全調査の内、標高110mー標高600mの区間、常願寺川沿いの西側にある尾根筋の約10㌔「牧の峠ー水須間」が天気に恵まれて調査される。
今回は水須から入り、牧の峠迄専門家と共に実施する
今回の水須ー牧の峠間を調査する。
牧の集落に車を置き、水須まで風邪気味の体で知人が送ってくれる。全員感謝し、右側のり斜面を登ると水平な道跡が続く。
専門家の皆さんによる調査。
「うれ往来・鎌倉街道」沿いにある「薬師如来」石仏。
「薬師如来」の横には2m幅の水平動が続く。この付近には畑、水田跡も・・
向野山峠手前の祠? 石積がの残っている。
向山野の峠には浅い堀込が続く。
堀込は笹薮な中へ続く。この先は深い堀込となり倒木も出て来る
。
沢に着くと平坦な所にでる。これより左側の斜面を登る。今までは沢ぞいに
鉄塔巡視路に辿っていたが見落としていた浅い堀込が判り進む。同行された知人に感謝する。
大きい杉の大木が目印となる。
鉄塔巡視路と右側の笹薮が会う場所に出る。後は、鉄塔巡視路と道跡が併用されて歩き易い。
途中にある鉄塔付近への案内看板。平地が続く。
左側に鉄塔がある。真っすぐ進み深い堀込に入る。
深いが見事な薬研堀である
。
熊の糞が道跡に所々見掛ける。縄張りを示しているのが気になる。
尾根筋に続く道跡は、浅い堀込で、左右の見透視が良い。
道跡を造り変えた跡もあり、左右の堀込には道へ土砂が入らない様に石積が
されている。突然、道跡が消えて残された木々の間約30mを歩き牧の峠に着く。この下には隧道がある。
隧道は、牧の集落と穏土集落を結ぶもので周囲の森林整備にと掘られたものであった。子供達も牧の集落学校へ通っていた。
隧道から林道に着く。
漸く、車の所に着く皆さん。
5年掛かりの「うれ往来・鎌倉街道」の区間約10㌔の調査を終えて
安堵する皆さん、ご苦労様でした。
この2枚の絵図が私達に力添えを与えてくれたものであり、地元の人達も伝承だけで道跡を調べる人が居なかった。戦国時代以前からの道跡であり、幾度か
危険地帯で作り替えた形跡が歴然として残っている。造った人々も居ないし、道跡の経緯も伝承されていないが、山の尾根筋に、深く刻まれた道跡は崩れる事もなく、今も、当時の面影を残し、見る人に感動を与えている。 言伝えでは、有峰の人達が上滝へ生活物資を売ったり、買ったりしていたとの伝承が有るのみで、近隣の人々の山仕事での道として利用されているだけだった。
書籍に出てくるのが1840年頃からであり不思議な道跡である。ただ、言えるのは小原村の人が記した「廃村へ辿り滅びた村」著者 高田国家氏がこの道跡を記されているのを思い出す。
ここ迄6年間を共に過ごし、汗を流し、ロマンに託し、導かれる様に少しの時間を割いて戴いた方々に心から感謝します。GPSでの記録として残せた「中滝ー水須」間を今後の後世に伝えたいと思います。
水須~祐延ー有峰間は始まっていますが難関の区間であり若い皆さんに伝承を伝えて託したい。