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安倍政権6年半をふり返る(17):忖度政治の原因

2019年 07月19日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第17弾です。2019年2月22日付ブログ「統計不正などの忖度政治の原因」の再掲です。安倍政権の忖度政治の原因を政治学者(行政学者)の牧原出教授が明確に示しています。

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統計不正などの忖度政治を生む原因

毎月勤労統計の不正でも首相秘書官の関与が明らかになりました。官邸主導と官邸一極集中の弊害、忖度政治の問題があらためて注目を集めています。

官僚主導の政治から政治主導(内閣主導)の政治への転換をめざし、橋本行革以来、内閣機能(官邸機能)が強化されてきました。その効果はてきめんでした。

いまでは政治主導が強くなりすぎ、内閣人事局による幹部人事の政治介入が官僚機構を委縮させて行政をゆがめています。森友・加計問題、統計不正など、政治主導の弊害の方が目立つようになったのが、安倍政治の現状です。

かつては官僚主導の弊害が大きく、それを是正する政治主導が唱えられてきました。こんどは政治主導が行きすぎて、政治主導の過剰の弊害が目立っています。右の極から左の極の行きすぎた感じで、ほど良い中庸な状況ではありません。

政治主導の行きすぎは、官僚機構の自律性を弱めすぎてしまいました。人事権をもつ官邸の方を向いた行政を生んでいます。国民の方を見るのではなく、官邸の方ばかり見ている幹部公務員が増えるのは、望ましいことではありません。その結果が忖度政治です。

安倍政権では今井首席秘書官をはじめ経産官僚が重用され、官邸官僚の多くは経産官僚です。個別の案件についての専門知識は農水省や厚労省、文科省といった各省の官僚の方が強く、官邸官僚は政策の専門性では劣ります。

しかし、官邸官僚は「首相案件だ」などと言って、各省の官僚を脅し、水戸黄門の印籠のように「官邸の意向」を示し、指揮系統をあいまいにしたまま責任はとらずに、強引に案件を進めます。森友・加計学園疑惑でも、毎月勤労統計問題でも、同じ構造だと思います。

安倍総理のお友だち優遇は第一次安倍政権時代から有名です。政治家も官僚も安倍総理との距離の近さが出世につながります。内閣人事局という新たな組織があるせいで、各省の幹部人事に情実がはびこり、官邸の意向に逆らった人物が左遷されたり、省内で評価の低い人物が官邸の引きで出世したりといった状況が常態化しています。それが霞が関の行政機構に機能不全を引き起こしているのは明らかです。

政治学・行政学の牧原出教授は、著書の「崩れる政治を立て直す」のなかで安倍政権について次のように述べます。

問題が生じたときに、政治家も官僚制も責任を取らない事態が生じている。政治主導でありながら、首相をはじめとする政治家は、官僚制に責任を転嫁する。官僚制は文書を廃棄し、知らなかったことを強弁して責任を逃れようとする。その結果、官邸の官僚チームとこれに従う各省幹部に対して、各省のノンキャリアを中心とする官僚たちが冷たい関係に立つ事態を生み出した。

まったくです。政治家が責任を官僚になすりつけるから、官僚は仕方なく公文書を改ざんしたり、ウソの答弁をしたり、日報がなかったことにしたり、統計データを不正に処理したりするわけです。ある意味で官僚も気の毒です。官僚よりも悪いのは、官邸の無責任な政治家たちです。財務省のノンキャリアの公務員は責任を押し付けられ自殺する人まで出ました。

政権の無責任体質を改め、責任ある立場にある政治家(首相や大臣)は、結果に対して政治責任をとることは当然です。当たり前のことを当たり前にできていないのが、安倍政権です。まずそこを改めるべきです。

次に安倍政権下で情報公開が後退しています。報道の自由度ランキングも先進国としては恥ずかしいレベルまで低下しています。情報公開を進めることが優先課題です。

外交秘密や防衛機密等も含め、すぐには公開できない情報もあります。それは公文書としてきちんと保存して何年後かに公開し、歴史法廷に判断をゆだねることを明確化すべきです。「歴史に裁かれる」という感覚があれば、一国の指導者は変なことをしにくくなると思います。

そして官僚を過度に悪者にしてバッシングせず、政と官の適切な距離感を保ち、官僚制の一定の自律性を尊重することが大切です。情実人事や報復人事で霞が関に恐怖政治をしけば、官僚は委縮して恐怖政治に唯々諾々と従うしかなくなります。

権力者は人事権の行使には抑制的であるべきです。政治権力が幹部公務員の一定程度の人事権を持つことは必要ですが、その権限を濫用しない節度も大切です。忖度政治の弊害を防ぐのは、政治の側の自己抑制であり、私利私欲の情実人事を拒む自制心です。首相や大臣に必要なのは、謙虚さと自制心だと思います。いまの政権に欠けているものだと思います。

*参考文献:牧原出 2018年「崩れる政治を立て直す」講談社現代新書

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』社会と市民活動、NPO安倍政権6年半をふり返る(16):選択と集中による地方切り捨て

2019年07月19日 15時38分11秒 | 国際・政治

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安倍政権6年半をふり返る(16):選択と集中による地方切り捨て

2019年 07月18日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第16弾です。2019年1月28日付ブログ「選択と集中による切り捨て」の再掲です。安倍政権の「地方創生」の背景にある思想の問題について書きました。

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「選択と集中」による「切り捨て」

山下祐介准教授(首都大学東京)の「地方消滅の罠」は考えさせられる本でした。山下先生は「限界集落の真実」という本も書かれていて、その本がおもしろかったので、「地方消滅の罠」も読んでみることにしました。

*ご紹介する本:山下祐介、2014年「地方消滅の罠:『増田レポート』と人口減少社会の正体」ちくま新書

この「地方消滅の罠」は、いわゆる「増田レポート」への反論です。元岩手県知事であり、元総務大臣の増田寛也氏は、人口減少が進み「消滅可能性自治体」が多いと警鐘を鳴らします。消滅を防ぐためには、地方の中核都市を強化する「選択と集中」が必要だと「増田レポート」は主張します。

しかし、「選択と集中」という発想は、「選択」されなかった地域を切り捨てることです。「選択」という名の「切り捨て」を批判するのが山下氏です。

「増田レポート」は、東京一極集中をあらためるのと同時に、地方の中核都市への集中を促します。山下氏は地方の一部の都市への集中を促すことにも批判的です。

政治の世界では「安倍一強」といわれ、首相官邸への権力の集中が進んでいます。各省庁の権限も弱くなり、何でも官邸の方を向いて仕事をしなくてはいけない時代です。いまの安倍政権を理解するキーワードのひとつは「集権」だと思います。

表向き「地方創生」といっても、中央からお金をばらまく発想でやれば、地方分権に逆行し、中央「集権」を強化します。地方交付税などは一括交付金化して地方の創意工夫に任せればよいと思います。しかし、あいかわらず安倍政権は補助金や規制改革特区など中央集権的な発想で「地方創生」を進めています。

安倍政治は「日本全体をひとつの色にそめる」という発想が根底にあるように思います。道徳教育や愛国心教育を進めている背景には、思想的にひとつの色にそめようという全体主義的な志向があるように思えてなりません。「日本人はこういうものだ」とひとつの色にそめ、その枠組みから外れる人に冷たいのが「安倍的保守主義」だと思います。

あえて「安倍的保守主義」と呼ぶのは、本来の保守主義はもっと寛容だからです。急激な変化を嫌い、漸進的な改革を好むのが、保守主義の特徴です。「革命」などという言葉を乱発する政権は「保守的」ではありません。安倍政権の過激な政策をみていると、むしろ戦前の「革新官僚」を思わせます。「革新官僚」の親玉が、安倍総理のお祖父さんの岸信介でした。

いまの「安倍的保守主義」に染まった自民党右派議員は古い家父長的発想にとらわれ、LGBTのような少数派には冷たく、多様な生き方への理解がありません。「多様性を認める」という視点がないと、地方分権は成り立ちません。全国一律の政策を進める「集権」的な発想が、現政権には濃厚に感じられます。

また、この本で初めて知りましたが、歴史人口学では「都市蟻地獄説」という言葉があるそうです。都市は、仕事と収入はあるが、家族や地域のきずなは弱く、出生数が少なくなる傾向があります。都市は農村から若い労働力を引き寄せるけれど、人口を再生産できないケースが多々あります。常に農村部からの人口流入がないと、都市の人口を維持できないことが多いです。一般的に子育てに適した環境は、都市よりも農村であり、中央よりも地方です。

東京の出生率を見ても「都市蟻地獄説」は正しいように思います。いま最も子どもが生まれないのは東京都です。東京は磁石のように地方から若者を引き寄せますが、出生率が低いので、常に外部からの新たな人口流入を必要とします。健全とはいえません。人口減少を食い止めるにも、農村・地方で仕事を創り出すことが大切です。

山下氏は「選択」をやめて「多様なものが多様なまま共生できる社会」を提唱します。私は次の文章にとても共感しました。

選択はやめて、多様なものが多様なまま、互いに存在を認め合って共生することを選ぶべきではないのか。そこには集中ではなく分散が、そして強い経済力ではなく、持続力やしなやかさが対置されることになろう。「選択と集中」とは要するに、そうした多様性を許さない思考法なのである。ここには何かの強迫が働いており、ある基準への画一的隷従を要請する。

安倍政治の「集権」思想というのは「選択と集中」に裏付けられています。企業経営においては「選択と集中」は必要かもしれませんが、政治や行政においては「選択と集中」は時に不適切です。「排除」や「切り捨て」を生むからです。

安倍政権の新自由主義的な発想では、常に市場原理や競争を賛美し、企業経営的な用語で政治や行政を語り、「選択と集中」につながります。効率性の原理だけでは、政治や行政は語れません。いまの「地方創生」は、効率性や競争原理だけで実行されているように思えてなりません。山下氏のいう「多様性の共生」は、安倍政治への対抗軸として有効だと思います。

その他に具体的な政策としておもしろかったのは、医療や福祉の分野でUターンやIターンを進めるという発想です。地方の農村部でUターンやIターンといえば、すぐに就農支援というパターンが多いように感じます。しかし、多くの過疎地の自治体において、医療と福祉が、最大の雇用主であるケースが多いです。農村地帯においても農林水産業よりも医療や介護の方が、より多くの人を雇っているという現実を踏まえれば、脱サラのサラリーマンに農業指導するよりも、都市部ですでに看護師や介護士として働いている人たちの農村への移住を推進する方が効率的です。農業を始めるには土地の所有や賃貸の問題もありますが、看護師や介護士の仕事であればそのような複雑な問題はありません。

立憲民主党の政策にも山下祐介氏の考えを取り入れていければよいと思っています。都市と農村の適切な関係、人口減少を食い止めるための一極集中是正、地方の活性化などを考える上で有益な本です。さらに都市住民の傲慢さを自省するためにも良い本です。私自身も都市部に住んでいて、都市住民の自己中心的な発想に毒されていたことを気づかされ、反省しています。考えさせる良書です。

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』平和と外交安倍政権6年半をふり返る(15):空母は21世紀の戦艦大和

2019年07月19日 15時16分08秒 | 国際・政治

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安倍政権6年半をふり返る(15):空母は21世紀の戦艦大和

2019年 07月17日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第15弾です。2018年12月21日付ブログ「空母は21世紀の戦艦大和」の再掲です。防衛政策の方向性も防衛費の使い方も誤っていると思います。

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空母は「21世紀の戦艦大和」

安倍政権は、新たな防衛大綱および中期防衛力整備計画を閣議決定しました。そのなかでも護衛艦「いずも」の空母化が話題になっていますが、これは愚策です。またしても安倍政権の誤った安全保障政策です。この愚かな政策決定のポイントは次の3つのキーワードで説明できます。

1)専守防衛より戦力投射能力を優先

2)実利よりプライド(虚栄心)を優先

3)現場の判断より政治の判断を優先

それぞれについて以下でご説明します。軍事マニア的な表現が多い点はご容赦ください。

 
1.専守防衛より戦力投射能力を優先

専守防衛の観点では空母は必要ありません。専守防衛のためには、空中給油機を増やしたり、弾道ミサイル攻撃に備えて滑走路の復旧資材を整備したり、戦闘機を守るシェルターを増やしたり、電子戦機EA-18Gを導入したり、先にやるべきことが多々あります。空母化はお金がかかるので、他の用途に振り向ける予算を削減せざるを得なくなり、かえって防衛力を低下させる可能性があります。

専守防衛のためでないとすれば、何のための空母化でしょうか? それは戦力投射(power projection)能力を高めるための空母化だと思います。英国は、フォークランド紛争時に空母とシーハリアー戦闘機を持っていたおかげで、遠く離れた南半球のアルゼンチン沖でアルゼンチン空軍から制空権を奪い、島への上陸作戦を敢行することができました。空母と垂直離着陸機の組み合わせは、戦力投射能力を高めるには有効です。しかし、日本にはフォークランド諸島のように遠く離れた領土はありません。陸上の基地から飛び立つ迎撃機や早期警戒管制機で対処できます。

空母化してF-35B戦闘機を搭載した「いずも」は、東シナ海やインド洋、ペルシア湾などで軍事的プレゼンスを示すことに使いたいのでしょう。日本の領海や領土を守るためではなく、遠く離れた海洋で戦力投射能力を示すために使われることが想定されます。要するに「日本も砲艦外交をやりたい」という政治家の幼稚な願望のための空母化です。専守防衛のためではありません。

また、ジブチに海賊対処の自衛隊基地を維持しているのも、今では軍事的プレゼンスを示すのが目的です(すでにあの海域には海賊はほとんどいません)。この手の軍事的示威行為は、幼稚な願望です。ジブチの基地も専守防衛には役立ちません。むしろ本土防衛の任務から護衛艦や対潜哨戒機(P-3C)を外すのは、抑止力の低下につながります。

*ご参考:2017年1月27日付ブログ「ジブチの自衛隊基地はまだ必要なのか?」
https://www.kou1.info/blog/diplomacy/post-1278

 

2.実利よりプライド(虚栄心)を優先

おそらく空母は時代遅れの兵器になりつつあります。無人機や無人潜水艦が実用化されると、図体が大きくてターゲットになりやすく、コスト高のアセットである空母の価値は低くなります。中国が空母をドンドン建造していることに関し、ある経済評論家が「中国が空母を建造するから、当然日本も対抗すべきだ」という趣旨のことを言っていました。まったくの勘違いです。中国が空母をドンドン造っている状況は、日本にとって天祐です。高価なわりに役に立たない兵器に大金をつぎ込めば、中国の軍事的脅威は低減します。空母は21世紀の「戦艦大和」だと思います。

元海上自衛官で在中国防衛駐在官を務めたことのある小原凡司氏(笹川平和財団上席研究員)は、「習近平『新時代』の安全保障上の意味」という論文のなかで次のように述べています。

中国は、訓練空母「遼寧」を有しているが、設計図もなしに修復した「遼寧」は、実戦に用いることはできない。推進システムに問題を抱える「遼寧」は稼働率が低く、中国海軍は空母運用に関して十分なノウハウが得られていない。艦載航空機部隊の錬成にも課題を残したままだと考えられる。

空母及び艦載機の作戦運用に係るノウハウが得られていないにも拘わらず、中国が空母を設計し建造するのは、米海軍との戦闘が目的ではなく、世界各地域に中国の軍事的プレゼンスを示すためである。

要するに中国は米海軍や海上自衛隊との戦闘を考えて空母を建造しているわけではありません。単にインドネシアやマレーシアのように空軍力や海軍力がそれほど強力ではない国を威圧するために空母を建造しているのでしょう。そういう意味では「中国が空母を建造しているから、日本も対抗しなくては」という発想は、誤った素人発想です。そして素人発想に毒されているのが自民党国防族議員です。

中国軍の弱点は対潜水艦戦だといわれています。第四世代の新鋭戦闘機をそろえ、ロシア製の近代的な駆逐艦を数多く建造し、戦力を強化しています。しかし、中国海軍の対潜哨戒機や潜水艦の戦力は貧弱です。

一方、米海軍や海上自衛隊の強みは潜水艦です。日本の潜水艦とその乗組員は世界最高の部類に入ります。米海軍の潜水艦よりも海上自衛隊の潜水艦の方が優れているかもしれません。米海軍には通常動力の潜水艦はなく、すべて原子力潜水艦です。原子力潜水艦は、長時間潜れるという利点がある一方、原子炉がうるさいという短所があります。日本の潜水艦は通常動力で静かで探知しにくいのが強みです。いずれにしても日米の潜水艦は世界最強の部類に入ります。中国の空母は、外洋に出たら日米の潜水艦にとって格好のターゲットです。

おそらく中国海軍の空母はいざ実戦となれば、日米の潜水艦が怖くて遠洋に出られないでしょう。戦史をひも解くと、第二次大戦中のドイツ海軍やイタリア海軍の艦隊は英国海軍の攻撃を警戒して港の外にあまり出ず、たいして活躍していません。中国の空母もそんな感じになるでしょう。毛沢東の言葉を借りれば、中国の空母は「張り子の虎」です。

役に立たない空母に多大な労力と資金を投入している中国海軍は賢明とはいえません。日本にとってはよろこぶべき愚行だと思います。しかし、残念ながら日本の政治家は、中国と同じ愚策を採用して、日本も軽空母を持つ方向に進んでいます。役に立たない空母にお金と人員を振り向けるのは愚策です。

 

3.現場の判断より政治の判断を優先

そもそも現状でも海上自衛隊や航空自衛隊は予算不足に悩んでいて、基本的な衣類や弾さえ不足しているといわれています。昔から「たまに撃つ、弾がないのが、玉にきず」という自衛隊川柳があり、練習用の弾も不足しています。米軍に比べて、練習時の撃つ弾の数が圧倒的に少ないといわれています。予算不足で訓練不足気味という現状を放置して、高価な買い物(F-35)をするのはどうかと思います。

海上自衛隊が以前から空母を持ちたがっているのは有名な話ですが、それでも予算不足の現状を考えると、「いずも」の空母化を望んでいる制服組は少ないと聞きます。現場の自衛官はもっと他のことに予算を使ってほしいと思っていることでしょう。

東京新聞の半田滋論説委員によると「いずも」の空母化は、自衛隊の要望ではなく、自民党主導の政策決定だったそうです。悪しき政治主導の実例です。イージス・アショアも自衛隊の現場では不評だと聞きます。現場の自衛官が望まないことを、(1)官邸主導で導入したのがイージス・アショアであり、(2)自民党主導で推進したのが「いずも」の空母化ということになります。

自衛隊が暴走しないように、シビリアンコントロール(文民統制)は重要です。同時に、変な政治家を暴走させない装置(国会とメディア)も重要です。いまの日本では、政治家の暴走をコントロールする装置が機能不全です。安倍総理と自民党国防族の暴走を止めるため、野党やメディアはもっとがんばらなくてはいけません。

以上に述べた理由から「いずも」空母化は誤りであり、すぐに軌道修正しないと「21世紀の戦艦大和」になってしまいます。中国の空母に対抗する必要はなく、冷静に判断した方がよいと思います。

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』暮らしと経済安倍政権6年半をふり返る(14):ポール・クルーグマン「格差はつくられた」

2019年07月19日 15時11分49秒 | 国際・政治

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安倍政権6年半をふり返る(14):ポール・クルーグマン「格差はつくられた」

2019年 07月17日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第14弾です。2018年9月09日付ブログ「ポール・クルーグマン『格差はつくられた』(書評)」の再掲です。2008年に書かれた古い本ですが、現在の日本の状況を理解するのに最適です。興味深い指摘がありました。

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ポール・クルーグマン「格差はつくられた」【書評】

時事ネタの本は、古くなると古本屋で激安になります。2008年刊の古い本ですが、タイトルにひかれてブックオフで360円で買ったのが、ポール・クルーグマン著「格差はつくられた」です。2007年ごろのアメリカ政治の雰囲気もよくわかり、ヒットでした。

クルーグマン教授はノーベル経済学者です。安倍総理が増税延期のお墨付きを得るためにクルーグマン教授を日本に呼んだこともあります。しかし、政治信条はリベラルです。わかりやすい経済の本を書くので、日本でもファンが多いと思います。

クルーグマン教授の本は、大学生のときに国際貿易論の授業で読んで以来なので、もう四半世紀のおつき合いです。著作リストを見てみたら8~10冊は著書を読んだ記憶がありました。

この本(原書)が出版されたのは、オバマ大統領誕生の直前です。クルーグマン教授は国民皆保険制度の導入を強く主張していますが、オバマ大統領が在任中に国民皆保険「オバマケア」に熱心に取り組んだ理由がよくわかりました。

アメリカの医療制度は非常に非効率で高コストであり、その上ひどい格差を生んでいます。保険会社と製薬会社の政治的圧力やキャンペーンで医療制度がねじ曲がり、市場が非効率になっています。アメリカの制度にはひどいものが多いです(銃規制など)が、医療保険制度はその一例です。

そしてひどい制度の多くが、クルーグマン氏が「保守派ムーブメント」と呼ぶ運動の結果だそうです。ニューディール政策が格差を縮小し、中産階級(中間層)が豊かさを謳歌した時代には、民主党と共和党の間には政策的な差異は少なく、ニューディールコンセンサスとでもいえる状況がありました。

党派的な闘争が少なく、格差が少なく、経済も成長していた時代を終わらせたのが、草の根の「保守派ムーブメント」だとクルーグマン教授は指摘します。一握りの富裕層や大企業が多額の資金を提供し、保守派の学者が理論を提供し、「保守派ムーブメント」を強化し、共和党を乗っ取り、党派的な分断を招いたというプロセスです。

いまふり返っても「保守派ムーブメント」の初期のレーガン政権の「減税すれば、税収が増える」という理論は荒唐無稽です。レーガノミクスでは、税収は増えず、財政赤字が増えただけでした。それでも当時の保守派経済学者は、レーガン大統領の選挙キャンペーン用にヘンテコな経済理論を供給してサポートしました。

クルーグマン教授の文章でおもしろかったところを抜き出していくと;

党派主義という政治的な変化こそが、経済的な不平等と格差の大きな要因である。

この点が本書の中心テーマです。

戦後の中産階級は、ルーズヴェルト政権の政策によってわずか数年の間に「つくられた」ものであった。ことに戦時中の賃金規制が大きく貢献していた。

クルーグマン教授は、政治と経済の変化の時期を分析し、政治状況(規制や制度)の変化が所得格差に影響を与えているといいます。つまり、不平等と格差をつくり出したのも政治なら、格差を縮小したのも政治である、と結論づけます。

ほとんどのエコノミストは、技術革新によって教育レベルの高い労働者の需要が増え、より教育レベルの低い労働者の需要が減少したことが、アメリカにおける経済的な不平等と格差を拡大させた最大の原因だと主張するだろう。しかし、データをより厳密に検討してみると、その一般的に信じ込まれてきた説がますます疑わしくなってくる。

もっとも顕著な発見は、教育レベルの高いアメリカ人でさえも、所得が大幅に増えた者はほとんどいなかったという点である。勝ち組になったのは、非常に限られた少数のエリート―人口の1%か、それに満たない数の人たちであったのだ。

いまでは、研究者の間では、技術革新が不平等と格差の最大の要因ではないという説が広まっている。技術革新ではなくて、結局アメリカ政治が右へシフトしたことで、平等を促進してきた規制や制度が損なわれ、そのことが不平等と格差を拡大するうえで決定的な役割を果たしてきたと理解されるようになった。

また、別のところでは以下のように述べます。

留意すべきは、技術革新とグローバリゼーションの趨勢は、すべての先進諸国に影響を及ぼしてきたことだ。ヨーロッパは情報テクノロジーをアメリカとほぼ同じくらいの早さで導入している。安価な衣類はアメリカ同様、中国製である。もし技術革新とグローバリゼーションが格差拡大を引き起こしているのであるなら、ヨーロッパもアメリカと同程度の格差を経験しているはずである。しかし、先進諸国間でも制度と規範は大きく異なり、たとえばヨーロッパでは組合の力は依然として強く、(*引用者注:企業経営者の)巨額の給与を非難し、労働者の権利を強調する昔からの規範は消え去っていない。すなわち、制度の問題であるなら、格差の広がりはヨーロッパと違ってアメリカは例外的であり、事実、アメリカは際立っているのである。つまるところ、技術やグローバリゼーションよりも制度と規範がアメリカにおける格差拡大の大きな原因であるという強い状況証拠があるといえよう。

日本の置かれている状況は、ヨーロッパよりもアメリカに近いです。非正規雇用が増え、賃金格差が広がり、労働組合が弱体化している日本でも、やはりアメリカ同様に格差が拡大しています。ヨーロッパでも格差は拡大していますが、北欧諸国をはじめ労働組合や社会民主主義政党が強い国の格差拡大はアメリカほどではありません。

そしてクルーグマン教授は、格差の拡大を食い止める具体策を述べます。まず富裕層への課税強化です。アメリカの1970年代の高額所得者の最高税率は70%でしたが、どんどん富裕層の減税が進み、クリントン政権時には約40%まで下がりました。ちゃんと調べてませんが、いまはトランプ減税でさらに下がっていると思います。クルーグマン教授は、累進課税を強化し、増えた税収は中間層・低所得層への給付金に回すべきだと主張します。

また、クルーグマン教授は、最低賃金の引き上げを提案します。「最低賃金を上げると、失業が増える」と思われがちですが、アメリカの研究では最低賃金の上昇が失業につながった事例はないそうです。最低賃金をあまりに急激に上げた場合には失業の増加といった弊害が出る可能性もあるようですが、実際にはそこまで急激に最低賃金を上げた事例はないそうです。最低賃金の上昇は確実に低所得層の生活の改善に役立ちます。

さらに中間層の所得向上のためには、労働組合に対する政府の締め付けをやめ、労働者の交渉力を強化することも重要だとクルーグマン教授はいいます。賃金格差の是正、特に経営陣の過大な報酬を減らし、従業員の給与を引き上げる上で、労働組合の役割は重要だと述べます。アメリカでは30~40年前とくらべて同じ会社で働く労働者の賃金上昇にくらべて、経営者の報酬だけが桁違いに上昇する傾向があります。そういった社内格差を是正するためには労働組合の再活性化が必要だとクルーグマン教授はいいます。

本筋の話ではないですが、「リベラル」という言葉についてクルーグマン教授が言及している点もおもしろかったです。

実際の政治にかかわっている人々の多くは、これまで私が書いてきた信念を共有しているが、彼らは自らをリベラル派よりは進歩派と呼ばれることを好む。これは「リベラル」という言葉を国民に軽蔑させようという、数十年間にわたる「保守派ムーブメント」によるプロパガンダ攻撃が功を奏した結果といえる。

この点は日本でもまったく同じですね。日本版の「保守派ムーブメント」にあたるのは、草の根の運動では「〇〇会議」とか、財界では鉄道会社の名誉会長とか、その鉄道会社の関連会社が発行している月刊誌とか、一部の新聞社とかだと思います。彼らが「リベラルたたき」を20年近くやってきた結果、日本でもアメリカ同様に「リベラル」は多くの人から好まれない言葉になりました。

日本の右派もアメリカの「保守派ムーブメント」からノウハウを学んだのか、たまたま似たような行動パターンになったのかわかりませんが、奇妙なほどアメリカと日本の政治状況や格差社会の状況は似ています。その行き着いた先がトランプ現象だと思います。

しかし、私はトランプ現象はアメリカの「保守派ムーブメント」のピークであり、これからは没落すると思っています。「保守派ムーブメント」の中核をになう白人の人口比は減少し、これからアメリカで白人は少数派になります。トランプの無茶苦茶ぶりにあきれたアメリカでは、逆の方向に針が振れると思います。アメリカの先行きは何とかなるのではないかと楽観視しています。

他方、日本の「保守派ムーブメント」はいまだに強力です。日本の「保守派ムーブメント」を終わらせる反撃方法を考えていきたいと思います。「リベラル」という言葉はもう使いにくいので、新しい言葉と新しいコンセプト、新しい政策パッケージを示し、政権交代後の社会ビジョンを描いていきたいと思っています。

*ご参考:ポール・クルーグマン 2008年 『格差はつくられた』 早川書房

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』政治の動きと分析ウソをつくことを公言する首相

2019年07月19日 15時07分48秒 | 国際・政治



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山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』

政治の動きと分析

ウソをつくことを公言する首相

2019年 07月16日

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最近話題の中島岳志教授(東京工業大学)の「自民党」という本を読んで納得したというか、驚いた点があります。安倍総理について書かれた章から抜粋します。

私が注目したいのは、岸が安保条約を通すために、安保条約に厳しい態度をとっていた大野伴睦の賛成を得ようとして「次の政権を大野に譲る」という趣旨の念書を書いたという話です。この点について、親族のひとりが岸に尋ねたところ、「たしか、書いたなあ」と答えたといいます。しかし、大野への首相禅譲はなされませんでした。要は約束を反故にしたのです。

親族が「それはひどいのじゃないの」と言うと、「ひどいかもしれないが、あの念書を書かなければ安保条約はどうなっていたかな」と言ったといいます(安倍晋三「この国を守る決意」)。

このエピソードを踏まえて、安倍総理は次のように言います。

私はその後、読んだマックス・ウェーバーの『職業としての学問』で、「祖父の決断はやむを得なかった」との結論に至りました。祖父の判断は、心情倫理としては問題があります。しかし、責任倫理としては、「吉田安全保障条約を改定する」という課題を見事に成就しています。とくに政治家は、結果責任が問われます。政治家は、国益を損なうことなく、そのせめぎあいのなかでどう決断を下していくか―ということだろうと思います。(安倍晋三「この国を守る決意」)

つまり安倍総理は、マックス・ウェーバーの「心情倫理」とか「責任倫理」とか難しい言葉を使ってごまかしていますが、平たく言えば「大義があれば、ウソも許される」ということを言っているに過ぎません。

著書のなかで「政治目的を達成するためならウソも許される」と堂々と宣言しているわけで、驚きあきれます。為政者は、外交交渉などで国益を守るためにウソをつかざるを得ない状況に置かれることもあるかもしれません。あるいは、ウソをつくつもりがなくても、さまざまな理由で約束が守れなくなることもあるでしょう。しかし、堂々と「目的が正しければ、ウソも許される」と公言するのは別次元のことです。

また「目的が正しければ、ウソも許される」としても、その目的の正しさはあくまで主観的なものです。本人は正しいと信じていても、後から振り返ると正しくない可能性も十二分にあります。

そもそも「大義があれば、ウソも許される」という状況は、よほどのことがない限り発生しないと思います。そしてウソをついても許される程の差し迫った状況というのは、どの程度なのか判断が難しいと思います。

安倍総理の場合は、根底に「政治目的達成のためのウソは許される」というお祖父さん譲りの発想があるので、ウソをつく時の心理的ハードルは低いのだと思います。あるいは、最初はウソをつくのを躊躇していたとしても、慣れてくると常習性がついて麻痺して、平気でウソをつくようになる可能性もあります。

プロの詐欺師は必要最低限のウソしかつかないそうです。しかし、病的なウソつきは不必要なウソまでつくそうです。そしてウソをついても良心の呵責がないので、ケロッとしているそうです。病的なウソつきは、ウソをついている自覚さえなくなるようです。

安倍総理は、責任倫理を果たすためなら、ウソをついても許されるという思想の持ち主です。そのことはよく覚えておく必要があります。

また、一国の宰相をめざす人は「大義のためにはウソも許される」なんてことを書いた本は出版しない方がよいと思います。まちがいなく主要国の外務省や情報機関は安倍総理の著書を翻訳して本国に報告し、分析していることでしょう。そしてその分析結果は、首脳や外相に報告され、「安倍という人物はウソをつくことに心理的抵抗がない」ということがばれていることでしょう。

日本の国益を考えたら「平気でウソをつく首相」は取り替えた方がよいと思います。外交の世界では長い目で見れば、“Honesty is the best policy”(正直は最良の方策)という格言が生きていると思います。安倍外交がうまく行かないのも、正直さに欠けるせいではないかと思います。「外交の安倍」という幻想はもはや通用しません。正直で現実的な方策を打ち出せる首相に取り替えたいものです。

*参考文献:中島岳志、2019年『自民党』 スタンド・ブックス

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山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』政治の動きと分析安倍政権6年半をふり返る(13):家産制国家化する日本

2019年07月19日 15時04分13秒 | 国際・政治

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政治の動きと分析

安倍政権6年半をふり返る(13):家産制国家化する日本

2019年 07月15日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第13弾です。2018年8月17日付ブログ「家産制国家化する日本」の再掲です。フランシス・フクヤマ氏の日本政治を見る目は的確です。著書のタイトル「政治の衰退」は、日本の政治のことをさしているように思えてなりません。

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家産制国家化する日本

フランシス・フクヤマ氏の新刊「政治の衰退」から再びです。最初に用語の定義から入りると、「家産制国家」とは「領土や人民などがすべて君主の私有物となされる国家。封建時代の国家、ことに領主国家がこれにあたる」と定義されます。フクヤマ氏は次のように述べます。

親族や友人を頼りにすることは人間の社会性の規定値(デフォルト)の状態であり、強力な誘因が働いて、その状態に逆らった行動を促されなければ、家産制は必ずかたちを変えて戻ってくる。

太古の昔から人間社会では、親族や友人を頼ってきました。それが当然であり、自然です。家産制国家というのは、人類の歴史の早い段階からの自然状態に近いのだと思います。逆に、近代国家における「法の支配」や「民主主義」といった制度は、権力の抑制や協調といった人間の不断の努力が必要であり、かなり不自然な状態ともいえます。

情実に左右されない近代的国家制度によって規定値にまったく逆らった行動を強要されている私たちが、いつか誘惑に負けて家産制に戻るリスクはなくならない。どんな社会のエリート層も、政治システムを利用する特権を用いて自分はもちろん、親族や友人の地位を確保しようとする。政治システムのなかにある他の組織的な力が働かなければ、そうした行動を防ぐのは難しい。そのようなエリート層の行動は、自由民主主義の発達した国でも起こり得るのだ。家産制国家に回帰するプロセスは、現在も続いていると言っていいだろう。

まさに安倍政権の「お友だち優遇政治」や「忖度政治」のことを指しているように思えてなりません。昭恵夫人や加計理事長のような家族や友人を優遇し、国の補助金選定や国有地の売却で不透明な手続きが行われました。日本は「安倍王朝」という名の家産制国家になりつつあるのかもしれません。政治の衰退であり、民主主義の後退といえます。

フクヤマ氏のいう「他の組織的な力」とは、国会による監視、自律的な官僚制、司法制度による抑制だと思いますが、それが今の日本では十分に機能していません。さらにフクヤマ氏は次のように述べます。

日本には強く自律的な官僚制度の伝統があり、官職を腐敗によって分配する慣行はない。しかしながらこの数十年間、いわゆる金権政治において、予算というかたちを借りた利益のバラまきが横行してきた。自民党はいろいろな補助金を巧みにバラまいて、政権を維持してきたのだ。2011年に東北地方で起きた大地震と電子力発電所事故後に日本を襲った危機的状況を見れば、電力会社のような利益集団が、規制当局や監督機関を掌握しているという事実は明らかである。

フクヤマ氏は日本の状況をよく把握しています。この本の原書が出たのが2014年なので、フクヤマ氏は第二次安倍政権以降のことは知らない段階で、この記述をしています。今だったらどんなことを書くのか興味深いです。

フクヤマ氏はかつて「歴史の終わり」を書きましたが、「再び家産制国家へ」といった表現を使うところを見ても、すっかり宗旨替えしたようです。歴史は終わっていません。進歩したり、後退したり。リベラルな民主主義が世界中で後退するなか「歴史は終わらなかった」ことは明らかです。

この本のタイトル「政治の衰退」は日本でも顕著です。もういちど踏ん張って歴史の流れを逆転させ、「政治の衰退」に歯止めをかけ、「政治の発展」へシフトしなくてはいけません。石破さんが頑張って自民党総裁選に勝利して日本国の首相になっても、自民党政治が続く限り、「政治の衰退」は止まりません。安倍政治だけではなく、自民党政治を終わらせることを目標にしなくてはなりません。「政治の衰退」のトレンドを逆転させるのは、われわれ立憲民主党しかいません。

*参考文献:フランシス・フクヤマ 2018年 『政治の衰退(上)』 講談社

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』暮らしと経済安倍政権6年半をふり返る(12):アベノミクスの「ウラの3本の矢」

2019年07月19日 14時59分20秒 | 国際・政治

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暮らしと経済

安倍政権6年半をふり返る(12):アベノミクスの「ウラの3本の矢」

2019年 07月15日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第12弾です。2018年6月22日付ブログ「アベノミクスのウラの『三本の矢』」の再掲です。

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アベノミクスの「ウラの3本の矢」

安倍政権のアベノミクスの「3本の矢」といえば、①異次元の金融緩和と円安誘導、②財政出動による公共事業、③規制改革です。

しかし、それ以外にもアベノミクスの「ウラの3本の矢」とでもいえそうな タチの悪い経済政策があります。安倍政権は、経済成長につながるかもしれないけれど、倫理的に問題のある経済政策を推進しています。その代表は、①カジノ解禁、②武器輸出の推進、③原発輸出への政府保証という「ウラの3本の矢」です。

 

1. カジノ解禁

今年の通常国会の目玉法案のひとつは、いわゆる「カジノ法案(特定複合観光施設区域整備法案)」でした。これまで違法だったカジノを解禁し、観光客の誘致につなげようという政策です。

日本はギャンブル依存症の割合が、先進国で最も高い国です。厚生労働省の調査によれば、病的賭博の推定有病率は、男性で9.6%、女性で1.6%とされており、先進国平均の1.5~2.5%に比べ極めて高い水準です。

そこら中にパチンコ屋があり、ギャンブル依存症の人が世界有数の多さです。その上さらにカジノを解禁するのは危険です。既に日本はギャンブル大国ですが、カジノ解禁でさらにギャンブル経済が拡大します。

2016年のデータを見ると、パチンコの市場規模は約21兆6200億円です。農水省所管の競馬の市場規模が約3兆1400億円(中央競馬:約2兆6700億円、地方競馬:約4700億円)です。農業総算出額が約9兆2000億円であることを考えれば、競馬の市場規模の大きさに驚きます。

ギャンブルで経済成長を図るのは危険です。ギャンブル依存症は自己破産や家庭崩壊を招くことも多く、そんなリスクのあるビジネスを政府が推進するのはいかがなものかと思います。人を不幸にしてまで経済成長を追い求めるべきではありません。

 

2. 原発輸出の推進

安倍政権は玄海原発をはじめ原発再稼働に前のめりですが、原発輸出にも熱心です。安倍総理の最側近の今井首席秘書官は、経産省で原発輸出を担当してきた「ミスター原発」のような人物です。経産官僚にべったりの安倍総理は、官邸主導で原発輸出を強力に進めています。

英国ウィルヴァ原発の総工費は3兆円とされ、そのうち1兆1千億円を日本の国際協力銀行やメガバンクが融資し、政府が貿易保険を適用して保証します。原発事業はハイリスクですが、失敗したときに日本政府が保証するということは、すなわち損失が出れば国民負担となる可能性があるということです。

国民の税金で原発輸出の失敗の埋め合わせをするのはいかがなものかと思います。世界では自然エネルギー革命が進み、原発の新増設は激減しつつあります。原発が時代遅れになりつつあるなかで、政府保証を付けて原発輸出を促すのは愚かです。

 

3.武器輸出の解禁

安倍政権は2014年に武器輸出三原則に代えて、防衛装備移転三原則を閣議決定し、これにより武器輸出が可能となりました。その直後からオーストラリアへの海上自衛隊の潜水艦(そうりゅう)売り込みを図りました。

結果的に入札で負けましたが、もし実現していれば数兆円規模の商談でした。経済産業省は世界の武器見本市への日本企業の出展を後押しして、潜水艦のほか飛行艇などを売り込んでいます。

日本が「死の商人」として国際社会に打って出ることは、日本の平和国家としてのイメージを損ないます。日本製の兵器が非人道的な戦闘行為に使用されれば、倫理的・道義的責任を問われます。武器輸出で稼ごうという発想は、長い目で見れば国益に反します。

以上のアベノミクスの「ウラの3本の矢」というのは「金儲けになれば何でもあり」という卑しい発想です。とても「美しい国」がやることではありません。カジノ、原発輸出、武器輸出というダーティーな経済政策を阻止するため、国会でがんばっています。

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』暮らしと経済 11):アベノミクスはうまく行っているのか?【円安誘導】

2019年07月19日 14時55分31秒 | 国際・政治



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暮らしと経済

安倍政権6年半をふり返る(11):アベノミクスはうまく行っているのか?【円安誘導】

2019年 07月14日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第11弾です。2018年4月19日付ブログ「アベノミクスはうまく行っているのか?」の再掲です。円安誘導政策のプラスとマイナスなどについて書きました。

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アベノミクスはうまく行っているのか? 【円安誘導】

安倍総理は「アベノミクスのおかげで名目GDPが50兆円増えた」という趣旨のことを選挙演説で言ってました。これはおおむね正しいです。しかし、“名目GDP”が増えたところで、実質賃金は上がっていません。円安誘導で物価が上がっているので、名目賃金が上がっても、実質賃金が下がっています。消費は活性化せず、実質GDPはあまり伸びていません。

また、2016年に内閣府がGDPの算出方法を変え、その結果GDP3%分くらい上方修正されていますが、それもアベノミクスの成果とは無関係です。単なる統計的な操作であり、実際に経済が成長したわけではありません。

それに「円建ての名目GDP」が増えたものの、円安誘導のせいでドル建てのGDPは大幅に減少している点も見逃せません。日本人は購買力という点では貧しくなっています。たとえば、1ドル80円から1ドル120円に円安が進めば、ドル建てでみた所得は一気に目減りします。2012年の日本のGDPは5.96兆ドルでしたが、2016年には4.93兆ドルです。ドル建てで見たら、日本経済の規模は大幅に縮小しています。

経済学用語でいえば、円安ドル高が進むということは、「交易条件が悪化している」といえます。「交易条件」とは、輸出商品と輸入商品の交換比率のことです。一国の貿易利益(つまり貿易による実質所得の上昇)を示す指標となります。円が安くなるということは、交易条件が悪化するということです。円が安くなれば、同じ金額でより少ない物しか輸入できなくなるわけです。

輸出を増やすために通貨安へ誘導することを「近隣窮乏化政策」と呼ぶことがありますが、国民の実質所得を減らすことになるので下手をすれば「自国民窮乏化政策」になりかねません。アベノミクスの円安誘導は、この「自国民窮乏化政策」の一例かもしれません。

たとえば、外国人観光客が増えている最大の理由は、円安のおかげで「日本は物価が安い」ということだと思います。中国人や韓国人の観光客が、日本人のホスピタリティや日本食のおいしさに突然目覚めたわけではないと思います。テレビの「日本 スゴイですね」的な番組を見ていたら、本質を見失います。

他方、円安が進めば、海外旅行や海外留学には不利な状況になります。旅行収支が黒字になるのはある意味で当然です。「外国人が日本に旅行しやすくなり、日本人が海外旅行しにくくなる」という政策は、手放しでほめられる政策でしょうか?

最近の「円安」イコール「日本にとってプラス」という風潮は、そろそろ考え直す時期かもしれません。少なくとも消費者の目線でいえば、ガソリンや食品が値上がりし、海外旅行がしにくくなり、マイナスの方が大きいのは明らかです。

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』政治の動きと分析安倍政権6年半をふり返る(10):安倍総理の自己都合解散は許されるのか?

2019年07月19日 14時52分24秒 | 国際・政治

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政治の動きと分析

安倍政権6年半をふり返る(10):安倍総理の自己都合解散は許されるのか?

2019年 07月14日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第10弾です。

2017年9月22日付ブログ「安倍総理の自己都合解散は許されるのか?」の再掲です。今朝の西日本新聞の社説で首相が解散権をもてあそぶことの弊害を指摘していました。まったく同感です。イギリス政治の混乱を見ていると、何でもイギリスの真似がよいということではありませんが、少なくとも解散権の濫用を防ぐ点は真似した方がいいと思います。

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安倍総理の自己都合解散は許されるのか?

河野洋平元衆議院議長は、安倍総理が臨時国会冒頭に衆議院を解散する見込みであることに関し、次のように述べました。

安倍さんは「できるだけ丁寧に国民に説明する」と言っていた。その説明もせずに、冒頭解散するというのは、私には理解できない。

権力の側が自分の都合の良いときに自分の都合で解散するというのは、果たしていいのかどうか、議論しなければならない。

私が衆議院議員1年生の時の議長が河野洋平先生でした。河野議長は自民党内の護憲派でした。河野議長は「若い議員を育てよう」という思いだったのだと思いますが、党派を問わずハト派の若手議員を集めてよくご馳走して下さいました。本を何冊もいただきました。尊敬できる政治家です。河野議長のおっしゃっていることは正論です。

私が落選した前回(2014年)の衆議院選挙は、小渕優子大臣の「政治とカネ」疑惑、松島みどり大臣の「ウチワ」疑惑を隠すための大義なき解散総選挙でした。今回は森友・加計学園の疑惑を隠すための大義なき解散総選挙です。どちらも、疑惑を隠しつつ、準備不足の野党に勝てるタイミングだという理由だけの解散総選挙でした。国会軽視も甚だしく、議会制民主主義の危機です。

しかし、異常な事態であるにも関わらず、安倍首相が好き勝手に衆議院を解散するのが当然視されています。これは本当に当たり前のことなのでしょうか?

世界を見わたせば、首相が好き勝手に議会を解散できる国は減少傾向です。イギリスでは2011年に「固定任期議会法(Fixed-term Parliaments Act 2011)」が成立し、首相の解散権を封じる決定をしました。下院の3分の2の議決がある場合を例外として、首相が好き勝手に下院を解散できなくなりました。

下院の3分の2の議決というのは、野党も解散に同意しないといけないということです。したがって、与野党が合意した場合を除けば、首相は解散できません。ドイツでは「建設的不信任制度」という独特の制度があり、やはり首相の好き勝手に解散できない仕組みです。

イギリスでは、首相の手から選挙時期の決定権を奪うことは、選挙の実施体制を公平なものとすると言われていました。また、5年間の下院議員任期が固定化されることで、頻繁な政策変更で市場や行政が混乱する可能性を減らします。首相にとっても、5年間落ち着いて政権運営できる利点があります。イギリス上院(貴族院)議員は選挙で選ばれないので、5年間もの長期間、国政選挙がないことを意味します。

5年間確実に政権を担えるという条件であれば、不人気であっても必要な改革がやりやすくなります。最初の2~3年で不人気でも必要な改革を進め、改革の成果が出てくる5年後に総選挙ということなら、かなり思い切った改革に踏み切れます。公共事業削減とか、環境税導入とか、資産課税強化とか、環境規制の強化とか、不人気な政策もやりやすくなります。選挙目当ての人気取りの必要性が減るので、派手で空虚な言動は減り、落ち着いた政策や穏健な外交がやりやすくなるでしょう。1年ごとに首相が代わることもなくなります。

国際比較でみると、日本は国政選挙が異常に多い部類に入ります。衆議院選挙はだいたい2~3年の間に実施されることが多く、それとは別に3年ごとに参議院選挙もやるとなると、国政選挙が多すぎる気がします。アメリカの下院は2年ごとの改選ですが、アメリカ議会はお手本にできる代物ではありません(アメリカ議会の機能不全は世界的に有名です)。

これだけ頻繁な国政選挙に統一地方選や東京都議選を加えると、しょっちゅう選挙をやっている感じです。そうなると毎度毎度の選挙対策に忙しく、政策立案や行政監視といった議会活動がおろそかになります。「選挙のための政治」という色合いが濃厚になります。政治家が落ち着いて政治に集中できる環境を整備するのも、政治への信頼を取り戻す第一歩ではないかと思います。

安倍総理が当然のように行使しようとしている「解散権」の意味や弊害について、冷静に議論する時期だと思います。少なくとも「大義なき解散」を国会もマスコミも許すべきではありません。解散権の濫用を許さないためにも、安倍政権にノーを突きつけなくてはいけません。

*参考文献:小堀眞裕、2012年、「ウェストミンスター・モデルの変容」、法律文化社

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』子どもと教育安倍政権6年半をふり返る(9):日独の科学政策【首相のちがい】

2019年07月19日 14時50分06秒 | 国際・政治

福岡3区(福岡市早良区・西区・城南区の一部、糸島市)



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子どもと教育

安倍政権6年半をふり返る(9):日独の科学政策【首相のちがい】

2019年 07月13日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選企画の第9弾です。2017年9月12日付ブログ「日独の科学政策:首相のちがい」です。日本とドイツはいずれも長期政権ですが、科学政策(高等教育政策)では大ちがいです。成功したドイツと失敗し続ける日本。

大学教員の皆さんと話をすると、安倍政権の高等教育(大学教育)政策への不満は非常に大きいです。目先の短期的な成果だけを見る日本の科学政策(高等教育政策)の失敗は明らかです。大学の自治や学問の自由を損ない、日本の衰退を招きます。安倍政権の政策のほとんどに共通する性格は「短期志向」「経済的価値偏重」「問題先送り」です。このままでは日本の科学と大学教育はあやういです。

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日独の科学政策:首相のちがい

西川伸一さんという方が書いた「ドイツ科学の卓越性の秘密」という記事がとても興味深かったので、ご紹介します。



ドイツ科学の卓越性の秘密:Nature 最新号の記事を読んで(西川伸一) - Yahoo!ニュース

ドイツに留学したこともありドイツ人科学者との交流を続けているが、保守を代表するメルケル首相をほとんどの科学者が支持するという、かってなかった状況が生まれているのを感じる。



news.yahoo.co.jp

ざっと要約すると;

1)安倍首相の科学政策についての考えは間違い。日本の科学の未来は暗い。

2)メルケル首相のもとでドイツの科学技術政策は大成功。国際的評価も急上昇。

3)日独のちがいは、「すぐに役立つ職業教育を重視する日本」に対し、「すぐに役立たない理論的学術研究を重視するドイツ」のちがいに起因する。

安倍首相はOECD閣僚理事会でこんな恥ずかしいことを言ったそうです。

日本では、みんな横並び、単線型の教育ばかりを行ってきました。小学校6年、中学校3年、高校3年の後、理系学生の半分以上が、工学部の研究室に入る。こればかりを繰り返してきたのです。そうしたモノカルチャー型の高等教育では、斬新な発想は生まれません。

だからこそ、私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新しい枠組みを、高等教育に取り組みたいと考えています。

この記事の執筆者の西川氏は、安倍首相の発言に対し、次のように述べます。

まともな科学者なら、これを読んだらこの国の科学はおしまいだと思うだろう。もちろん原稿は、優秀な内閣府の官僚が書いたのだと思う。知識をひけらかす才気紛々とした原稿だ。しかし、「Rather than deepening academic research that is highly theoretical(極めて理論的な学術研究を深めるのではなく)」といったフレーズを平気で使える官僚が日本の高等教育政策を担っているのかと思うと暗澹たる気持ちになる。

この単線型の教育制度のもとで高度経済成長を達成し、技術大国になり、ノーベル賞受賞者も多数輩出しました。私はそんなに否定すべきモデルだとは思いません。もちろん現状のままでよいとは思いませんが、安倍政権が示す「改革案」はより状況を悪化させます。

安倍政権は、国立大学の人文科学系学部や教員養成学部を削減しようとしたり、人文系リベラルアーツを敵視したりしているのは前から知っていました。しかし、科学政策に関しても、トンチンカンな政策を採用しているのは知りませんでした。戦前の軍部や安倍政権は、理工系にやさしいと思っていましたが、私の勘違いでした。

ちなみにドイツの科学技術への投資は日本より少ないそうですが、それでも論文の引用レベルを示す指標などではアメリカと肩を並べるレベルだそうです。英タイムズ社の大学ランキング200位以内には、日本の大学は2校しか入っていないのに対して、ドイツの大学は22校がランクインしているそうです。ドイツの2005年の200位以内の大学は9校だったので、この10年で大学ランキングの順位を急速に上げていることがわかります。

ドイツの科学政策や高等教育政策が成功しているのは、メルケル首相のおかげという評価だそうです。メルケル首相は物理学の博士号を持つ研究者でもあります。そういう点ではメルケル首相が科学政策に強いのは当然です。

首相自身が博士号を持っていなくても別に構いませんが、その代わり高等教育政策や科学政策に詳しいアドバイザーやスタッフの助言に従う必要があります。しかし、どうも安倍首相のまわりには経済産業省の官僚や経済界の人物が多く、学術研究を軽視する一方で、すぐに役立つ技術教育を重視する傾向があるようです。

ひょっとすると安倍首相の周辺で教育関係者といえるのは、加計学園の理事長くらいしかいないのかもしれません。安倍政権の「教育再生」はかなりあやしげです。安倍政権の「教育再生」とは、戦前復帰型のイデオロギー教育と教養軽視の職業教育偏重の「教育改悪」に他なりません。知識経済・知識社会といわれる時代に安倍首相のような反知性主義者をトップに選んだ日本は不幸です。

池上彰さんは、教養やリベラルアーツの重要性を指摘して次のように言います。

大学で役に立つことを学んでも、その知識はすぐに陳腐化します。「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」との言葉もあります。常に学び続けていなければなりません。と同時に、「すぐには役に立たないこと」を学んでおけば、「ずっと役に立つ」のではないないかとも思うのです。これが、「リベラルアーツ」という考え方です。教養と言い換えてもいいでしょう。

技術教育のように「すぐに役立つこと」も大切ですが、少なくとも大学教育においては「すぐには役に立たないこと」も大切です。「すぐには役に立たない」リベラルアーツや教養という要素は、大学教育では欠かせません。また、「すぐには役に立たない」科学の基礎研究も、長い目でみれば割に合うものだと思います。

メルケル首相と安倍首相のちがいは、まともに勉強してきた人かどうかのちがいだと思います。あるいは、親やお祖父さんの七光りで首相になった人と、自らの実力だけで首相に上りつめた人のちがいかもしれません。いずれにしてもメルケル首相とは比べようもないことは明白です。そろそろ日本の首相を取り換える時期だと思います。科学と大学教育を守るためにも。

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』暮らしと経済安倍政権6年半をふり返る(8):アベノミクスの検証

2019年07月19日 14時47分32秒 | 国際・政治

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安倍政権6年半をふり返る(8):アベノミクスの検証

2019年 07月12日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第8弾です。2017年6月18日付ブログ「アベノミクスの検証と次の選挙の対立軸」です。日本経済新聞に載ったアベノミクスの検証記事ですが、2年たった今でも十分有効だと思います。

「やってる感」の演出がうまい安倍政権ですが、実態を見るとほとんど効果がありません。支持率アップのためにあらゆる政策手段を動員しますが、実態経済の改善にはまったくつながっていません。

安倍総理が必死になって野党批判、民主党政権批判をくり返すのは、誇れる実績が少ないことの裏返しです。6年半も総理をやれば誇れる実績がたくさんあって当然ですが、それがないので6年半以上前の民主党政権批判へ逃げているだけです。

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アベノミクスの検証と次の選挙の対立軸

ちょっと前の日本経済新聞(2017年6月10日朝刊)で骨太方針決定にからめ、アベノミクスの検証記事を見かけました。日経新聞といえば、“財界広報誌”というイメージがあり、安倍政権やアベノミクスを高く評価している印象がありました。その日経新聞が、わりとアベノミクスを低く評価しているのでびっくりしました。記事から興味深く思った部分を抜粋してみます。

見出しから批判的です。

アベノミクス5年 経済の力低下

社会保障・財政『落第』

意外と辛らつなのでおどろきました。

あれから4年。日銀の推計は、日本経済の姿を冷徹に映している。足元の潜在成長率は0.69%。経済の実力は上がるどころか、14年度下期(0.84%)からむしろ下がっているのだ。

安倍政権の実質経済成長率の方が民主党政権の実質経済成長率よりも低いことはそこそこ知られていますが、あらためて再確認できます。

BNPパリバ証券の河野龍太郎チーフエコノミストは『極端な財政出動などが経済の資源配分をゆがめ、生産性を落とした』と警鐘を鳴らす。

地元の住宅地を回っていると、新築住宅や新築アパートの工事の多さに驚きます。金融緩和・低金利政策により、不動産投資が激増しているのでしょう。プチバブル状態です。民間の住宅投資が増えているのに、東京オリンピック・パラリンピックもあり、財政出動でコンクリートの公共事業をジャンジャンやれば、建設業は儲かっているかもしれません。

しかし、建築資材が高騰したりして、本当に必要な建築工事ができないところも出ています。うちの娘が通う私立幼稚園では、老朽化した校舎を建て直す予定だったのに、建築資材の高騰で当初予算では足りなくなり、建て直せなくなったそうです。異常な低金利と財政出動による公共事業の増加が、資源配分のゆがみをもたらしているように思います。不動産バブルの崩壊も心配です。

日経新聞らしく安倍政権の法人減税は高く評価しています。

法人実効税率を7%超下げた法人税改革が3.3点(*引用者注:5点満点の3.3点の好評価)と続いた。減税などで収益力は高まったが、企業はカネをため込む一方。3月末で企業の内部留保も390兆円と政権発足時から4割増加。内部留保解消の有効策は見えない。

私にとっては、法人減税はダメな政策変更だと思います(「改革」とは言いません)。この30年ほどの間、日本は新自由主義的な経済政策をとり、法人減税を一貫して下げてきました。その結果、税収が落ち込み、歳出削減に追い込まれてきました。

経団連は「法人税を下げないと、国際競争力が弱くなる」と主張してきましたが、法人税率と企業の国際競争力はそれほど関係がないことが各種の研究により段々と明らかになってきています。欧州の国際競争力の強い国で法人税率が高い国はいくつもあります。

法人税を下げて、企業収益が上向いても、労働分配率は上がらず、働く人の実質賃金は上がりません。内部留保が積みあがるばかりで、経済成長や労働者の生活の改善にはつながりません。法人税の減税は失敗だと思います。

ほぼ落第点に近い評価が社会保障改革(2.2点)と財政健全化(2.1点)だ。選挙を前に増税を先送りしたり、社会保障の充実を約束したりする「選挙優先」で取り組みが遅れている。

日経にしては厳しい評価だと思います。

そして骨太方針の分析によれば、安倍政権はさらに歳出拡大に布石を打っているようです。引き続き経済成長を優先し、消費税増税をさらに先送りする可能性も指摘されています。次の衆院選の直前にまたしても「消費税増税延期について国民の信を問う」と言い出す可能性もあるようです

骨太方針を読むと次の総選挙の対立軸が少し予想できそうです。安倍政権は「人材への投資」を骨太方針の柱にしました。民進党がずっと訴えてきた「人への投資」のパクリであり、「抱きつき戦略」に他なりません。したがって、民進党の「人への投資」は選挙の主要な争点から外れることになります。安倍政権は上手です。しかし、それで「人への投資」が加速するなら、民進党が主張してきた意義はあります

安倍総理がさらに消費税増税の先送りを決めるとすれば、総選挙の争点になるでしょう。民進党が検討している「尊厳ある生活保障」の政策パッケージは、増税を選択肢に入れ、税収増を社会保障や「人への投資」に振り向けることを想定しています。消費税が8%から10%に上がる時に、増えた税収で子育て支援や教育、介護や医療サービスを充実させる方針になるでしょう。

安倍政権が「経済成長を優先し、増税から逃げる」という立ち位置になり、民進党は「国民生活を優先し、増税から逃げず、社会保障の充実をめざす」という立ち位置になることでしょう。ハッキリとした対立軸ができます。むかしから「選挙で増税を訴えると負ける」というのが政治の世界の常識ですが、その常識に立ち向かうべきだと思います。

逆説的ですが、経済成長最優先で4年半やってきた安倍政権のもとでは、経済は成長しませんでした。格差は広がり、非正規雇用は増え、将来不安を抱えて消費にお金が回らない状態が続いています。近年の研究によると、格差拡大が進むと、経済が成長しなくなると言われています。むしろ経済成長を優先せず、格差の是正や生活不安の解消につながる公的サービスの充実が、結果的に経済を成長させる可能性が高いと思います。北欧等を見ていると「経済成長よりも生活保障を優先したら、不思議なことに経済も成長する」という逆説的な現象が起きているように思います。アベノミクスと新自由主義的な政策からの転換が、次の衆院選のテーマになってくるかもしれません。


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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』政治の動きと分析安倍政権6年半をふり返る(7):忖度の何が問題か?

2019年07月19日 14時45分14秒 | 国際・政治

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政治の動きと分析

安倍政権6年半をふり返る(7):忖度の何が問題か?

2019年 07月11日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第7弾です。2017年7月10日付ブログ「忖度政治の何が問題か?【政と官のあり方】」の再掲です。すごく長いので、ご注意ください。ブログというより小論文という感じです。

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忖度政治の何が問題か?【政と官のあり方】

ある人に次のような質問をされました。

官僚が政治家の指示に従うのは、当たり前じゃないですか。ずっと「官僚主導はダメだから、政治主導にしなければいけない」と言ってきたじゃないですか。忖度(そんたく)の何が問題なんですか?

良い質問です。簡単には答えられませんが、素朴で本質的な問いかけです。しかし、望ましい「政治主導」の定義を取り違えている点が問題なので、それをご説明します。

ここで政治家と行政官のあるべき関係、「政と官」のあり方という基本的なポイントを考えてみましょう。私の尊敬する政治家のひとりの後藤田正晴先生が「政と官」という本を書かれています。後藤田先生のように官僚のトップである事務の内閣官房副長官と官房長官の両方を務めた稀有の人材ならではの良い本ですが、現状を分析するには向いていません。

そこで、私の尊敬する政治学者の飯尾潤教授(政策研究大学院大学)の「日本の統治構造」(中公新書、2007年)の内容を踏まえてご説明します。この本は2007年サントリー学芸賞を受賞した本です。その後の公務員制度改革(政治主導や内閣機能強化)の方向性を決める上で、この本の果たした役割は大きいと思います。

では、本題に入ります。橋本行革以来、第二次安倍政権のころまでに日本政治の問題とされてきたのは、「官僚主導」や「決められない政治」というテーマでした。思い切った政策転換がしにくい構造が批判的に語られ、高度経済成長期型の経済や社会の構造をグローバル化時代にふさわしい構造に抜本的に変えていくことが「正義」とされる風潮でした。小泉総理の「構造改革」が多くの国民の支持を集めた時代です。

飯尾先生は「官僚内閣制」という用語を使い、「官僚内閣制」から「議院内閣制」へとバージョンアップする必要性をこの本で訴えています。そしてその後の政治や行政の仕組みは、おおむね飯尾先生の主張の通りになってきました。

先進国の政治体制は「大統領制」と「議院内閣制」に分けられます。大統領制は「二元代表制」といわれ、大統領と議会が別々に選出され、それぞれに民意を代表する正統性を持ちます。一方で議院内閣制では、議会のみが民主的に選出され、議会を基盤とした内閣が成立するため、民意が一元的に代表されます(「一元代表制」と呼びます)。

議院内閣制のもっとも重要な性質は、行政権を担う内閣が、議会の信認によって成立していることです。そして議院内閣制は、政党政治を前提としています。議会の多数派を占める政党(あるいは政党連合)が、首相を出し、その内閣を支えます。もともと議院内閣制は「議会による政府」を意味します。

しかし、中選挙区時代の日本の政治と行政は、議院内閣制の基本原理から外れる現象が多く見られました。本来であれば、衆議院選挙は、立法を担う衆議院議員を選ぶ選挙であると同時に、政権を選択する選挙という性格を持ちます。

しかしながら、55年体制のもとでは、第二党の社会党に政権獲得の意思がなく(=社会党は過半数を超える候補者を擁立せず)、「政権選択選挙」としての意味合いがありませんでした。その結果、衆議院選挙で首相を選ぶという感覚は弱く、むしろ自民党内の総裁選挙で首相を選ぶというのが実体となります。

総裁選を戦うために派閥ができ、派閥の力が強くなりました。小泉政権以前は、大臣ポストは派閥推薦で決まり、首相の人事権が制約されていました。しかも、当選回数主義で適性とは無関係に大臣が決まることも多く、かつ、ほぼ1年おきに大臣が交代することが常態化し、政治家である大臣が省内をコントロールすることはむずかしい状況が生まれました。

大臣に力も専門性もなく、大臣が単なる省庁の利益代表のようにふるまうことが多くなり、内閣としての一体感はなく、議院内閣制は機能不全を起こしやすくなります。官僚の代理人のような大臣が集まり、「官僚内閣制」と呼べるような状態が生まれました。

官僚内閣制のもとでは、最終的な意志決定者が不明確になり、「連帯責任は無責任」という体質を招きます。太平洋戦争への道も「連帯責任は無責任」という感じでしたから、戦前から続く悪習といえるかもしれません。

また、官僚内閣制では、各省の大臣や族議員など拒否権プレイヤーが多くなり、思い切った政策転換がしにくく、そのことが「決められない政治」につながりました。首相の権限が弱くなり、首相のリーダーシップが発揮できない傾向も見られました。

議院内閣制においては、政治家が立法府を構成するのは当然として、政権党政治家の一部が行政府の上層部を構成する点も重要です。行政府の方針を決めるのは、大臣などの政治家の仕事です。その方針を実施するのは、党派性を持たない官僚ということになります。

選挙によって選ばれた政治家が行政府の方針を決めるので、行政権自体は政治的に中立ということはありません。しかし、政策の実施にあたっては、法の下の平等原則をもとに、党派性のない官僚が実務を担うことが求められます。

飯尾潤先生によれば、政官関係においては、①統制の規範、②分離の規範、③協働の規範、の3つの要素が必要です。

第一の「統制の規範」というのは、責任ある政治家(大臣等)の命令には、部下の官僚は従わなくてはならない、というものです。当たり前に見えますが、かつての「官僚内閣制」の時代には、大臣の意向より、族議員の意向を重視する官僚など珍しくありませんでした。しかし、近年の公務員制度改革の結果、官邸が幹部公務員の人事権を握り、「統制の規範」は厳しくなったといえるでしょう。それ自体は悪いことではありません。

しかし、問題になるのは第二の「分離の規範」です。政党政治は党派対立になりやすく、政策実施の場面では政治的中立性を要求される官僚と政治家の間には適切な分離(あるいは相互独立)が求められます。稲田防衛大臣が都議選の応援演説で「防衛省・自衛隊としてお願いします」みたいなことを言ったのは、この「分離の規範」に反する大問題です。

政策の方針については政治主導でもいいのですが、政策の実施の現場では政治的中立性が求められます。安倍首相が「獣医が不足しているから獣医学部を新設すべき」という方針を打ち出すのは問題ないかもしれませんが、その実施にあたって官僚に対して「お友だちの加計学園の獣医学部新設を許可せよ」と指示したら問題です。また、官僚が忖度して「安倍総理のお友だちだから特別扱いしないと人事で左遷されるかも」と危惧して、政策の実施の場面で意思決定がゆがめられるとすれば、それも「忖度政治」の弊害です。

政策の企画立案の場面では「統制の規範」により、政治家の指示があっても当然のことです。しかし、政策の実施の場面では、「分離の規範」がより重要になります。もっと具体的にいえば、公共事業の発注や個別規制の緩和などの政策の実施の場面に政治家が介入するのは問題です。いわゆる「口利き」となり、行政をゆがめ、行政の効率性を落とします。森友学園や加計学園問題では、こういった「分離の規範」に反して、政治家が政策の実施の場面に介入して、お友だちに利益を誘導している点が批判されているのです。

第三の「協働の規範」は、政治家と官僚の望ましい関係という点で重要です。政策の企画立案に関しては、専門能力を持ち、雇用保障された官僚がどのように関わるかが重要です。他方、政治家がなすべき決断や指示の仕方も、民主的で公正なルールに従ったものでなくてはいけません。官僚が政治家のように政治的調整の表舞台に立つことも問題です(かつてはよくありました)。同時に政治家が官僚の領分である公共事業の個所付けなどに関与するのも問題です。政治家と官僚がそれぞれの役割をきちんとわきまえる必要があり、政治家にも官僚にも自己規律が求められます。

橋本行革、小泉政権の官邸主導モデル、安倍政権のさらに官邸主導強化モデルと、官邸(内閣官房)や内閣府の主導権は強まりました。その結果、自民党の族議員が個別に行政に口利き的に介入する弊害は以前よりも減ったと思います。

しかし、重要事項は何でも官邸で決めるという、中央集権的な意志決定システムが安倍政権では完成の域に近づいており、その弊害も考えなくてはいけません。かつての「官僚内閣制」はなくなり、各省庁の官僚の力が弱まり「官邸主導」が強化されました。しかし、それが良い結果につながっているかどうかを見極めていかなくてはいけません。

意思決定は分権的な方が機動的だし、現場の知見や地域のニーズに密着した行政ができるでしょう。地方分権が必要な時代に、官邸にあらゆる権限を集めて中央集権的な意志決定システムを強化し過ぎるのも非効率です。官邸に権限が集中し過ぎ、官僚が官邸の方ばかりを見て仕事をする点も「忖度政治」の弊害のひとつです。たかだか一大学の一学部の新設に総理官邸がからむのは、異様な光景です。

かつての「決められない政治」という言葉は、最近聞かなくなりました。いまは「決めすぎる政治」の弊害の方が目立っています。共謀罪、安保法制と、決めない方がいいことまで決めています。都議選までは、安倍一強のもとでどんな法案でも通るという状況が続き、憲法改正まで一気に行きそうな勢いでした。少数意見への配慮や十分な議論のない国会が続き、「決めすぎる政治」を抑制する方法を考えなくてはいけない時代になっているのかもしれません。

蛇足ですが、「三権分立」といいますが、日本では立法府と行政府が融合しているため、アメリカのような大統領制の国に比べ、立法府(議会)による行政府の監視は弱くなります。政権党(与党)が議会の過半数を握っている以上、与党が行政府の監視をさせないようにする傾向が強いです。さらに最高裁判所裁判官も行政府(内閣)が指名するので、司法の側でも行政府に遠慮しがちです。そもそも裁判所だって財務省に定員や庁費を予算要求する立場にあり、行政府には遠慮しがちです。

したがって、日本の「三権分立」はかなり弱い分立であり、行政府の権力をけん制するのはむずかしいのが実情です。安倍一強をなかなか止められないのは、日本の三権分立のあり方も影響しているといえるでしょう。アメリカではトランプ大統領が司法や議会から強くけん制されていますが、日本で同じことは起きにくいと思います。

では、民進党が政権の座に就いたらどうすればいいでしょうか。民主党政権時代の政官関係はあまりほめられたものではありませんでした。当時の民主党政権の問題は、「政治主導」というよりも、「政治家主導」を目指していた点でした。「政治主導」と「政治家主導」のちがいは実のところ大きいです。

政治家と官僚は、「協働の規範」に基づいて、適切な役割分担をしなくてはいけません。官僚を悪者扱いするばかりではいけません。民主党政権時代は「政務三役」といって、大臣、副大臣、大臣政務官という政治家だけであらゆる意思決定をし、政策の実施の細部まで政治家が関わろうとして失敗しました。

先ほど述べたように「政策の企画立案」では、政治家が方向性を示し、細部の制度設計は官僚や専門家の知恵を借りながら行う必要があります。そして「政策の実施」の場面では、政治家は細かいところまで指示せず、専門性の高い官僚に任せるべきだったと思います。民主党政権の大臣にはいろんな人がいましたが、きちんと官僚と折り合いをつけて実務をこなしている大臣もいる一方、官僚を敵視してその結果として官僚のサボタージュにあって仕事にならなかった大臣もいました。

将来、民進党政権ができたら、政治家は「政策の企画立案」で方向性を示してリーダーシップを発揮し、官僚は「政策の実施」で政治的中立性を守りつつ専門性をいかして仕事をする、という役割分担を重視すべきです。政治家が公共事業の個所付けや補助金、規制緩和などの「政策の実施」の細部に介入するのには歯止めをかけなくてはいけません。

当該省庁の大臣や副大臣、大臣政務官が、ある程度は「政策の実施」を管理監督するのは当然ですが、その他の政治家(政府のポストに就いていない与野党の政治家)が行政の現場の判断に介入するのは最小限にしなくてはいけません。もちろん政治家が議会の委員会で行政に関して質疑をするのは当然ですが、それ以外の密室的な場所に官僚を呼びつけて行政に介入するのはやめた方がよいと思います。

公務員制度改革の議論でも、イギリスの議員と官僚の関係を見ならって「政官接触制限」というルールを定めることが提案されていました。国会議員と官僚の接触をオープンな場所だけにとどめ、族議員による行政細部への介入をやめさせようという意見がありました。最終的には「政官接触制限」は実現しませんでしたが、その方向性は正しかったと思います。

大臣や副大臣のように行政府のポストについている責任ある立場の政治家は、行政官に指示してもかまいません。しかし、責任ある立場についていない政治家(行政府に入っていない族議員など)が、官僚に指示したり、行政の細部に口出しするのは問題です。

幹部公務員の人事権を握って、強権的なやり方で霞が関の高級官僚に言うことを聞かせるやり方も改めた方がよいと思います。イギリスの官僚制度のように自律していて専門性が高く、かつ、党派的に中立な官僚像が望ましいと思います。アメリカのように猟官制の下でほとんどの幹部公務員が政治任用というのは、日本ではまねできません。

イギリス型の公務員制度の方が日本に適していると思います。イギリスのように幹部公務員の人事権を完全に官僚機構に委ねる必要はありませんが、それでも人事権を使った専制政治は長期的に見れば悪影響の方が大きいと思います。総理官邸があらゆる幹部人事を事細かに決めるのはどうかと思います。よほどのことがない限りは、高級官僚の人事権は各省の大臣と大臣官房が決めるので十分だと思います。

そして「忖度政治」におちいらないように、いつ情報公開されても困らないように決められた手順を重視し、党派的な判断で行政をゆがめない仕組みをつくらなくてはいけません。それはそんなにむずかしいことではありません。公文書の管理や情報公開などをきちんとするには、法改正すら必要なく、政省令や通達でも対応できるでしょう。要はやる気の問題です。

「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」といいます。最高権力者である首相は、権力の行使に抑制的でなければならないと思います。権力の座にいる政治家は、権力の行使にあたって強い自制心を持たなくてはいけません。キレやすく自制心の弱い安倍総理は、早く総理大臣を辞めた方が日本のためだと思います。

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』子どもと教育安倍政権6年半をふり返る(6):道徳教育は国の仕事か?

2019年07月19日 14時42分33秒 | 国際・政治

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安倍政権6年半をふり返る(6):道徳教育は国の仕事か?

2019年 07月10日

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安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第6弾です。安倍政権は「教育再生」を訴え、道徳教育の教科を推進してきました。森友・加計学園問題等を見ても道徳的にどうかと思う政治家や官僚がはびこるなかで、自民党の政治家が道徳教育の強化を訴えるのはブラックジョーク以外の何ものでもありません。2017年3月22日付ブログの再掲です(一部追記)。

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道徳教育は国の仕事か?

政治家のなかには道徳教育が好きな人が大勢います。しかし、道徳教育を説いておきながら、不道徳なことをやる人もいます(名前は言えませんが、国会議員のなかでも具体的な顔はすぐ浮かびます)。森友学園のあの方もその典型でしょう。道徳教育の強化を主張する人にうさん臭さを感じるのは、私だけではないと思います。

そもそも「道徳教育は国家(行政)がやるべきことか?」という基本的な問いについて、私の考えを申し上げます。

安倍総理やその周辺には、道徳教育好きの右派が多く、道徳教育重視の「教育再生」を推進してきました。そもそも「教育再生」という言葉自体が、私には理解できません。「再生」と言うくらいですから、過去のある一時点で優れた教育が存在し、その教育が劣化したので「再生」しなくてはいけない、という発想なのでしょう。たとえば、「河川が生活排水で汚れたので、河川環境を再生しなくてはいけない」というのと同じ感覚だと思われます。

安倍総理やその周辺にとって美化すべき「過去の一時点」というのは、戦後ではないと思われます。戦後民主主義を批判し、「戦後レジームからの脱却」を叫ぶ安倍総理にとって、「再生」あるいは「回復」すべき過去というのは、戦前のイメージなのでしょう。だからこそ稲田防衛大臣のように教育勅語を肯定する政治家を重用してきたのだと思います。

いわば「教育再生派政治家」は、学校でいじめが問題になれば、「道徳教育を強化しなくてはいけない」と主張します。しかし、「道徳教育を強化すれば、いじめが減少する」という因果関係を証明する研究は、寡聞にして存じません。「道徳教育を行えば子どもの規範意識が高まり、その結果としていじめはなくなるだろう」という希望的観測あるいは思い込みに過ぎません。

かつて大津市の中学校でいじめ自殺が起きました。その中学校は文科省の道徳教育研究事業の実験校でした。道徳教育の実験校でも、いじめ問題は発生し、自殺にまで至っているわけです。皮肉なことに文科省が推進する道徳教育の効果がないことの実証校になってしまいました。もちろんサンプル数が少ないので学問的に正確な結論は出せませんが、「道徳教育をやればいじめがなくなる」という因果関係の証明が難しいことが再確認されました。

教育勅語で育ち、軍人勅諭を暗唱させられた軍隊において、陰湿ないじめや無意味な体罰が行われていたことを考えると、効果的な道徳教育政策は戦前も存在しなかったと思われます。

教育社会学者の研究によれば、戦前の子どもの道徳水準は、今より高水準とはいえません。戦前のエリート層や富裕層は、それなりに躾や教育に厳しかったかもしれませんが、庶民はそうでもなかったようです。

戦前回帰型(復古型)の教育再生は、おそらく道徳水準の向上に役立たないでしょう。教育勅語を幼稚園児に暗唱させることが、子どもたちの将来に良い影響を与えるとも考えにくいです。ましてキレイごとを言っていた園長先生が嘘つきだったとわかれば、人間不信の早期化・低年齢化を招くだけです。

以前に国会で「道徳教育を全国一律カリキュラムでやる国はあるのか」という質問をしたことがあります。それ対して、文科省は「韓国だけがやっている」と回答。「欧州では宗教教育をやっている」とも答えました。つまり韓国と日本を除けば、先進国で道徳教育を教科として国家が実施している例はありません。(*2019年7月10日付記:安倍総理周辺が、韓国の道徳教育の成果をどう見ているのか知りたいものです。)

欧米の先進国の人権感覚では、道徳教育は家庭や地域社会、教会の役割であり、行政機関(文部科学省)の官僚が道徳教育のカリキュラムをつくるという発想がないのだと思います。

英国などでやっているのは、責任ある市民として社会に参加するための「シチズンシップ教育」です。シチズンシップ教育は、体制に従順な国民を育てるのではなく、自分の頭で考えて判断し行動できる市民を育てる教育です。道徳教育よりもシチズンシップ教育を重視するのが、これからの日本の教育がめざすべき方向性だと思います。

そもそも道徳教育とは良心に関わることであり、思想・信条・良心の自由に関わります。国家が道徳(良心)を統制(あるいは強制)することに対し、警戒感を持つ民主主義国が大半だと思います。国家が国民に道徳を強制して恥じるところがないのは、北朝鮮のような全体主義国家です。道徳を強制することの怖さに対する恐れがないのが、森友学園の理事長のような復古的国家主義者の怖さです。

また「教育再生派政治家」の多くは、「少年の凶悪犯罪が増えている」と主張し、道徳教育や教育改革を訴えるパターンが多いです。下村博文元文科大臣も大臣在職中に「青少年による凶悪犯罪の増加などの問題に直面をしております」と発言し、教育再生の必要性を訴えていました。しかし、実際のところ少年の凶悪犯罪は増えるどころか、長期的には減少傾向です。警察庁によれば、凶悪犯少年の検挙人数の推移は、以下の通りです。

        凶悪犯    殺人

昭和33年  7,495  359

昭和47年  2,848  147

平成 3年  1,152   76

平成24年    836   46

*凶悪犯=殺人、強盗、放火、強姦

*少年=14歳以上20歳未満

少年の凶悪犯罪は減っています。特に少年の殺人事件は激減しています。少子化(少年の人数の減少)の影響を考えてもやはり減っています。いつの時代も「最近の若者はなっていない」とおじさんたちは嘆くものです。「最近の若者はなってない」と言われ始めてからおそらく3千年くらいたつことでしょう。

いつの時代も必ず道徳退廃論者は「最近の若者はなってない」と嘆きます。江戸時代の儒者も徳富蘇峰も和辻哲郎も道徳の退廃を嘆いています。しかし、江戸時代や明治大正の時代より、現在の方が道徳水準が低いとは思いません。昔に比べれば、人種差別や性差別は激減し、人権は尊重されるようになっていると思います。

過去を美化し、過去の道徳水準を取り戻そうとする人たちは、「日本を取り戻す」つもりで意気込んでいるのでしょうが、データを見る限りピント外れです。安倍総理こそ「post-truth政治の先駆者」かもしれません。道徳教育の教科化や強化よりも、英国型のシチズンシップ教育の視点を取り入れた教育を強化したいものです。それが健全な市民社会をつくることにつながります。

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』暮らしと経済軽減税率は政治家の責任放棄:小峰隆夫「平成の経済」より

2019年07月19日 14時35分12秒 | 国際・政治

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軽減税率は政治家の責任放棄:小峰隆夫「平成の経済」より

2019年 07月08日

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旧経済企画庁のはえ抜きのいわゆる「官庁エコノミスト」の小峰隆夫氏(現大正大学教授)の新著「平成の経済」(日本経済新聞出版社)は、かたい本ですが、読むに値する良書です。以前にも小峰氏の本を何冊か読みましたが、正統派の官庁エコノミストなので、偏った感じはありません。主流派経済学者の考えに近いと思います。

小峰氏は、決して「アンチ安倍政権」ではなく、淡々と「平成」の30年の経済政策をふり返り、その中でアベノミクスにも言及します。まず軽減税率のついての記述がおもしろいので引用させていただきます。

軽減税率の導入にはほぼ全ての経済学者が反対している。その最大の理由は「公平性のための政策としては非効率だ」ということである。(中略)確かに低所得者層を補助してはいるのだが、それは高所得者層により大きな補助を行った上で低所得者層を補助しているのだ。いかに非効率的な分配政策であるかが分かる。

更に、どこまでを軽減税率の適用対象にするかという線引きが難しいこと、「軽減税率の対象にしてほしい」というレント・シーキング的な活動が生まれやすくなること、そして、肝心の税収がその分減ってしまうから、財政再建や社会保障制度の安定化への歩みが疎外されてしまうことも経済学者がこれに反対する理由である。普通、経済学者の意見は一致しないのが普通だから、これほど意見が一致するのは珍しいことだ。

ということは、この軽減税率の導入は、専門家が一致して反対している政策を実行しようとしているということになる。「この辺は景色がいいから、一見すると住宅地に適しているように見えますが、地盤が弱いので建てるのは止めたほうがいいですよ」と専門家が忠告しているのに家を建ててしまうようなものだ。

このことは日本の政治が劣化していることを示しているのかもしれない。国民から政策運営の負託を受けた政治家は、単に世論に迎合するのではなく、時には世論を説得して、長期的な道を誤らないようにする責務がある。軽減税率の採用は、政治家がその責任を放棄したように私には見える。(同書283, 284ページ)

まったく同感です。大学生の頃に経済学の授業で「経済学者が10人いたら、11の答えが出てくる」という例え話を聞いた記憶があります。経済学者はなかなか意見が一致しません。アベノミクスの評価では意見が一致しませんが、軽減税率については経済学者で賛成している人は皆無です。

軽減税率は明らかに誤った政策であり、欧州諸国では軽減税率の導入は失敗だったと総括されています(失敗だったけれど撤廃できない厄介なシロモノです)。それでも新聞社が軽減税率に賛成なので、世論とマスコミにおもねって導入しようとしているのが安倍政権です。まさに「政治家がその責務を放棄した」ということだと思います。

さらに小峰氏はアベノミクスの特徴を3つ挙げていますが、これも納得できます。わかりやすいので、箇条書きでご紹介します。

1.視野が短期的

アベノミクス3本の矢のうち、第1の矢の金融緩和、第2の矢の財政出動は、短期的な需要創出を目指したもの。また、消費税の引き上げを2度にわたって延期したのも、今年予定されている消費税引き上げ時の景気落ち込み防止策も、短期的な景気を重視したもの。異次元の金融緩和も2年で2%の物価上昇を目指す短期決戦型の政策だった(実際には6年半たっても未達だが)。

2.国家管理的

国の意志が経済を先導するという姿勢が強い。春闘の賃上げ、3年の育児休業取得等を総理自ら企業に求める姿勢は異例。「新ターゲティング・ポリシー」や国家戦略特区等も国の介入の度合いが強い。国が企業や市場よりも、あるべき企業の姿や将来のリーディング産業を的確に判断できるという前提に基づいており、「パターナリスティック(家父長的)」あるいは「国家管理的」である。市場や企業の判断よりも、官僚の判断が正しいという前提に立っているともいえる。

3.コスト先送り

異次元の金融緩和は、出口で大きなコストを生じさせる可能性が高い。しかし、出口が議論されることはなく、問題が先送りされるだけ。財政出動(公共事業)は、財政赤字の拡大を通じて将来世代のコストとなる。

以上の3つの特徴は、今のところ顕在化していないだけであり、近い将来に経済危機等のかたちで表に出てくると私は思います。アベノミクス後に備えた「ポストアベノミクスの経済復興策」の検討を始めるべきだと思います。

*参考文献:小峰隆夫、2019年『平成の経済』日本経済新聞出版社

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ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』暮らしと経済安倍政権6年半をふり返る(4):有効求人倍率上昇は安倍総理のおかげか?

2019年07月19日 14時30分55秒 | 国際・政治

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安倍政権6年半をふり返る(4):有効求人倍率上昇は安倍総理のおかげか?

2019年 07月07日

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安倍政権6年半をふり返るシリーズ第4弾です。多くの若者が誤解していますが、失業率が下がり、有効求人倍率が上昇しているのは、アベノミクスのおかげではなく、人口動態の変化の結果です。民主党政権時から有効求人倍率は上昇を始めており、どの政権であっても上昇していたことは明らかです。

むしろ問題は「企業の人手不足問題にどう対処するか」であり、安倍政権は安易な外国人労働者受け入れ政策で対処しようとしています。この判断は誤りです。働き方改革で女性や高齢者が働きやすい環境を整備し、最低賃金を上げて労働参加のインセンティブをあげることが必要ですが、その点は安倍政権は不十分です。

以下は2016年5月8日付ブログの再掲です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

有効求人倍率の上昇はアベノミクスのおかげか?

安倍総理と自民党政権は、有効求人倍率の上昇をよく自慢しています。ほんとうにアベノミクスの成果だと言えるのでしょうか?

2つの統計からアベノミクスの成果とは言いがたいことをご説明します。2つの統計は厚生労働省と総務省のホームページですぐ手に入ります。

(年平均)有効求人倍率 新規求人倍率 政権

2009年  0.47  0.79  主に自公

2010年  0.52  0.89  民主

2011年  0.65  1.05  民主

2012年  0.80  1.28  主に民主

2013年  0.93  1.46  自公

2014年  1.09  1.66  自公

2015年  1.20  1.80  自公

*参照:厚生労働省HP
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000122520.html
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001152255

2009年9月に民主党政権が誕生したので、2009年は主に自公政権でした。2008年のリーマンショックを背景として、2009年4月に有効求人倍率と新規求人倍率が底を打ちました。

その後は有効求人倍率と新規求人倍率が上昇を続けています。ご覧のとおり民主党政権のもとでも有効求人倍率と新規求人倍率は上昇し、安倍政権になってからもそのトレンドが継続しています。

必ずしも民主党政権の手柄ではないかもしれませんが、有効求人倍率と新規求人倍率の上昇は民主党政権のころ始まっています。安倍政権ではなくて、別の誰かの政権であっても、そのトレンドは継続していた可能性が高いといえます。

しかし、雇用の動向を左右するのは、景気だけではありません。経済政策とは別の次元の話しとして、人口動態も雇用に大きな影響を与えます。

ところで、皆さんの同級生は何人いますか?
日本に同じ年齢の人が何人いるか、ご存じでしょうか?

あまり知られていない「年齢各歳別人口」という統計があります。
*参照:総務省統計局HP http://www.stat.go.jp/data/nihon/02.htm

たとえば、私(1973年生まれ、団塊ジュニア世代)の同年齢人口は202万人です。団塊ジュニア世代で18歳人口がピークだった年です。高校時代も私の学年だけ1クラス多かったように記憶しています。そのおかげで大学受験が、戦後いちばん大変だった学年です。「ロスト・ジェネレーション」とも呼ばれる世代です。

団塊世代のピークの同年齢人口が220万人です。いま1~2歳の赤ちゃんの同年齢人口は、102万人ほどです。少子化が進んでおり、団塊世代の孫の世代になると、1学年の人口は半分以下になっています。

引退して労働市場から退く65歳前後の同年齢人口が200万前後だとすると、新たに労働市場に参入する同年齢人口(例えば22歳)は120万人程度です。新卒採用される世代の人口よりも、引退する世代の人口がかなり多いです。退職者の補充のための新卒採用だけでも、かなりの人数が必要となり、人手不足になって当然です。少子高齢化が進む日本では、新規求人倍率が高めになるのも自然なことです。

景気という要素よりも、人口という要素の方が、労働市場に大きな影響を与えている可能性が高いです。アベノミクスとはほとんど無関係に、当面は有効求人倍率や新規求人倍率が高めに推移することになるでしょう。

結論:

1.有効求人倍率の上昇は、民主党政権のころ始まり、そのトレンドが安倍政権でも継続しているに過ぎない。

2.退職する世代の同学年人口が200万人、新卒の同学年人口が120万人とすれば、新規求人倍率が高くなるのは当然である。

3.安倍政権の経済政策とは無関係に、人口動態の変化を背景として新規求人倍率は高めに推移している。つまり現在の有効求人倍率が高いのは、アベノミクスの成果とはいえない。人口動態という、アベノミクス以外の要素が大きい。

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