正さん日記

世の中思いにつれて

終戦75年、戦争経験者が減り、戦争容認の意識じわじわ

2020-08-15 14:16:15 | 政治

 今日は終戦75年の節目の年を迎えた。東京の日本武道館では政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われた。正午には、全国いっせいに戦没者に対し1分間の黙とうが捧げられた。

 今年の追悼式は、新型コロナウイルス感染防止のため、例年の十分の一に当たる500人の戦没者遺族代表が出席した。

 年を追うごとに高齢化が進み、75年目の今年は、新型コロナの関係だけでなく、高齢により参加したくてもできない人も多いようだ。

 既に国民の83%が戦後生まれになっていて、あの悲惨な戦争を語り継ぐ人は減るばかりだ。

 戦争の語り部は二度と戦争をしないために、できればSNSでの発信や、DVDなどへの収録によって貴重な体験を後世に残して欲しい。

 また、メディアは、終戦記念日を捉え、戦争に関わる貴重な記録映像や、戦争を主題にしたドラマなどを配信してほしい。

 また、これらのデータについては、「国立公文書館」などに丁寧に保存するなど、あらゆるデータの永年保存を確立することが肝要だ。

 戦争を知らない世代が増えるに従って、その悲惨さ、残酷さ、犯罪行為を軽視する風潮も目立っている。

 特に、政治の世界で戦後生まれの政治家が増え、中には好戦的な言動を躊躇しない議員が目に留まる。

 先に自民党の検討チームが安倍晋三首相に提起した「敵基地攻撃能力」について、NHK世論調査で50%が賛成の意を示した。

 このような傾向が、自民党の「敵基地攻撃能力」推進の尻を押すことになり、日本が戦争を始めた原点に戻りかねない。

 また、戦争記念日の今日、自民党の4閣僚が4年ぶりに靖国神社を参拝した。終戦記念日に戦争を反省するどころか、戦争を進めた主要人物が祭ってある靖国神社参拝は、国際社会からみると戦争を肯定しているように受け止められている。

 1995年( 平成7年)8月15日の戦後50周年記念式典に際し、村山富市首相が日本が第二次大戦中にアジア諸国で侵略や植民地支配を行ったことを認め、公式に謝罪したいわゆる「村山談話」は国際社会から敬意をもって受け止められた。

 75回目の終戦記念日に当たり、国民は再度「村山談話」の意味をかみしめることが求められている。「関連:2019年8月15日

 

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渡哲也さん死去、石原軍団のリーダー、くちなしの花で紅白2度出演

2020-08-15 11:00:24 | 社会

 石原軍団のリーダー渡哲也さんが10日に肺炎で死去していた。78歳だった。

 渡さんは、「大都会」「西部警察」など数々のドラマや映画で存在感を示した。記憶に残っているのがNHK大河ドラマでの「勝海舟」の海舟役、「秀吉」の織田信長役、「義経」の平清盛役、長編ドラマの「坂の上の雲」の東郷平八郎役と数多い。

 また、歌手としても「くちなしの花」で150万枚のヒットを飛ばし、NHKの紅白歌合戦にも2回出演した。

 渡さんは1941年に島根・安来市に生まれ、兵庫・淡路島で育った。青学大在学中の64年、浅丘ルリ子さん相手役に実弟の渡瀬恒彦さんが出演したことがきっかけで65年に映画「あばれ騎士道」の主演で俳優としての一歩を踏み出した。

 石原裕次郎さんとはデビュー前、日活の食堂で初対面した際に励ましの言葉をもらい感激、その後背中を追い続けた。

 71年には日活がロマンポルノ路線へ転換、裕次郎さんが設立した石原プロへ入社。同プロ制作の日本テレビ系「大都会」シリーズ、テレビ朝日系「西部警察」では角刈りサングラスの大門圭介部長刑事を演じ、巨悪との銃撃戦やカーチェイス、爆破シーンの数々で裕次郎さんとともに視聴者を沸かせた。

 一方で病に悩まされ続けた。74年に胸膜炎を患い、主演を射止めたNHK大河ドラマ「勝海舟」を途中降板。91年には直腸がん手術でオストメイト(人工肛門使用者)になったことを告白した。また、3年前には実弟の渡瀬恒彦さんが死去した。

 渡さんは石原プロの2代目社長、現在相談役を務める石原プロが来年1月に解散することを発表したばかりだった。

 複数の関係者によると、渡瀬さんは、入院先の東京都内の病院で親族に看取られ、静かに息を引き取ったという。2015年6月に心筋梗塞の手術を受けて以降、入退院を繰り返し、ここ数年は呼吸器疾患などで自宅療養を続けていたとのことだ。心からご冥福を祈ります。

 

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