阪神の城島健司捕手(36)が現役引退を表明した。今季は怪我のため捕手を務めることは無理で、打撃を生かすため一塁や外野守備などについたが、5月に左座骨神経痛のため出場選手登録を抹消され、腰椎椎間板ヘルニアの手術を受けたりした。しかし、8月にはリハビリ出場していた二軍戦で左ひざ裏の肉離れを起こし、9月には二軍戦で実戦復帰はしたが、結局、捕手ができなくなった時には引退すると自ら誓っていたことや、高額プレイヤーとして責任を果たすことができない負い目などもあって引退する決意をしたものと思う。
城島は1995年に、幼少時から憧れ、尊敬していた王貞治監督率いるダイエー・ホークスに入団、2004年にソフトバンクに代わったが、2005年まで在籍した。その間3度のリーグ優勝、2003年には日本一に輝いた。この間、城島は強肩強打の捕手として成長、印象に残っているのは、エースだった工藤公康投手との師弟コンビを組んだことだった。
2006年にFA権を行使して、日本人捕手として初めてイチローの居た大リーグ、シャトル・マリナーズに入団、当初は攻守に大活躍したが、徐々に投手のリード方法などで日本のプロ野球と異なるなど苦労を重ねた。
また、2009年には第2回ワールドベースボールクラシック(WBC)に代表入り、決勝戦では4番を打つなど全試合にスタメン出場、高打率を挙げて日本の2連覇に貢献した。
しかし、この年は攻守に不振に陥り、投手との折り合いも芳しくない中で、マリナーズとの契約を2年残して日本プロ野球に復帰を表明、ソフトバンクに復帰する目もあったが、ソフトバンクの捕手事情もあって、城島は契約金4億円で阪神入りとなった。
阪神も正捕手の矢野燿大が引退間際にあり、城島の獲得は人気面にも大きな意味があった。2010年シーズンの城島は、セリーグ捕手の安打数記録を破るなど、当初は期待通りの活躍をしたが、終盤に左膝半月板を負傷していたことが判明し、シーズンオフに手術を受けた。
しかし、翌年2011年シーズンからやはり膝の故障のため思うように試合に出られず、今季を含めて泣かず飛ばずに終わってしまった。
今季は、城島と好捕手の雌雄を争っていた阿部慎之助(巨人)がMVP獲得を確実視されている中で、好漢城島健司捕手の早すぎる引退は何とも惜しまれる。早い時期に、理論家で名高い城島が指導者として復帰することを期待したい。「写真:2007年マリナーズ時代の城島・ウイキペデイア」