Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

今月の歌会、短歌・和歌の会

2023年08月13日 17時25分42秒 | 短歌・和歌・作歌、歌会。歌を作る、短歌を味わう。表現する。批評する。俳句鑑賞
 本日、第二日曜日午後13時15分から、おおつきふれあいセンター(郡山市大槻公民館)にて、短歌の会が開かれた。私も参加。

 三、深い感動(感激・感情)による叙情
 四、単純化
  一、主題を一点にしぼる
  二、形容詞をはぶく(必要最低限にする)
  三、修飾語句をはぶく(極力避ける)
  四、説明・理屈にならない(くどくなる)
  五、作者の解釈はいらない
  六、気の利いたような言葉、
    むずかしい言葉は、むずかしい字は、いらない。(むずかしくしない。その言葉でないと表現できない時は使う)

  若き日に友とふたりの気まま旅 函館山に夢を語りき(80歳位の方の作品)

 これに対して、先生から、私に、この一首をどう思い感ずるか、との問いが発せられ、私は、この方の夢はその後に、果たして叶ったのだろうか、と思った、と言った。
 先生は、そこです、と言い、そうやって、その後を想像させる、テクニック、というか、この作品は、八十歳の人が作った、その点でも、良い作品だ、と仰った。

 ダメな短歌は、くどく、短歌には、説明・理屈・解釈は要らない、と先生は仰る。たしかに写生・事実を書いている歌もあるが、感動の発想が出来ていない歌も多いと。

 主題はどこにあるのか?何に感動したのか?主題がハッキリしない短歌は良くはない。どっちに主題があるのか。全体的にインパクトの無い歌じゃダメである。

 「短歌は引き算」

 瓶(びん)に生け蕾(つぼみ)の開く桃の花 きのふは一つ今日は五つに

 短く感じるのは、良い短歌。いい歌は「あ、これだけ?!」という短歌。
 明日はどうなんだろう、明日は七つ位か?明日の希望へとつながる。

 最後の五つ「に」、の助詞「に」作者の感動。助詞の効用、「次は?」この先まで考えさせる。

 母乗せて散歩をしたる車椅子 物置きの隅に置きて十年

 上の句は下の句の説明ではない。必要なことが書いてある。どれがなくなってもダメ。
 先生は私にまた問いかけ、私は、この人の「母」は、十年前に亡くなったのですね、というと、そういう想像が働く。この一首には何も死には触れていなくても、と先生。
 車椅子が主題だが、その大元は「母」。作者は娘さん。福島の人という。娘さんの思い感動、思い出した瞬間・お母さんと散歩に行ったなあ。単純だからこその感動がある。

 短歌の作り方の一つの秘訣。同じテーマで、もう一首作っちゃう、という手がある。

 三句止めの場合、後の句をどちらかを八語にすると下の句のインパクトが高まる。短歌の技術論。

 今は亡き、内海桂子師匠が弟子のお笑い芸人ナイツに言ったことば。「言葉で(お客さんに)絵を描かせる」。

 短歌とは一瞬をとらえる。

 動詞で止めると普通の文章。感動がない。
 助詞止め・体言止め「揺るる」などの連体形止め。余韻を残す。雰囲気を出す。

 「主題は、一つ」
 
 本当に感動したのは何か。何に感動したのか?

 単なる事実の羅列では、散文になってしまう。

 主題を二つも入れると状況の羅列、事実の羅列。

 自分が感じた事を書く。

 余り頭を使わずに、書く。

 斎藤茂吉も、同じ様な作品は一杯ある。最上川のシリーズ(茂吉の好きだった最上川、etc…)。

 自分が詠んだ事の中心に、どれだけ感動が強いかに、読み手の感動が起こる。

 社会的な歌。政府の対策の遅れを歌うのか。
 コロナ、戦争、感染症の対策。

 あくまで、テーマ「希望」明るく。
 読む人に「希望」を与える(先生の場合。一般的にも)

 どうやったら「希望」を持ってもらえるのか。

 迷ったら、自分の「テーマ」を持ってくる。

 とにかく作る事。観察が大事。

 自分の解釈をせず、それを感じさせる。

 全体的では一般のニュースと同じになってしまう。それではダメで、中心を絞る事。

 全体的じゃなく、一つに絞る。

 感動は他人事じゃない。

 「短歌」は自分が感じた事、経験した事だけを詠む。文字にする。

 「短歌」は見方は狭いが、深く掘り下げて、人間自然の真実が見えて来る。

 ただただ、深く掘り下げる。観察してゆくと見えて来る。

 前回の言葉、先生の教えの再度のくりかえし。「最高のものを味わう」(前回、先月の結論)

 私の2023年令和五年八月十二日・土曜日午後二時四十五分頃に出来た一首を、ここに掲載する。

 ハモニカを 吹く我の姿 見て多趣味 女子(じょし)の如しと 言ひし婦人か

 これでは、五・八・五・七・七、だったのが、
 これを先生や、その場の居合わせた皆さんの指摘で、主に先生が主導で、添削をして頂く。

 ハモニカを 吹くわが姿 見し婦人 多趣味の女子の 如しと言ひし

 五・七・五・七・七、と、定型に何とかおさまった。字余り、字足らずの時は、それら初句、二句、三句、四句、結句を、入れ替えたりすることにより、その解消が図られる事共を、先生から教えて頂いた。

 この日は、私は、まだ入り立てと言う事で、それ程、叱られると言うか、先生や生徒さん達からは、注文はそれ程なかったが、女性の私より年上の方は、かなり先生から、厳しいというか、それでも慈愛に満ちた応援、叱咤激励を受けて居られた。

 いやー、中々、これも、人生修業、人生勉強なんですね。あくまでも、修行の一環であり、何もかもが仏道修行であり、その修行が、我々日蓮正宗信徒には、最もメイン、エポックメイキングな、主要行事、正に、その場の一つ一つが、一期一会の修行、の機会なんですね。
以上。よしなに。wainai


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