鈴木有機農園

鈴木有機農園の代表、鈴木英俊のブログです。

火葬

2011-03-31 22:26:13 | インポート

こんばんわ  鈴木有機農園です。

 やっと弟夫婦と祖父母家族そろって火葬にする事が出来ました。  大きな災害てしたので、10日程かかりました。  急ぐ方は、山形で火葬にしている状態です。  お寺も津波の被害を受けましたので、弟家族四人の遺骨を、我が家に安置しました。  まずは安心です。  葬儀をどのような形で行うのか、まだ決まっていませんが、家も無い状態ですので、合同葬になるのかなぁ・・・?と思います。

 まだ行方不明の方々がおります。  早く見つかってくれればと思います。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頑張ったトマト

2011-03-31 08:23:02 | インポート

こんにちわ   鈴木有機農園です。

 元気な頑張ったトマトを紹介します。

001 のびのびと生育中のトマト

 3月11日から20日まで無加温の状態でした。  その間気温はマイナスの時が何度かありました。  3月にしては異常天候で何度か雪も降りました。  毛布一枚で寒さをしのいで頑張ってくれました。  このトマトは災害をまともに受けた、復興トマトの苗です。  自然界も頑張っていると思うとこのトマトで消費者を癒してあげようと思います。  

 技術など共有しながらお互い頑張りましょう。 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確認と発見と安堵

2011-03-30 20:56:09 | インポート

こんばんわ   鈴木有機農園です。

 今日はとても複雑で悲しい日でした。  雅子さんの消息をたずねてグランデー21へ、行く前に横浜に電話、弟さんに雅子さんが確認出来た聞き、良かったと安堵いたしました。  「良かった」の使い方がこんな使い方で良いのとは思いませんが、こんな心情です。    「雅子さんのご冥福をお祈りいたします」  お母さん寂しくなりますが健康に留意してください。

 消防車で津波警報を呼び掛けた「高橋昌照くん」が自宅前のお寺で見つかりました。  親父は毎日田圃などを探し回り、心身ともに極限に疲れている状態でしたので、ホッとしました。  消防の帽子をまとったままの姿で、最後まで地区住民に呼び掛けての殉職でした。  「昌照くんのご冥福をお祈りいたします」

 こんな様子が今、いろんな家庭で起きています。   津波の災害を受けた家庭は、疲弊状態です。  めげずに頑張りましょうは、何の効果もありません。  

「頑張れるような指針をしめしてください」     

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通帳再発行  今野亮二社長

2011-03-29 19:20:09 | インポート

こんばんわ   鈴木有機農園です。

 三本松会の通帳が津波で流されました。  昨日、岡田郵便局で悪用されないように止めておき、今日は再発行の手続きをしました。  待合中にいろいろのケースで相談に来ており、奥様が津波で流されまだ見っかってない男性は、死亡診断書が無いために何も出来ないといった相談でした。  その方の情報で12月20日で紹介した岡田砂山の今野製作所の社長も津波で亡くなったという事でした。  私にとっても、社会にとっても掛けがいのない方を・・・と思うと残念です。  温厚でいつも快く相談に乗ってくれ、農機具の改良には的確なアドバイスをしてくれていました。  今野製作所は、海岸の防風林沿いにあり、海に一番近い所で、仕事の合間に家庭菜園をして、この最後に会った時は柚子がなったと喜んでいました。

 今日の郵便局での情報が本当なら残念です。  「今野亮二さん」のご冥福をお祈りいたします。  「合掌」  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弟の友人・地曳隆紀様ご夫妻の弔問

2011-03-28 20:28:24 | インポート

こんばんわ  鈴木有機農園です。

 今日、東京から弟の友人地曳隆紀さんご夫妻が弔問に訪れてくれました。  ご夫妻は東京農大の学生時に韓国で奉仕活動をしていた仲間です。  弟は生前、韓国通で、韓国に多くの友人、「おもに」と呼んでいた韓国の母もおりました。  韓国には何度か出掛け親交をを深めていました。  私も弟とおもにのお家に一週間お世話になったことがあり、身近に感じて、日韓家族交流をしていました。  弟は地曳さんには特にお世話になっていたようで、学生時代、盲腸で地曳さんのお父さんに手術をして貰ったり、結婚式に参加してくれたり、切っても切れない親交があったようです。  

 遠方から、弔問の電話が多数あり、良き友好関係があったんだと、嬉しくも有り感謝の念に駆られています。  

 三時過ぎに葬祭場「清月記」と「ベルコ」へ親父と姪と次男坊とで線香をたむけてきました。  知り合いの方々ですので、思い出にふけながらの合掌でした。

 まだ、見つかって無い家族もおり、津波の爪後の酷さに憤る思いです。

    「ご冥福をお祈りいたします」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする