安倍晋三首相の連続在職日数が今日で2799日となり、自身の大叔父の佐藤栄作氏の2798日を超えて憲政史上最長となった。
安倍氏は2006年9月、戦後最年少の52歳の首相として第1次政権を発足させたが、体調不良などから約1年で退陣した。
2012年9月に当時野党だった自民党の総裁選で再び勝利。同年12月の衆院選で民主党から政権を奪還し、その後2度の党総裁選を制した。今回の連続在職記録は、第2次政権以降のものだ。
安倍氏は昨年11月、通算の在職日数についても、明治、大正期に首相を務めた桂太郎の記録(2886日)を抜き、憲政史上最長となっている。
安倍内閣がここまで続いた理由は、1つに野党勢力が衰退したこと。2つに自民党内でこれはという対抗馬がいなかったこと。3つ目に、自ら後継者を作らなかったことなどが上げられる。
また、本来なら森友学園問題が明るみになった際、退陣しなければならない危機があったが、これを官僚の画策などで逃げ切った。
森友問題が国会で取り上げられた際、安倍氏は「この問題に私や妻が少しでも関わっていれば、首相どころか国会議員も辞める」と言い切った。
しかし、官僚が国会答弁でウソを言ったり、公文書が改ざんされたりして疑惑が深まったが、検察も深追いしなかったこともあり結局逃げ切った。
その後も、加計問題、桜を見る会前夜祭問題など、安倍首相が関わったことが指摘されたが、総て、全容が解明されないまま今に持ち越されている。
このように、安倍首相が関わったとされる不祥事で、責任を問われず首相を継続することができたのは、取りも直さず安倍一強と言われた圧倒的な数の力と、少数野党の力量不足の結果と言える。
その点、安倍氏は本当の力で、史上最長の長期政権を築いたとは言えない。また、内閣支持率でも常に「他の内閣より良いと思うから」がトップになっていることからも、消極的な支持によって維持してきた内閣とも言える。
従って、右派勢力は、改正教育基本法、共謀罪法、平和安全法制など安倍首相の成果を上げるが、一般国民にとってこれはという成果を見出すことはできない。
安倍首相は、憲法改正をレガシーにしたいと必死だが、来年9月の残り期間でこれを成し遂げることは難しいと言われている。「関連:2019年9月14日」「2019年11月27日」