員とその家族である。自公による戦争三法の作動に怯えている。




<「日本人の平和主義はいい加減なものではない」と宇都宮徳馬>


 ここで泉下の宇都宮さんの力強い言葉を紹介しよう。「日本人の平和主義はいい加減なものではない」と。二度と右翼に屈することはない。


2020年8月15日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)


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20/08/14 09:53働き方改革推進支援助成金のテレワークコース申込受付終了

2020年08月15日 06時20分33秒 | 社会・経済

働き方改革関連法ノート

テレワーク助成金 新型コロナウイルス感染症対策のためのテレワークコース
20/08/14 09:53働き方改革推進支援助成金のテレワークコース申込受付終了
厚生労働省によると、働き方改革推進支援助成金の「テレワークコース」については「多数の申請がありましたので、本年度の新規の申請の受付については本日(2020年8月12日)で終了させていただきます。なお、すでに本日までに郵送等で申請いただいている分については受理いたします」とのこと。

また、厚生労働省は「働き方改革推進支援助成金(新型コロナウイルス感染症対策のためのテレワークコース)については、新たに募集を開始する予定」とも厚生労働省ホームページに記載。

働き方改革推進支援助成金(テレワークコース)厚生労働省

新型コロナウイルス感染症対策のためのテレワークコース
働き方改革推進支援助成金の「新型コロナウイルス感染症対策のためのテレワークコース」は「新型コロナウイルス感染症対策としてテレワークの新規導入に取り組む中小企業事業主を支援」する助成金ですが、現在(8月14日)のところ、働き方改革推進支援助成金(新型コロナウイルス感染症対策のためのテレワークコース)リーフレットには「交付申請書の提出は、5月29日までです。既に募集は終了していますのでご注意ください」と記載されている。「新たに募集を開始する予定」とされているので、今後も厚生労働省のホームページの更新を注視したい。

働き方改革推進支援助成金(新型コロナウイルス感染症対策のためのテレワークコース)厚生労働省

労働時間等の設定の改善(働き方改革推進支援助成金など)厚生労働省
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#東京新聞 #佐藤正明 「耳にもマスクを」。8月8日

2020年08月15日 06時00分29秒 | 日記・エッセイ・コラム

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戦後75年の間、政治を担ってきた政治家の大半がコロナウイルス禍に翻弄され、ほとんど開店休業状態、革新勢力に至っては烏合の衆と化している

2020年08月15日 05時12分50秒 | 国際・政治

戦後75年の間、政治を担ってきた政治家の大半がコロナウイルス禍に翻弄され、ほとんど開店休業状態、革新勢力に至っては烏合の衆と化している

 
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
『戦後75年の間、政治を担ってきた政治家の大半がコロナウイルス禍に翻弄され、ほとんど開店休業状態、革新勢力に至っては烏合の衆と化している』より、転載させて頂きました。

◆〔特別情報1〕
 安倍政権と自民・公明がコロナウイルスに殺される―世界中の人々を悩ませている新型コロナウイルス禍はいつになったら収束するのか。いまのところまったく見当がつかない。今後2~3年続く、あるいは最低5年は続くなどと言われている。そんな憶測が流れているけれど、国際政治あるいは各国の政治について政治家は、見通しすらできないでいる。ワクチンはもとより、決定的な特効薬の開発はまだ見通しが立っていないのが現実。このため、コロナウイルス絶滅後の国際的な政治、各国の政治はどうなるか目途が立っていない。コロナウイルスの猛威が始まる前の古い文明を克服することも難しく、ましてや新しい文明を開くことができず、闇のなかでもがいているのが現実だ。第二次世界大戦後、世界をリードしてきた米英仏ロ中の五大国は、新しい文明の枠組みや新施策についてまだ、見当もつけないでいる。
 国内では戦後75年、国際政治の変化、あるいは市民生活の具体的な政策が大きく変わろうとしている。にもかかわらず、自民党は強力な指導者が衰え、日本の行く末を新しくデザインすることができないでいる。革新勢力は、烏合の衆と化している。
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【訃報】渡哲也、病と闘い続けた人生に終幕 「石原プロ解散」発表の直後に…

2020年08月15日 05時04分22秒 | 芸能ネタ
【訃報】渡哲也、病と闘い続けた人生に終幕 「石原プロ解散」発表の直後に…


8/14(金) 19:36配信
デイリー新潮


渡が裕次郎に、全財産の180万円を「使ってください」と差し出した
渡哲也


 俳優の渡哲也が10日、肺炎で死去した。石原プロと病院関係者が認めた。今日密葬を済ませた。享年78。日活デビュー後、石原裕次郎を慕って、経営が火の車だった石原プロに参加し、ボスへの献身を重ね、見事に立て直してみせた。2度の大手術を受けた以外にもさまざまな病と闘う中で、人の痛みについてしばしば口にするようになっていったという。男の美学で売ってきたが、自分の弱みもよく知る、78年の人生だった。


【写真】石原軍団と共に


 ***


 1941年、島根県生まれ。小学1年生からは実家のある兵庫・淡路島で育った。3歳下で3年前に亡くなった俳優・渡瀬恒彦と同様、三田学園中・高に通った。


 渡瀬と同級生だった兵庫県議の野間洋志氏は、


「3学年上にお兄さんの渡哲也さんがいて、2人とも図抜けて男前やから、運動会やらイベントがあると、地元だけやなく離れたところから追っかけファンみたいな女子グループが来ていましたよ」


 と明かしている。


 上京し、青山学院大学経済学部に在学中に、日活撮影所をひょんなことから訪問したところをスカウトされ、1964年に入社。翌65年にエースのジョーこと宍戸錠とW主演でデビューを飾った。66年には鈴木清順監督「東京流れ者」に主演。脚本を執筆した川内康範が作詞した主題歌「東京流れ者」で美声を披露している。


 路線の違いから71年に日活を退社後、複数のオファーを振り切って向かったのは、敬慕していた石原裕次郎率いる石原プロ。当時の石原プロは映画の失敗で大借金を背負っていた。まだ日活の所属だった渡が裕次郎に、全財産の180万円を「使ってください」と差し出したのは知る人ぞ知るエピソードだ。


膠原病、直腸がん、急性心筋梗塞…
 松竹、東宝の映画、テレビドラマで人気を博していた1974年、NHK大河「勝海舟」に主演中、高熱が続き降板。後に難病である膠原病と診断されるのだが、急性肝機能不全などを起こし、入院は9カ月にも及んだ。


 その後には東映入りもうわさされ、「仁義なき戦い」で菅原文太が演じた暴力団員・広能昌三役が予定されていたという証言も残されているものの、そこでも病が邪魔をしたという。一方で、渡はテレビドラマへ本格的に進出、「大都会」「西部警察」が立て続けに大ヒットし、シリーズ化される。
 1987年に裕次郎が肝細胞がんのため、52歳で死去。渡が2代目社長として石原プロを継承した。その4年後に渡を襲ったのが直腸がん。裕次郎の妻・まき子さんは「渡は完全に治るので告知した」と語っているが、渡自身は、ストーマ(人工肛門)をつける手術をそう簡単には受け入れがたく、涙が止まらなかったと手記で明かしている。


 30年も前の話で、今とは違ってがんは死の病とされていた。加えて、「男の美学」で売ってきたという自負心も人一倍あったのだろう。


 手術後は、1日1度、ストーマの洗浄を行い、医師からNG宣告されていた肉、ビール、たばこはみんなやっているとも語っていた。


 2015年には急性心筋梗塞が襲うも、大手術の末に復帰。その他、肺気腫や喘息といった持病もあり、ここ数年は状態が悪い日の方が増えて行く日々だった。
舘ひろしが明かす「秘話」


 弟分として可愛がり、渡がいなければ俳優としての活躍はなかったかもしれない舘ひろしは昨年、週刊新潮の取材にこんな風に語っていた。


「渡哲也はいつも『人の痛み』について話していましたね。(ラグビーW杯の)日本vsロシア戦が終わった後も渡と話して……“ラグビーはいいなあ”なんて言ってましたよ……。“ルールはよく分からんけどいいな、男のスポーツだな”って……。確かにそうですよね……。渡が気に入ってたのは誰もレフェリーに対して文句言わないってところですね」


 また、危機管理の専門家で株式会社リスク・ヘッジの田中優介代表によれば、


「危機管理の関係者の間で『伝説』と語り継がれているのが、03年の石原プロモーションによる謝罪です。ドラマ『西部警察2003』の撮影中に、出演俳優がハンドル操作を誤って、見学していたファンの列に突っ込んでしまった。渡哲也社長(当時)は、負傷したファンの入院先に駆けつけ土下座して謝罪。その後の会見で渡社長は「大切なファンを傷つけてしまった以上、私たちにドラマを作る資格はありません」と制作中止を発表しました。言い訳を一切せず、心に響く謝罪を重ね、謝罪の仕方も見事という他ありません」


 そしてつい最近報じられた「石原プロの解散」。裕次郎が生前、「オレが死んだら石原プロは畳め」と指示をしていたものの、整理されないまま今日に至っていた“課題”だったわけだが、これについても、関係者によると、


「渡さんにとって、もう何年越しかというくらいの懸案でした。オレが目の黒いうちに何とかしたいと言ってきましたから。それが解消できたことでホッとしたというのはあるのかもしれません」


週刊新潮WEB取材班


新潮社


侠気で、他人の痛みの分かる男が、少なくなった今の日本です。
ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

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