Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

折伏に方法など無い

2022年02月08日 19時59分26秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 これは、数年前、ある福島県内の日蓮正宗の御僧侶が、御会式だったか、広布推進会でお話された話である。
 ある御僧侶がいて、その方はその時たまたま日蓮宗の僧侶と一緒にいて、あるおばあさんを前にして、布教がてら、話をしていた。
 日蓮宗の僧侶は、それは高度で難しい理論的な日蓮宗の話、宗教の初歩的な話など、色々繰り出して、ながーい事話をしていた。おばあさんは、うなずいて聞いていたが、途中で日蓮正宗の御僧侶が割り込んで来て、「おばあさん、日蓮正宗は、それよりもちょこっと、少し上の位の宗教なんですよ」と言った。
 また、日蓮宗の僧侶が語り出すと、長い話の後、いい頃合いを見て、またまた日蓮正宗の御僧侶が出てきて、「日蓮正宗は、それよりも良い宗教なんです」と言って割り込んで来る。
 しかし、そんな事を繰り返している内に、おばあさんは、最後には、日蓮正宗の御僧侶が何とはなしに真実を語っている、という直感を信じて、あなたを信じます、と日蓮正宗に入信を決めたと言う。
 この御僧侶のような説法も、十分、折伏になっていたのである。
 これを聞いて、折伏とは、正に正攻法、方法などない事が判る。折伏には百人百通り、千人千通りの折伏手法がある。
 ある人は自分の成功体験を語る。ある人は失敗から立ち上がった体験を語る。失敗から立ち直れなくても、その途上にいる自分をありのままに語る。
 病気から生還した体験、ビジネスパーソン、人に恵まれた、周囲の環境的な話、勉強して努力した挙句、成功、失敗を繰り返し、今は幸せな境遇にいる体験、何でもありだろう。自分なりに編み出したものであり、初めから、型などないのである。難しいが、尊い行為だ。
 信心とは折伏なり、の御法主上人猊下様の御説法が身に染みる、二月如月の候である。

 以上。よしなに。wainai


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