安倍晋三首相が傍目で見ても滑稽なくらい、集団的自衛権の憲法解釈容認にしゃにむに動いている。3月22日には防衛大学校(神奈川県横須賀市)の卒業式に出席し、訓示で集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更と、自衛隊法など関連法の改正に重ねて強い意欲を示した。
このような安倍首相の焦りにも似た前のめりの動きに対し、さすがに危機感を持ったのか与党内で何とか彼を落ち着かせようとする動きが出始めている。
公明党は、先に漆畑良夫国会対策委員長が、明確に違和感がある旨の発言をしたが、その後も党内で容認を批判する立場で勉強会を開いている。
また、自民党内でも何年振りかの総務会を開き、その中で解釈憲法による容認については、批判や疑問視する意見が多数出たとのことだ。閣内でも、岸田文雄外相が、自らが率いる派閥の会議でこの問題を議論し、やはり解釈憲法による集団的自衛権容認については、党内議論を深めることが必要との意見をまとめている。
集団的自衛権については、そもそも今これが必要なのかという問題と、若し必要だとしても、憲法第9条の解釈で容認できるのか、そうではなく、憲法改正をしなければ容認はできないとする問題点がある。
今、集団的自衛権行使が必要なのかというと、軍事同盟を結んでいるアメリカが、日本の周辺で中国や北朝鮮、ロシアと戦争状態に入る可能性があるかというと、現在の米中、米ロ関係から見て可能性が無い方が現実的だ。確かに、クリミア問題で、米ロの関係は悪化しているが、それが戦争にまで発展するとは考え難い。北朝鮮とはどうかと言えば、もし、北朝鮮が軍事行動に出れば、国自体が壊滅する可能性が高く、いくら無謀な北朝鮮でもそんな危ない橋は渡らないだろう。
だったら、戦後70年近く日本は集団的自衛権行使は容認していないのだから、今さら急いでこれを認め、行使できるようにしなければならないという緊急性はほとんど無いと言って良いだろう。
従って、集団的自衛権行使を憲法の解釈により容認することも、憲法改正で容認することも必要性が無いと言えよう。よしんば、どうしても集団的自衛権行使が必要だとしても、憲法解釈による容認は邪道である。
常識的に考えても、憲法解釈による容認を認めると、歴代内閣の考え方によって、容認する場合と、そうでない場合に分かれ、その都度自衛隊法などの法律を変えなければならなくなる。一方、国際的に懐疑心を持たれることに繋がるし、分けても日米同盟のあり方がちぐはぐになることも考えられる。
だいたい、同盟国のアメリカが攻められたら、日本が集団的自衛権行使によって、一緒になって戦うというが、当のアメリカは本当にそれを望んでいるのだろうか。日米安保条約では、日本が攻められたらアメリカが日本を守る代わりに、日本は基地を提供するという軍事面では片務契約になっている。従って、日本は沖縄をはじめ多くの基地を提供し、アメリカに対し思いやり予算とか言って膨大な費用を負担している。
もし、集団的自衛権を行使し、アメリカと一緒になって戦うことになるのなら、日米安保を変えなければならないし、アメリカに基地の返還を求め、膨大な費用の軽減を要求しなければならない。
アメリカはそれをやられるのが困るから、本心は、日本に集団的自衛権行使を無理矢理に求めないだろう。もし、日本が集団的自衛権行使だけ認め、アメリカに協力するだけで他に何にも要求しないとしたら、これほど人の良い話はない。
もう1点、例えばの話だが、集団的自衛権を行使しアメリカと一緒になって戦うことになると、自衛隊員に死傷者が出る可能性が濃厚になる。そんな危ない役務を求める自衛隊に若者が勇んで入隊するだろうか。
現在でも自衛隊員が不足している中で、集団的自衛権行使容認後は、ますます自衛隊員が不足する可能性が出てくる。そうなると最後の手段として、隣の韓国でも用いている徴兵制度の導入も視野に入ってくる。そこまで見通して、集団的自衛権行使容認問題を考えることが必要だ。「関連:3月6日」