『奈良県平群(へぐり)町の信貴山(しぎさん)成福院(じょうふくいん)と和歌山県みなべ町の梅農園が今秋、「必勝梅干し」を通信販売する。寅(とら)年に合わせた企画で「信貴山 三寅(さんとら)の福梅(ふくうめ)」と名付けた。 寅年の寅の日、寅の刻(午前4時前後)に聖徳太子が反仏教派に勝つ秘法を信貴山で授かったという伝承にちなんだ。寅の日の10月19日、寅の刻に祈祷(きとう)して発送する。 500グラム入り3675円(税込み)。注文は東(あづま)農園(0120・12・5310)へ。激しい首位争い中の阪神タイガースhanshintigers.jp)には一足早く祈祷を済ませて贈ったという。 』2010年9月22日9時58分アサヒコム
三寅(さんとら)の福梅(ふくうめ)の言われ、寅年の寅の日、寅の刻(午前4時前後)に聖徳太子が反仏教派に勝つ秘法を信貴山で授かったという伝承にちなんだものですが。今年は庚寅年で、東洋運命学では旧暦で判断し2011年の2月4日の節分13時33分までは庚寅年になります。毘沙門天様の必勝の秘法で祈祷された「信貴山 三寅(さんとら)の福梅(ふくうめ)」を食べて夏の疲れを取り、怪我をしないように難を取り除いてもらい、寅年の今年こそ阪神タイガースは優勝を達成し、寅の日の10月19日に阪神タイガースのナインが、全員揃って信貴山にお礼の優勝報告して下さい。浪速の阪神タイガースの一ファンとして念願しています。
信貴山 朝護孫子寺 公式ホームページ 【信貴山真言宗 総本山】
ご祈祷、ご納経、宿坊、ご参拝に。奈良県生駒郡、毘沙門天王の総本山、信貴山 朝護孫子寺へ。
ご祈祷、ご納経、宿坊、ご参拝に。奈良県生駒郡、毘沙門天王の総本山、信貴山 朝護孫子寺へ。
<map id="Map" name="Map"><area alt="寅年記念大法会" href="gyoji_h22toradoshi.html" /></map>
平成22年は12年に一度の寅年です
平成22年 「寅歳」記念大法会のページをご覧ください。1月1日~17日、2月1日~16日、7月1日~15日には、12年に一度の毘沙門天王の奥秘仏ご開帳がございます。
2010年8月21日ホームページ一部更新
「年中行事」に施餓鬼供養の写真を掲載しました。
2010年7月31日ホームページ一部更新
「年中行事」に猪上神社例祭の写真を掲載しました。
2010年7月22日ホームページ一部更新
「年中行事」に毘沙門天王御出現大祭の写真を掲載しました。
2010年5月24日ホームページ一部更新
「年中行事」に開山堂大祭の写真を掲載しました。
2010年5月5日ホームページ一部更新
「平成22年 スペシャルフォト」に大和七福八宝出開帳、へぐり時代祭り、信貴山真華流60周年記念花展、二十八使者稚児練供大法要の一部を、平成22年「寅年」記念大法会に空鉢護法大祭と毘沙門天王 二十八使者稚児練供大法要、「年中行事」に空鉢護法大祭の写真を掲載しました。
2010年4月9日ホームページ一部更新
「年中行事」に桜まつり、花祭り(灌仏会)の写真を掲載しました。
近鉄「信貴山寅年『福招き』きっぷ」
http://www.kintetsu.co.jp/senden/Railway/Ticket/shigi_fukumaneki/index.html
記念品など特典つきです。平成22年12月30日まで。
大寅がタイムカプセルに
2010年の寅年に合わせ、大寅がタイムカプセル(メッセージポスト)になります。信貴山のマスコットキャラクター「しぎとらくん」の封筒&便せんで投函すると、12年後の寅年に開封されます。平成22年1月1日から7月3日まで。
信貴山
今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。
朝護孫子寺
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。
敏達天皇 | 西暦582 | 寅年寅の日寅の刻、聖徳太子この山で毘沙門天王を感得される。 |
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用明天皇 | 西暦587 | 7月3日聖徳太子、御本尊の御加護により佛敵守屋を討伐し、御自ら毘沙門天王像を刻み、この山の守護本尊として祀られる。 |
醍醐天皇 | 西暦910 | 当山中興開山命蓮上人毘沙門堂の伽藍堂塔を建立善美をつくす。 醍醐天皇御重病のとき、当山毘沙門天王の御加護により御全快され、朝護孫子寺の勅号をたまわり、以来信貴山朝護孫子寺と称す。 |
近衛天皇 | 西暦1150 | 現在の国宝信貴山縁起絵巻(三巻)この頃完成。 |
後醍醐天皇 | 西暦1333 | 大塔宮護良親王当山に在陣勤王の士を集めらる楠木正成この山に信仰あり。 |
後奈良天皇 | 西暦1532 | この頃、筒井順昭、武田信玄等、当山に信仰あり。 |
正親町天皇 | 西暦1577 | 松永久秀この山に信貴山城を築く。 |
後陽成天皇 | 西暦1610 | 織田信長の攻略に遭い、一山堂塔信貴山城すべて灰燼に帰す。 |
昭和時代 | 昭和26年 | 漏電のため本堂炎上、昭和33年本堂を再建し、落慶法要をいとなみ現在に至る。 |
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