教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

安倍晋三首相は「9月にウラジオストクで再度の首脳会談」の成果によって衆院解散・総選挙に打って出る

2016年06月04日 22時31分07秒 | 国際・政治

板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
~ニュースにブログ~
安倍晋三首相は「9月にウラジオストクで再度の首脳会談」の成果によって衆院解散・総選挙に打って出る
2016年06月04日 07時04分13秒 | 政治
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」

安倍晋三首相は「9月にウラジオストクで再度の首脳会談」の成果によって衆院解散・総選挙に打って出る

◆〔特別情報1〕
 安倍晋三首相は、「7月10日の衆参同日=ダブル選挙」を断念して、参院議員選挙(6月22日公示・7月10日投開票)を単独で行う。これは、公明党が「同日=ダブル選挙」を嫌っていることに配慮し、併せて自民・公明連立与党合わせて「衆院で3分の2=317を9上回る326」の勢力を減らしたくないと慎重に判断したのが、最大の理由だ。だが、参院議員選挙に勝利すれば、9月~2017年1月のどこかで衆院解散・総選挙を断行するスケジュールを立てているという話だ。安倍晋三首相は5月6日、ロシア南部の保養地ソチでプーチン大統領と首脳会談した際、「9月にウラジオストクで再度の首脳会談する」と合意していることから、この成果によって国民支持率が上昇すれば、直ちに衆院解散・総選挙に打って出る腹積もりで、プーチン大統領も楽しみにしているという。これは、安倍晋三首相の長期政権を支持している自民党幹部筋からの情報である。
第54回 板垣英憲「情報局」勉強会のご案内
平成28年6月12日 (日)
「参議院議員選挙結果と安倍晋三政権の命運」
~「自公」VS「野党連合」激突
第12回 世界戦争史に学ぶ「現代兵学研究会」
日時2016年6月26日(日)16時30分~20時30分
「武田信玄と真田3代の調略と謀略」
~孫子の兵法と兵法36計、そして三国志から読む
《日本人シュメール起源説》「天孫人種六千年史の研究」(愛媛県大三島神社
神官・三島淳雄著)~第8回 日本の神社名をシュメール語で読み解く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天木直人の公式ブログ「いまや日米はこころで結ばれた」と語った安倍首相

2016年06月04日 21時53分56秒 | 国際・政治

4Jun
2016
「いまや日米はこころで結ばれた」と語った安倍首相
いつから日米同盟は「心で結ばれた」関係になってしまったのか。
 まるで恋愛感情にある男女関係のごとくだ。
 二国間の軍事同盟関係を、安倍首相はここまで情緒的に語ったというのだ。
 これでは「日米同盟 命」と言っているようなものだ。
 それを教えてくれたのがきょう6月4日の毎日新聞だ。
 一段の小さな記事で書いていたのを見つけた。
 そこには、安倍首相は6月3日、東京都内のホテルで開かれた日米の安全保障の有識者会合で、日米はいまや心の紐帯で結ばれた同盟国となった、とあいさつした、と書かれている。
 こんなあいさつを日本の首相がするような「日米の安全保障の有識者会合」とは一体どんな会合か。
 この毎日新聞の記事ではどこにも書かれていない。
 その他の各紙は、そもそもこんな会合が6月3日に東京都内で開かれていたことすら報じていない。
 そう思っていたら、日経新聞がひとり大きく取り上げていた。
 安倍首相のあいさつの全文まで掲載していた。
 レセプションでは安倍首相のほかに岸田外相やキャロライン・ケネディ大使らが出席した事を報じていた。
 この会合こそ、「富士山会合という名のジャパンハンドラーの集まり」である。
 すなわち日本経済研究センターと国際問題研究所が共催する日米政財界の要人を集めた会合だ。
 日本経済センターは日経新聞のシンクタンクであり国際問題研究所は外務省のシンクタンクである。
 それぞれ、理事長は経済企画庁や外務省の官僚の天下りだ。
 政財界に加え官界も入ったいわゆる「政財官」による会合だ。
 いわば、この国の政策決定者たちの集まりだ。
 その集まりにゲストで呼ばれた安倍首相が、オバマ大統領の広島訪問の意義を訴えて、いまや日米同盟関係はこころで結ばれた関係になった、と言ったのである。
 この国の対米従属関係はここに極まれり、である。
 これが日本の現実なのである。
 この国の左翼や野党政治家や市民団体やSEALsが、いくら安保法廃止を叫んでも、びくともしないはずである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「てんや」店舗数、20年までに1.7倍 消費低迷受け

2016年06月04日 15時14分26秒 | 食・レシピ

07:31


ロイヤルHDの飲食店数の推移
(朝日新聞)
『 外食大手のロイヤルホールディングス(HD)が、国内消費の低迷を受け、低価格路線を強化する。グループでは客単価が安い天丼チェーン「てんや」の国内店舗数を、2020年末までに現在の1・7倍、300店に増やす方針だ。ファミリーレストランは現状を維持する。
 ロイヤルHDの黒須康宏社長(57)が3日、朝日新聞の取材に対して明らかにした。同社の主力はファミレス「ロイヤルホスト」(現在、国内224店舗)で客単価は約1250円。一方、てんや(同174店舗)の客単価は約620円で半分程度となっている。
 黒須社長はロイヤルホストについては、価格は維持していくが「多数出店できる余地はなく、年間1~2店程度になる」とした。一方、てんやについては、規模の拡大を目指すとしたうえで「消費が冷え込む中、高い商品を出しても客離れを招く」と指摘。「20年まで、どうにか(天丼並盛り)500円の価格を据え置きたい」と述べ、主要顧客のシニアや若年層に「お手頃価格」を訴えていく考えだ。
 てんやは、テイクアウト(持ち帰り)が売り上げの3割を占める。家庭で天ぷらを揚げるのは手間がかかるので、総菜代わりに買っていく人が多いと見られる。持ち帰りは、消費税率が10%に引き上げられた時に軽減税率の対象になる。10%への引き上げは再延期になったが、「(増税時は)てんやの強みになるのではないか」とした。(高橋尚之)』
 外食大手のロイヤルホールディングス(HD)は、資本力がありますので、低価格競争にも勝てると思います。
ダイエー創業者中内功氏の『薄利多売』のポリシィーと積極的な店舗拡大方針を取り入れ本格的な景気回復が、いつ実現するか分からない今日の外食産業の置かれている状況の中で、今後も続く消費低迷時代に生き残る経営戦略のようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京で初乗り410円 審査開始へ

2016年06月04日 14時31分36秒 | 社会・経済

タクシー初乗り410円=東京、値下げ審査開始へ―国交省
(時事通信) 11:43
『国土交通省は4日、東京都の23区と武蔵野市、三鷹市の営業区域で、タクシーの初乗り運賃を約1キロ410円程度に引き下げる方向で審査に入ることを明らかにした。これら地域のタクシー会社による申請が総車両台数で7割を超え、審査開始の基準を上回った。来年春をめどに認可する見通し。
現在は2キロ730円。急に雨が降ってきたときなどの「ちょい乗り」利用が増えそうだ。 大手の日本交通(東京)は初乗り料金について1.059キロ410円への引き下げを申請。各社も追随した。2キロ未満なら最大で320円程度安くなり、短距離では気軽に乗れるようになる。』

タクシーの運転手さんに聞けば、今の景気動向が分かると言われて来ましたが。
消費の低迷が、タクシー業界にも利用者減と言う厳しい影響を与えているのではないでしょうか。

タクシーの運転手の生活が、今後苦しくなることも考えられます,
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モハメド・アリさん死去 元ヘビー級王者 差別とも闘う

2016年06月04日 14時06分31秒 | スポーツ
モハメド・アリさん死去 元ヘビー級王者 差別とも闘う
朝日新聞デジタル 6月4日(土)13時33分配信

モハメド・アリさん死去 元ヘビー級王者 差別とも闘う
モハメド・アリさん=サン・テレフォト提供
 プロボクシングの元ヘビー級王者、モハメド・アリさんが3日、74歳で死去した。米NBCなど複数の米メディアが報じた。リングの外でもベトナム戦争への反対や、人種差別、信仰の自由をめぐる言動で注目を集め、20世紀の米社会を代表する人物の1人だった。
 1942年、カシアス・クレイとして米ケンタッキー州ルイビルで生まれ、12歳からボクシングを始めた。60年のローマ五輪で、ライトヘビー級の金メダルを獲得したが、自伝によると、米国へ帰国後に黒人であることを理由にレストランで食事の提供を拒まれ、川に投げ捨てたという。
 プロ転向後の64年にヘビー級王者に挑戦。前評判では不利とされたが、「チョウのように舞い、ハチのように刺す」という言葉通りにソニー・リストンを破り、世界王者となった。同じころ、黒人指導者のマルコムXらの影響を受けてイスラム教に改宗し、名前をモハメド・アリに改めた。
 プロとして無敗のままだった67年、信仰とベトナム戦争への反対を理由に米軍への入隊を拒否。ボクシングライセンスを剥奪(はくだつ)され、王座も失ったが、「私とベトコンの間に争いはない」との言葉が有名となるなど、世論に影響を与えた。
70年にライセンスを再び取得してリングに復帰。74年に、当時無敗の世界王者だったジョージ・フォアマンに勝利し、7年ぶりに王者に返り咲いた。78年にレオン・スピンクスに敗れたが、同年の再対決で勝ち、3度目の王者となった。
 81年の引退後は人道的活動に力を入れ、国連の「平和大使」にも指名されたが、パーキンソン病を発症し、次第に活動が難しくなった。96年のアトランタ五輪では、病気の影響で手が震えながらも、聖火点灯の大役を果たした。近年は体調が優れず、入院を繰り返していた。(ダラス=中井大助)

プロボクシングの元ヘビー級王者、モハメド・アリさん、アメリカを代表する社会活動家で、人道活動で世界に貢献されました。
最期まで、強い意思で病気と闘われたと思います。


☆モハメド・アリの名言
不可能とは、自らの力で

世界を切り開くことを放棄した

臆病者の言葉だ。

不可能とは、

現状に甘んじるための言い訳にすぎない。

不可能とは、

事実ですらなく、単なる先入観だ。

不可能とは、

誰かに決めつけられることではない。

不可能とは、可能性だ。

不可能とは、通過点だ。

不可能なんて、

ありえない。

Muhammad Ali
モハメド・アリ(1942年~2016年)
米国の元プロボクサー。世界ヘビー級王座を3度奪取。人種差別と戦い、ベトナム戦争の徴兵拒否など社会的にも注目を集める。


【 概略 】 
1942年、ケンタッキー州ルイビルに生まれる。旧名は、カシアス・クレイ。12歳のときに、父親から誕生日にもらった自転車が盗まれる。「自転車ドロボウが見つかったらタダじゃおかない。きっとぶちのめしてやる」と泣き叫ぶクレイに、ボクシングジムのトレーナーもしていた警官がボクシングを勧める。

ボクシングジムに入門後、8週間でアマチュアボクサーとしてデビュー。初戦を勝利する。その後、ケンタッキー州の大会で6度優勝。1959年から2年連続で、全米大会で優勝を果たし、ローマ五輪のライト・ヘビー級代表の座を射止める。

1960年のローマ五輪で金メダルを獲得。しかし、帰郷したケンタッキーで人種差別を受け、悔しさから金メダルを川に投げ捨てた。クレイは、12歳~18歳までアマチュアボクサーとして活躍するなか、中学校を卒業し、高校に進学している。

1960年にプロデビュー。当時、アフリカ系アメリカ人(黒人)が公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った公民権運動が盛り上がりを見せており、クレイもマルコムXらが所属するネーション・オブ・イスラム(黒人のイスラム運動組織。イスラム教から派生した新宗教)に入信。リングネームをモハメド・アリに改める。なお、1975年にイスラム教スンナ派に改宗している。

1964年、世界ヘビー級王座を獲得。試合後、本名をモハメド・アリへと改名。1960年にベトナム戦争が勃発。1967年、アリの良心的兵役拒否(宗教の信条や政治的、哲学的な背景に基づく兵役拒否)により、最初の裁判で禁固5年と罰金1万ドルを科せられ、ヘビー級王座とボクサーライセンスも剥奪される。アリは、その後も信念を曲げずに戦い続け、4年後の1971年に最高裁判所で無罪を勝ち取る。

リングに復帰したアリは、1971年に世界ヘビー級王座に挑戦するも敗北。1974年にジョージ・フォアマンに勝利し、王座に返り咲いた。1976年には、来日してアントニオ猪木と格闘技世界一決定戦を特別ルールで戦い、引き分けとなっている。

1981年に引退。その後、パーキンソン病にかかり、長い闘病生活に入る。公の場に出る機会は減るも社会に対してメッセージを発し続ける。2005年、米国ホワイトハウスにて文民に送られる最高の勲章である大統領自由勲章を授与され、また同年、生涯をかけた米国での公民権運動が評価され、ドイツのオットー・ハーン平和賞を受賞した。

2016年6月3日、米国アリゾナ州の病院にて74歳で永眠。』

出典Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする