Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

私は我がお寺の副講頭さんを高く評価する

2023年08月19日 12時43分23秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 私は、我がお寺、日蓮正宗無量山寿海寺の副講頭、重鎮の、B場さんを、この上なく、高く評価したい。
 B場さんを、悪く言う人もいる。私も何回か聴いた。しかし、そのほとんどが、B場さんの、性格が変わる(直る?!)前の、人生の前半の御話しがほとんどなのだ。
 だから、私なんかが、B場さんの前で、私の素を出して、私と和気藹々(わきあいあい)のおしゃべりを、私とB場さんがやってるのを見て、或る人々は、怪訝な顔をする人たちも、居るには居る。
 しかし、私は、今までに、この副講頭さんを、コワいだとか、高飛車だとか、高慢だとか、思った為しが一度として、ない。とても、いい人なのだ。
 それを、あしざまに言う人を見て、私は、一人、悲しい気持ちになる。
 御自分でも、副講頭B場さんは、こう見えても、私、は、年を重ねて、やっと、自分というか、確かに若い頃は無茶をやったり、傲慢に振舞ったり、乱暴な言動もあったかも知れない。けれども、今は、それらを反省して、性格が丸く、本当に、人間って、年を重ねると、まーるく、なるもんなんだよナイ、と、いつものB場さん節で、自身を表現して見せた。
 私は思う。副講頭B場さんは、年を単に重ねただけで、あんな風な、見事に性格を改造、変身、決して、自身を改めたのではないのだと。
 それは詰まりは「妙法」、「妙法蓮華経」のお陰で、あーも、あんなに立派に、見事な蘇生、生まれ変われたんだと。
 全ては「南無妙法蓮華経」なのである。御題目で、悪しき性格も、一変するのである。
 私はこの間から、人の性格までは代えられない、とてもじゃないが、代える事など出来る筈が無い、などと豪語し、このブログ記事でも、大口叩いて、述べた事も有った。
 しかし、ここに、副講頭・B場さんという、良き実例、変毒為薬の、宿命転換の、良き例が、あるではないか。
 私などは、この、B場さん夫婦、ご夫妻に、なんて可愛がられているんだろう、という位、この御夫婦に、優しく親しくされて、本当に愛されている、のが身に染みて判る。
 B場さんなりに、不器用なんだが、言葉も愉快ないなかっぺの、郡山弁で私に接してくれて、いつも、電話や、お寺での会話でも、大変に楽しくお世話になっている。私は、こんなに好待遇の、素晴らしい柔らかな物腰で接して下さる、御両人御夫婦に、拍手喝さいを送りたい。
 この、この人たちだけじゃない。うちの、日蓮正宗無量山寿海寺の信徒の、僧俗の、一人びとりの方々を、私は裏切れない。裏切らない。決して絶対に。私程の、果報者、御恩を、このお寺から受けた者は、居ないかも知れない。そう思うのは、私だけではないかも知れないが…。それは、御住職様、奥様、講頭さん、今言った副講頭さん、その他、重役の、役職の方々、一般信徒の方々、等々、多数に上る。
 とにかく、私は、この御恩恵を、御本仏宗祖日蓮大聖人様の下種仏法と共に、三大秘法の戒壇の大御本尊様と共に宣揚し続ける義務・責任・御役目がある。
 本日、お寺に行って、本当に良かった、と思い直した一日であった。
 とにかく、御恩返し、だと思う。

以上。よしなに。wainai

私の勤行唱題への妨害活動

2023年08月19日 08時23分58秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 私は、毎朝毎夕、お経、御題目を唱える、勤行唱題行を執り行っている。
 それに対して、最近、ある出来事が起こっている。
 それは、私の勤行唱題の最中、或いは、最後の方で、何日か、二、三日に一度、と言っていい位に、うちの、外の庭にある、物置小屋目掛けて、何者かが、銃、ピストル、鉄砲の類で、うち目掛けて、撃ち込む不審者、ならず者がいる、というもの、事である。
 大体、目星は付いている。その方角からも。
 私のお寺の方々はいう。声が大きいからかな、等々。
 私は、夜は極めて、声を落として、小さな声で、勤行をしている。
 私の家の仏間が、夜、六時、七時になると、電気、灯りが付くので、それを狙い済ました、わざとの、意図的な、宗教、信仰の妨害である。
 昨日も、実は、夕方、夜七時半位に掛けて、私が勤行唱題行を執り行い、その最後の方に差し掛かった時に、私のうちの庭の、又もや、庭の方へ向けて、その、銃の、弾が強くバチンと当たる音がした。
 私は、数日前から、その、縁側というか、仏間の、網戸を隔てたたたきに、草履を置いて、その時に備えていた。
 しかし、こちらは、数珠を外したり、御経本を置き直したりで、戸惑っている内に、一応、外へ出てみるも、その犯人には、遭遇しなかった。
 私は、家に戻り、LEDの強力ライトを隣の部屋から持ち出し、そのあたり、うちの周りの家の様子を伺うも、もぬけの殻であった。
 私は、これ、こんな出来事は、大体、この一か月間、この、十日間か二十日間、位に起こり始めた。だから、当初は、全く、気にはしてはいなかったのだが、余りに意図的に、お経を読んだり、唱題、御題目を唱える度に、それら、銃による妨害が起こるので、次第に、コワくなる、というか、今度こそ、その犯人を取り押さえなければ、という気が起こっている。
 その、銃、ピストル、鉄砲の弾、BB弾のプラスチックの弾を、昨日の晩、庭で拾った。証拠として、取って置いてある。
 その関係で、一応、郡山警察署にも、電話で一報を入れた。すると、優しそうな、婦人警官さんが出て、しばらく、私の訴えを聞いていた。それから、一通り、私の訴えを聞いて、婦警さんは、こういった。
 「今は、市内のホームセンターで、”防犯カメラ”が、一万円位で売っているから、それで、対応、証拠集めするのを奨める」と。
 私も、その晩、色々、アマゾン等々で、防犯カメラというのを、しらみつぶしに、探したが、いいものはいいので、皆、一万円以内で売っている。大体、目星は付けた。
 それを今日の朝、コンビニでアマゾンカードを買い、早速、うちに帰り、防犯カメラをポチッた。
 その、それらの事は、私の懇意にしている、栃木のKさんにも電話で話した。Kさんは、そういう人は、法を求めているから、そういう事をしている。○○さん(私)、今こそ、その一家を、折伏だよ、と言う。
 私は、法を下げるだけだから、反対だ、と言い、若しも、そのヤツラに、反対にこちらが暴力を振るわれたら敵わない、というと、Kさんは、別の観点から、それに対して、それは見事なやられ方なんだから、伝説になる程、素晴らしい,という程の、まるで、私の命の事なんか、度外視した、言いぶりであった。
 その事を、今度は、昨日、うちに来た、訪問看護のベテラン看護師の方に相談すると、余り、暴力はいけない、とにかく、その、Kさん?その、○○さん(私)が、ケガをしたり、暴力活動になってしまうのはいけないし、被害者にもなって欲しくはない、と、看護師として、真っ当な事を言い、ずっと私の心配をして下さった。
 その件が、ずうっと、頭に残っていて、今朝、早朝、とうとう私は、これまた同じ日蓮正宗の信心をしている、湖南町の、B場さんに、助け舟を出してもらいたくて、是非ともご意見が聞きたい、と、電話の一報を入れた。
 すると、B場さんは、これから、朝の朝食なんだが、とは言うが、私が顔が真っ青になっているのは、電話では見えないだろうが、全く深刻になって、電話の門口に来て、出ているのは判ったようで、相談に、結構長く、乗ってくれた。
 B場さんは、最初、○○君が、大きな声でやるから、相手も怒ってんだばい、と言ったが、私の話を聞いて、決して大声では、特に夜は、やってはいない事、と私は言った。
 B場さんは手慣れたもので、以前からも、「法華の行者」は、世間で、一般的に、良く思われた試しはないんだ、いつも、嫌われ、法難に遭うものなんだ、と答え、私も「いわゆる、不軽菩薩の法難と、同じなんですね」というと、そうだ、その通りだ、と仰り、
 B場さん「見てみっせ。そうやって、”法華の行者”に対して、迫害を行なったもの共の末路は、悲惨で地獄堕ちであり、見られたもんじゃない。じっくりと、気を長くして、見守って見てみっせ。どういう結末になるかは、これは仏法上の事だから、信賞必罰、罰は今は日蓮正宗では説かない。けれども、実証としては、必ず、その人に、サビの如くに出て来るから。こちらは、大船に乗った気持ちで、見ていればいい。そう、焦る必要もないんだから」
 との、心強い御言葉をもらえた。
 私は、最近、私自身のこれは、罪障だろうし、責任だが、全く、お寺にも通ってはいなかった。朝夕、お寺は、皆、信徒の皆さんに、お寺を開放していて、皆の参詣を待っているのに、主要行事以外は、私は全くと言っていい程、お寺に通ってはいなかった。その、それがどう結びつくのかは知らない、判らないが、その、私自身の、罪障、御題目不足、がここに来て、出て来ているんだ、露呈したんだ、と思った。
 だから、今日は必ず、お寺に行く!とB場さんにも、後でまた電話で、お寺の御住職様にも、堂々と宣言した。
 すると、御住職様も、そう、お寺に是非来な、と言い、B場さんも、お寺では、誰に気兼ねするでもなく、大声でも、自分の気持ちをぶつけられるから、来てみっせ、と応援され、私は本日から、お寺に、出来るだけ通おうと思っている。これは、私の性根を代えて、しかも、信心で乗り越えて、様々な妨害を、打ち返し、私の信心を盛り返し、法華一仏乗の教えを宣揚するためである。

 とにかく、私は、どんな、宗教妨害活動にも負けない。その妨害した側が、悲惨な最期を遂げるであろう。私はそれを、冷静、冷徹な目で、事の成り行きを、じっと、どれだけ仏の子、仏子をイジメるのがコワい行為であるか、それを、仏法的観点から見守るだけである。良く言われるが、魔は仏様には絶対に勝てない。これから、後に起こる事は、私は一切関知しない。それは全て、仏様がお示しになり、取り計らう事だからである。

以上。よしなに。wainai、長文失礼。