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私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

なる@辞書★平和ボケ

2008-03-20 | 日記/備忘録/独り言/その他
ブログで、批判的に使われたり、自嘲的に使われたり
「平和ボケでなにが悪い!」と開き直った表現になったり・・・

毎度ながらの大前提ですが、
ブログでの表現は自己責任と常識範囲において、自由だとはわかってはいるし
私の感じ方はまた特異点かもしれない、とも思うけれど。
で、過去記事で自分も使っている可能性があるけれど;

時々、『平和ボケバッシング』にも近いニュアンスの表現に
マスコミ記事やブログなどで出会うと、実はものすごく違和感を感じることがある。

平和であることが(事実や現状ではなく、言葉の定義として)悪いはずはないので
「平和」が問題なのではなく、危機意識の低さが問題なのでしょうけれど。
実際、危機意識をどう発動させればいいのか、それがいまいちよくわかりません。
日々のレベルでは自分なりに危機管理してはいるつもりですが、
もっと大きなものを相手にしなければ危機意識としては不足してるのでしょうか?

ただ、平和ボケな日本であるとして、でも平和だからこそこうして
平和ボケについてのブログが書けるのでは?と思ったりして。
他者批判系社会派ブログなどで「こんなに世界は大変なのに
呑気に日記なんかを書いてる平和ボケな日本人」という揶揄を見ますが、
まさに矛盾だな、と思う。
&日記の外でその人が何を考え、どういう行動を取っているのかは
あなたにはわからないじゃん、とも・・・。
・・・海外発信含めいろんなケースがあると思うので極論ですが・・・。


やっぱり平和がいいなぁ・・・と思うわけです。




もう1つ。

CHINA FREEについて記事にしたり調べたりしていた時、実質的な中国産ボイコット奨励に対し、「世界でどれだけの飢餓があると思うのか」「食べられるだけ幸せだ」という、どこか軸がブレて感じられる、安全性を無視した表現にもいくつか出会った(こういう方々って、たとえば今回の毒餃子で自分や我が子や両親や知人が毒で害される、その危険性を考える必要が皆無なのかなぁ・・・それともそうなっても揺るがない強い信念が・・・?)。

私は非常に近視眼的な思考回路の持ち主なので、
まず自分が(&それ以上に息子が)幸せでなければ、それ以外の世界が、飢餓でも幸せでもその一点だけでは「私にはさほど意味はない」と極論してしまおう。
世界平和を強く願いながらも、その基調にあるのは私と家族の幸せと平和であり、
ものすごく冷淡に非人道的に言いきれば、
友達が入院している時、息子が病気の時、私自身が仕事で目一杯な時、世界の飢餓(に代表される社会的に“大きな”問題)を優先しては考えられない。

そういう意味では、CHINA FREEも、かつて参加していた原発関係の運動も、
自分の状況・心情が最優先される。
(実際、六ヶ所村関係は出産を境に参加しなくなった。時間的余裕がなくなったからです。他にも理由はありますが、それはまた別の機会に・・・)
だから私にとってのCHINA FREEは、中国バッシングが目的ではなく
“私と家族の食卓を守りたい”という、非常に日常的でささやかでなものでしかない。
(それさえ、実現は困難だということを思い知らされるわけで・・・)

ただ、人間はゼッタイに1人では生きられないし、
だから自分のシアワセだけを、世界の幸せと切り離して考えることは
不可能だとも思っている。
そういう意味では、飢餓も内乱も民族闘争もすべて気になるし、関心があるし
そういう情報を得ると、誰に対してかはわからないけれど「しあわせでいて!」と願ってしまう。
事実、因果関係はとても微妙だし、
バベルの塔のごときインターネット社会では
世界との距離はますます(情報的に)狭く、近くなっていく。

・・・何が言いたかったのか、アレコレ書くとまた焦点ボケてしまいますが
私が幸せで、家族が幸せで、それがドミノ倒しのように世界の幸せにつながっている・・・
世界が幸せで、友達が笑顔で、夫&息子が笑顔で、私が満たされる・・・

こんなことをけっこう本気で願う私は平和ボケ代表なのでしょうか?

※チベット暴動(大虐殺)の記事に日々胸を痛めつつも、
 私も家族も日本にいて、テレビで映像を見ていられる立場で本当によかった、
 と思ってしまう。
 こういう時、現地に赴いて活動される方々や様々な支援活動を
 されておられる方々を尊敬はしますが「自分も」とは思わない。
 私はそういう人間だなぁ、と。
 もしなにかやるとしても多分署名運動&募金止まりかなぁ・・・

 私が活動する時って、それが直接我が家とは関係なくても
 どこかで我が家とつながっている、そういう場合でしかない。
 まず自分から、その先に他者がいる、それじゃダメかなぁ。
 ま、ダメと言われても、現状ではそれしかできませんが;;

参考:
はてな
日本語俗語辞書
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8 コメント

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ラッコ庵様 (なるもにあ)
2008-03-22 12:44:41
素晴らしい詩をありがとうございます!
これって武者小路実篤作だったんですね!知らなかったー。

>衣食足りて平和を語る。
本当に。
戦争中は日本人誰もが国のために死ぬのは当たり前だと思っていた
(思わなければならなかった)。
まだまだ歴史的にみれば短い“戦争のない期間”を
永続できるように、平和である恩恵を存分に享受し、
戦争嫌いをたくさん作って世界に広めていく、それもまた
一種の反戦活動なんじゃないかな、と思ったり。

いろいろと複雑な利権問題があり、遠い国の戦争の恩恵で
日本の豊かさや平和が保たれている、といわれると
つらい部分もありますが、それでもなお
この国に今生きている限りは、戦争には反対し続けるべきだろうと
思っています。

・・・世界的な格差化を思うとこのあたりの話は難しいですね。
個人的には、平和な日本は、環境問題や食料危機含めた世界的「KAIZEN」を
本気でめざしていくべきなんじゃないかな、と思います。
・・・平和ボケを輸出できればいいのかも(←今、かなり本気で思った!)

>「そうか、想像力のない人が戦争を始めるんだ」
他人の痛みを感じることができないものが人を精神的・肉体的に傷つける。
想像力はいろんな問題のキーですね。
他人事と自分ゴトについて考えたりしているので
また記事にすると思います。
返信する
坊やだからさ (ラッコ庵)
2008-03-21 08:25:31
「戦争はよくない」作・武者小路実篤
俺は殺されることが
嫌いだから
人殺しに反対する、
従って戦争に反対する、
自分の殺されることの
好きな人間、
自分の愛するものの
殺されることのすきな人間、
かかる人間のみ戦争を
讃美することが出来る。
その他の人間は
戦争に反対する。
他人は殺されてもいいと云う人間は
自分は殺されてもいいと云う人間だ。
人間が人間を殺していいと云うことは
決してあり得ない。
だから自分は戦争に反対する。
戦争はよくないものだ。
このことを本当に知らないものよ、
お前は戦争で
殺されることを
甘受出来るか。
想像力のよわいものよ。
戦争はよしなくならないものにせよ。
俺は戦争に反対する。
戦争をよきものとは断じて思うことは出来ない。


・・・・・
この詩を検索しようとして「戦争はよくない」と打ち込んだら、ガンダム関係の記事が出てきた(笑)。そういうせりふがあったんだっけ?

それはともかく、これを「坊やだからさ」と切り捨てるのは簡単ですが、昔々にこの詩を読んだとき一番印象に残ったのは「想像力のよわいものよ」のくだりでした。
「そうか、想像力のない人が戦争を始めるんだ」とすごく納得しました。
平和ボケいいじゃありませんか。
衣食足りて平和を語る。
想像力の有り余ってる日本の若者もバカにしたものじゃないかも、です。
返信する
きょくたん様 (なるもにあ)
2008-03-20 20:41:49
平和っていいですよねー。
というかね、平和=選択の余地があるってことかな、と。

相対化すると、衣食住がいちおう保証されている
(そうでない事例も出ていますが)日本(&日本人)って
なにをどういわれても、やはり少なくても今・この瞬間は恵まれている、
と私は思います。(精神世界はさておき<オイオイ

「自分のことだけ考えてるだけでいいのか!?」と言われたら
もちろんそうはいかないだろう、と自覚もしてますが。
でも自分のことをまともに考えられないまま、他者のことなんて
考えられっこないとも思う。(←多くの宗教勧誘者にも言いたいんですケド

こういう記事を書いてるとですね、
誰もが政治家(他の単語でも可)にはなれない(んなことしたら分業社会は崩壊する)、
そういう中で、
「平和ボケ」(自称・他称含め)、糾弾者、改革者、批評家、・・・
そゆいろんな要素(価値観、考え方)がそれぞれに関わりながら存在してること自体に
「人間」という存在の総体的な意味があるんじゃないかな、と・・・。

だからこそ、「~はダメだ」と自分以外のなにかを否定するのは
あくまで自分の戯言として、ということを
自覚しておく必要があるなぁ、と思うわけです。
・・・実践できてるかどうかいまいち自信ないけど;;
(破綻してたら指摘してくれると信じてますからー
返信する
平和ボケが来ましたよ (きょくたん)
2008-03-20 17:56:06
日本に住んでいれば仕事も食べ物もどうにかなる。
やりたい仕事が見つかるまで引きこもり。

平和って良いなぁ
返信する
まっつん様 (なるもにあ)
2008-03-20 14:35:12
コメントタイムにニアミスですー。
ご参加ありがとうございます!
実生活最優先主義、大歓迎です!!

>「そこまで言うなら自給率100%にならないと何も信用できませんね」

おお、確かによく見ました!なんでそうなるの?と・・・
自給率を高めることは重要だし、実際各所で食の安全を含めた取り組みは始まっていますし、それには賛成ですが、100%はありえない(生産力的にも、貿易関係的にも)。
ゼッタイできない=現実的ではないことを理由に
現実的に対処できることまで無効にしようとするのは
一種の言葉遊びレベルのようにも思います。
また緊急を要すること、長時間(年単位含め)かけなくてはならないこと
を一緒にしてしまう暴挙でもあるかな、と。
もっといえば、自給率=安全性を確約するものではない。日本のメーカーの不祥事をみてもそれは明らかなわけで、問題のすり替えだと思います。

世界的に生産部門が中国なしでは成り立たなくなった。
そこに至るには多くの恩恵もあったはずなので、
すべてを「ゼロに!」ではなく
まっつん様が提案されているように、価格の正常化含めた
見直しが大切だということだと思います。

ちょっと横道それますが、まっつん様の「夜間医療」で書かれていた
>「社会の一人ひとりが、様々な問題を、自分の事として考える事が大事だ」と。
>この言葉に、今の社会問題の全てが詰まっている。
ということ、深い意味があるなぁ、と思います。
読み込み途中で、またあれこれつい他の記事も読んじゃうため、
なかなかコメントお邪魔できませんが(汗;)
どうぞよろしくお願いいたします!
返信する
ジイ様 (なるもにあ)
2008-03-20 14:08:28
こういう社会的な問題を、世間話ではなく個人の日記に記録する、そのことの意味と危うさを感じはじめた今日この頃です(遅い!。
不勉強なら何も書いてはいけないのかな?そういうことはないだろう、と思いつつも、行動を起し、真剣に活動に取り組んでおられる方々にはなんだか申し訳ない気もしたり・・・

とはいえ、書いてしまうわけですが(オイ
ブログはそういうこと(不勉強・不完全な情報としての情報価値、葛藤、経緯等々)も飲み込むメディアだというのが一番面白いかも。

って、前置きが長くなっちゃいましたが;;

どんなものでも、問題って、どこからどう見るかで随分変わってしまうなぁ、、というのをいろんなブログを回って感じます。(だからこそ、マスコミの責任は多いわけだし、中国では政府管轄なのでしょうね)

>チャイナフリーの問題でも中国という国を
敵対視するのではなく、問題の改善を
提起するというのが本来の目的で

まったく同感です!
China Freeはたしかに攻撃的なインパクトある「標語」でしたが(China Freeという表現への反感は多いようです。このブログでもご意見もいただいたし、「確かに」と思う部分はあるけれど、個人的には反感=関心が起ったことが成果だと思っています。)
中国産撲滅ではなく、中国前面批判でもなく関係した日本企業の姿勢も問うものだったと思っています。
これは後付けになってしまいますが、「China」という記号からの中国自身の脱却が最終目的なんじゃないかな、と今では思っています。

>問題の解決に向けた批判と敵対は違うと思います。

チベット問題を見ていても、「中国は」「日本は」ととりまとめると、見えなくなる部分はあるなぁ、と。
中国の一番のネックは情報統制だと思います。中国内部にも中国の政策に反対する声はあるでしょうに。
情報社会では情報がないと「存在しない」ことになってしまう。敵対構造は不毛ですよね(騒動で、誰か得をしてる人がいるのかもですが・・・年金関係者とか;;)

そういうこととは別次元で、戦争や宗教や多くの立場の違いや、緊急事態が発動させる人間の残虐性は確かにある・・・。それはきっと中国に限らず、もしかしたら日々の中でさえも。
それはどうしてなのかなぁ、と、こちらもまた考えたいと思います。

ちょうどあれこれいっぺんに考えていてドロドロだったのですが(汗;)、こうして一緒に考えてくださる方がおられると、自分なりながら整理でき、ありがたいです。

こちらこそ長文にて失礼いたしました!
※お仕事落ち着かれましたか?
返信する
同感です。 (まっつん)
2008-03-20 14:05:36
居ます居ます、そういう論点というか、履き違えた思考の持ち主が。

他国の飢餓の問題と自国の食の安全の問題という根本的な違いを混同してしまう輩は結構多いです。
あと、「そこまで言うなら自給率100%にならないと何も信用できませんね」
とか言う輩・・。
思考回路がこんがらがってます(笑)

そういう輩達の意見しか見当たらなかった時に、
なるもにあさんに出会えて本当に良かったです。
有難うございます。

私も基本は家族であり自分であり仲間であり日本です。
そして、実生活最優先主義です。

有難うございます。
返信する
チャイナフリーと飢餓問題 (ジイ)
2008-03-20 04:34:08
>実質的な中国産ボイコット奨励に対し、「世界でどれだけの飢餓があると思うのか」「食べられるだけ幸せだ」という記事あったということですが、
安全でないものでも食べられるだけでいいという意見ですかね?ちょっと驚きですね。
健康被害にあうのがわかっていて、その人はその食品を食べるということでしょうか?
問題の捉え方がまったく違うというか、
理解できませんね。
チャイナフリーの問題でも中国という国を
敵対視するのではなく、問題の改善を
提起するというのが本来の目的で
食に対する安全というものがどれだけ大切であるかということを広げていければいいと思うのですが、
残念ながら中国を敵対的に攻撃している記事も多く
出ていますね。確かにチベット自治区の内乱やあまり報道されていない東トルキスタンのウイグル民族に対する弾圧などもありますが、敵対的な国を作ることはなんら問題の解決にはならないと思います。
一時期のソ連仮想敵国のように、ロシアとして変わった点もありますが、現在ロシアと経済的にも文化的にも交流が深まっています。長文になってしまいましたが、問題の解決に向けた批判と敵対は違うと思います。なるもにあさんのいうように、
>私が幸せで、家族が幸せで、それがドミノ倒しのように世界の幸せにつながっている・・・
世界が幸せで、友達が笑顔で、夫&息子が笑顔で、私が満たされる・・
という視点で考えるのが平和ボケでもなんでもなく
一番わかりやすい考え方だと思います。
返信する

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